これ友達から聞いた話なんだけど──

家紋武範

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白線

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 何が起こったか未だに理解不能だ。
 この帰宅途中の人々でごった返す、巨大なスクランブル交差点は阿鼻叫喚の渦の中だった。

 アスファルトが海のように波打ち、その中を鮫のような生物が泳いでいる。そして交差点にいた人々を襲い始めていたのだった。

 意味が分からない。普段の日常が突然の恐怖によって大パニックに陥っている。
 怒号や泣き声が響き渡る。奴らに男女も老いも若きも関係ない。

 一方的な補食。一匹や二匹ではない。相当な群れである。

 私は業務用のアタッシュケースを胸に痛いほど抱き締めながら交差点の中央に体を強張らせながら突っ立っていた。

 そのうちにハッと気付いたのだ。横断歩道の白線の上に立っているものは無事だと。さらに建物の二階以上には泳いで行けないようだ。
 この交差点には生存者の塊がはしごの形に残っている。私も例外ではない。そこでようやくホッとした。

 まだ生き残れる──。

 その頃に、ようやく仕事用のアタッシュケースを抱いていたことに、どこまで社畜なのかと苦笑する。そして叫んだ。

「みんな! 白線の上にいるんだ! そうすれば襲われない!」

 まるで救国の英雄のように。恐れていた人々が、足を踏み外さないようにと白線へ身を寄せる。
 奴らはグルグルと我々の回りを回っていた。

 見てみると、道路の端にも白線がある。あれで帰れるのではあるまいか?
 それからはどうする? 建物は緊急時ということなのか、次々にシャッターが下ろされている。無理を言って中に入れてもらうには難がある。
 いや、それなら帰ってしまったほうがいい。

「みんな! 道路脇の白線が見えるだろう!? それで家に帰るんだ!」

 白線にすがり付いていたものたちは一斉にうなずく。中には腰を抜かしているものもいたが、やはりそこは日本人だ。肩を貸してやるものがいた。窮地にこそこういうものがいるのが我々民族だろう。

 それぞれが、道路の魔物から逃げるように白線をたどって一人、また一人と帰路について行く。

 いつも間にか、私の横に二人の姉妹がいた。

「あの……。本当に助かりました。勇気があるんですね」
「い、いや。無我夢中で」

「私はマイと言います。こっちは妹のウイ」
「あっ……そっすか。私は小谷と言います」

 正直非常時だが、こんな美人たちと話す機会はないなぁと舞い上がってしまっていた。

「小谷さんはお住まいはどちらですか?」
「あ、あの、ここからまっすぐのE町でして」

「本当ですか!? 良かった。私たちもE町なんです!」
「へー……それはそれは……」

 こっちも良かった。私は姉妹の前に立って先導し始めた。横断歩道を渡って、道路脇の白線へと。
 小学校の頃は、帰り道にこんな遊びをしていた。白線からはみ出たら溶岩に溶かされてしまうなどと設定しながら。
 しかし今は現実だ。今、この白線から一歩でもはみ出してしまえば……。考えると恐ろしい。

 しばらく進んでいくと、五匹ほどの道路の魔物が並走してきた。

「こ、小谷さん。大丈夫ですよね?」
「え、ええ。今までもそうでしたし」

 なんとか姉妹のアパートへと到着した。彼女たちの部屋への階段へは駐輪場の白線がうまい具合に続いていた。

「じゃ、じゃあここで大丈夫ですね?」
「あの……! 上がって行ってください」

「いえ、そう言うわけには……」
「では連絡先を」

 私たちは白線の上で連絡先を交換し、彼女たちを見送った後に家路へとついた。
 マイさんは可愛いなぁなんて、不安がざわつく心の中に、生き残る希望が勝り始めた頃だった。

 いつの間にか私の回りには、道路の魔物が増えていたのだ。奴らは、私のスレスレを泳いで、白線から落とそうとしている。
 バランスを失って白線を踏み外せばおしまいだ。私は踏ん張ってこらえたのだ。

 そのうちに、巨大な背鰭が向こうから見えた。体長を考えれば15メートルほどあるかもしれない。

 だがきっと大丈夫だ。今までだってそうだったのだから。

 もう少し、もう少しで家なのだ。



 その時だった。
 巨大な魔物は、土中からジャンプして私の頭上に──。

 何が安全だ?

 何で大丈夫だと思った?

 この世界に、絶対も百パーセントもないと言うのに。

 私の体は、黒くて固い、アスファルトの中に引きずり込まれてしまった。
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