これ友達から聞いた話なんだけど──

家紋武範

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奥さまのお庭

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 ノーサンヴァランデ伯爵のお屋敷に私が奉公に出されたのは12歳の時です。お屋敷のご領主には、悪い噂がありましたが、弟妹の多い我が家では食べ物に困っていたので、両親も仕方なしに私を家から出したのです。

 来てみるとすぐに分かりました。ご領主のアルジャーノン様は癇癪持ちで、小さいことでよくお怒りになります。奥さまのエリザベスさまはお優しい淑女でしたが、旦那さまにはささいなことでお叱りを受けておりました。

 旦那さまは暴君で、なるべくお屋敷にいて欲しくないかたでした。外にお妾がいるのか、そちらに泊まられる時はまるで天国のようでした。

 奥さまは気付かない振りをしてましたが、陰では寂しくて泣いてらっしゃるようでとても気の毒でした。
 旦那さまは色好みで美人が好きなかたです。奥さまは家柄で嫁いでらしたお嬢様で、子供の私から見ても『美』と言うには程遠いかただったので、旦那さまは奥さまを寝室から遠ざけておりました。

 奥さまの楽しみといえば、庭いじりでした。しかし普通の美しい花などではありません。それらは山野によくある無害な草花ばかりだったのです。
 小粒の花や、花の咲かない地味な茂みのようなものばかりで、それでも鍵付きの扉がついた柵で囲い、上部と回りには黒い網を張り巡らし虫や鳥害から守るよう徹底しておりました。その中に入れるのは鍵を持った奥さまのみで、水やりも大切にご自分でなされておいででした。

 私たち侍女は奥さまを尊敬しておりましたので、世話は私たちにお任せくださいと言いましたが、あなたたちには他に仕事があるし、自分はこれが趣味なので気遣いは無用だとおっしゃっておりました。
 どうして美しい花をお作りになられないのですかと尋ねますと、まるで私のようでしょう。放っておけないのですよと自嘲なすっておりました。



 ある日のこと、旦那さまは下品な女を連れてきました。その女は旦那さまの新しいお妾のようで、屋敷に住むことになったのです。
 ため息の出るような話ですが、その女は育ちが良くないのか、口も悪く、奥さまを当たり前のように罵り、自分が妻に相応しいとせせら笑ったのです。

 罵りとは、口に出すのも憚られますが、奥さまはまだ少女であり、一生少女のままの、人に見えない化物……のような言葉でした。

 そんなお妾でしたが、旦那さまが主人として仕えるようおっしゃったので、私たちは仕方なくお世話をしました。



 ですがある日の朝、お妾は高熱を出し、身体中に水膨れができて、それこそ怪物のようになってしまいました。
 旦那さまはすぐに医者を呼んで見させましたが、手遅れだし、回りにも伝染うつる可能性があるので隔離したほうがいいと進められ、召し使いに命じて、外にある使われていない塔に押し込んでしまいました。

 旦那さまは、自分にも伝染うつったかもしれないとパニックになっておりましたが、奥さまはそんな旦那さまを慰め、近くにいることを誓いました。
 やがてお妾は亡くなり、ついていた召し使いも数日、頭痛と発熱はあったものの、仕事に復帰できるようになりました。

 旦那さまは、しばらくすると落ち着きを取り戻し、奥さまと仲睦まじいようになったので、我々は『あの旦那さまが』とは言うものの、収まるところに収まったと安心しておりました。

 そのうちに奥さまは身籠り、男子をお産みになられました。旦那さまは世取よとりが出来たと大層喜んでおられました。



 しかし旦那さまは、すぐまたお妾を連れてきたのです。前のお妾は下品でしたが、今度のかたは粗野で、すぐに私たち使用人に物を投げつけて笑ったり、作ったものを壊したりするので、私たちは参ってしまいました。
 それは奥さまだけでなく坊っちゃんにまで及び、奥さまから坊っちゃんを取り上げると足を掴んで振り回したり、天井すれすれまで放り投げてキャッチするなどの遊びをしたので、気の弱い奥さまは坊っちゃんを助けた後、気を失ってしまうこともありました。

 さすがに旦那さまは坊っちゃんに乱暴したことは咎めました。しかし、取っ組み合いの大喧嘩になってしまい、それを止めると二人は回りに当たり散らしておりました。
 旦那さまはよほど面白くなかったのか、奥さまを呼んで四時間ほど立たせて訳の分からない説教をし八つ当たりをなさいました。奥さまは許されて部屋に戻るように言われた後で、廊下でお倒れになってしまったので、私が看病をいたしました。

 私が憤慨して怒ると、奥さまは旦那さまはきっと寂しいのだ、だから許して欲しいとおっしゃるので、私は悔しいのと不憫なのとで涙を流してしまいました。



 それからしばらくすると、粗野なお妾が高熱を出し、喀血をしたかと思うと、口から泡を吹いて亡くなってしまいました。亡くなったあと、身体に水泡が山ほど出来、それが潰れて悪臭を放ちながら紫色になって行きました。
 さらに奥さまにもその徴候が現れました。左腕に大きな水泡が出来て、熱をお出しになったのです。

 旦那さまは坊っちゃんを連れて離れに行き、これは伝染病だ。妻に近づいたものは近づくなと震えておりました。
 前のお妾のこともあったので、自分も死ぬかもしれないと思ったのですね。私たちも恐ろしかったですが、必死に奥さまの看病をし、神に回復を祈りました。

 ですが、やがて坊っちゃんも熱を出し、胸に小さい水泡がたくさん出来ました。旦那さまはこれはもう助からないと、ご病気の奥さまに看病するようにと、お屋敷に坊っちゃんを返し、自身は人に会わないよう離れで過ごしました。

 しかし、次の日に使用人が旦那さまへと食事を運ぶと、旦那さまは全身に真っ赤な血膨れを作り、血の泡を吹いて亡くなっておいででした。
 血膨れの大半は破れ、粘液と床がくっついており、引き剥がしても床に旦那さまの身体の一部が残るほどだったそうです。


 私たち使用人も、これはもうおしまいだ。全員死ぬのだと思い怯えながら奥さまのお世話をしました。するとその甲斐あって奥さまが病から回復したのです。誰も病に伝染るものはおらず終息しました。坊っちゃんもゆっくりと回復し、一週間後にはお庭を駆け回れるようになったのです。

 しかし、奥さまは使用人全員を呼んで言われました。

「このノーサンヴァランデはもうおしまいです。主君のジョージは残りましたが幼いですし、いつまた病が再発するか分かりません。私たちは療養所に行きたいと思います。いつかまたここに戻っては来るつもりですが、それまでみんなを雇えません。みんなに暇を出します」

 私たちは残念がりましたが、仕方ありません。屋敷の管理人に家宰の夫婦が残ることになり、みんな田舎に帰ることになったのです。



 ですが帰郷の当日、私だけ特別に奥さまに呼ばれました。

「アネッサ。あなたはよく私たちに尽くしてくれたわね。私、とてもあなたを信頼していたのよ」

 そう言って、お手当てとは別に金貨を五枚もくださいました。私は驚いてしまって、何度もお礼を申し上げたのです。
 そこで奥さまは続けました。

「あなたにちょっとしたお願いがあるのよ。帰郷の途中にあるワルン川に、この皮袋を沈めていって欲しいの。いえ、中身はとてもつまらないものよ。でも私が旦那さまの生前にあてたものが入っているから、決して中は見ないで欲しいの」

 それはお安いご用だったし、旦那さまにあてたもの……すなわち恋文とかそう言うものかもしれないと、頑丈そうな皮袋を受け取ったのです。



 それからすぐに、ノーサンヴァランデ領のワニック城を出ました。故郷への帰り道とはいえ、しばらく過ごしたお城を不本意ながら出ることになったことで、足取りは軽くはなかったです。
 しかしながら、奥さまとの約束は果たさなくてはならないと、ワルン川まで来ると橋の上から、例の皮袋を深そうなところへと落としました。

 袋は水を吸って、ゆっくりと川下へ流れ始めましたが、その皮袋の横に白い腹を見せた魚が何匹も浮いてきたのです。

 私はハッとして、長い棒を拾って土手を走り、川へ近づくと棒を伸ばして皮袋を手繰り寄せました。
 ですが手に取ることは憚られ、棒で袋の腹を突いて持ち上げると、流れ出す水と共に白い粉のようなものが、川の中へと落ちて行き、粉の落ちた川面には、新たに魚の死骸が浮き上がってきたのでした。



 私は恐ろしくなりました。旦那さまやお妾が死んだのは、伝染病などではない。毒なのだと思ったからです。
 奥さまのお庭の草花は、決して害のあるものではありませんでした。しかし奥さまから聞いたことがあるのです。

 この花の種と、この草の茎から出る汁を混ぜると腹痛の薬になる。この葉を乾燥させて、この草の根を擂り潰したものを混ぜて練ったものを肌に塗ると火傷の薬に──。

 きっと奥さまはそう言う知識があるかたなのだわ。
 あの庭は毒薬の庭ポイズンガーデンなのだ。ただの雑草の庭と見せかけて本当は、旦那さまやお妾を殺すために……。

 そして、私たちにお優しかったのも、坊っちゃんに水膨れを起こさせたのも、自分が熱を出したのも、嫌疑がかからないための周到な計画だったのだわ。

 私はしばらく立ち尽くして動けませんでした。
 ですが、このままでは川下に住む人にも影響が出るかもしれないと、皮袋を棒で引き寄せながら陸揚げし、穴を掘って埋めたのでした。





 それから数年経って、私が近所の幼馴染みと結婚するころ、ノーサンヴァランデが再興したと聞きました。
 当主はあのときの坊っちゃん、ジョージ・パーシーその人で、奥さまも健在だということでしたが……、もう関わり合いたくありません──。
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