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第31話 最低男!

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 次の日。恵子の表情も足取りも軽い。
 会社に到着し、気合いを入れる。
 何しろ本日は決戦の金曜日。
 秀樹に自ら別れを告げ、恋の清算。
 その後は会社を早退して、和斗を迎える準備をしなくてはならない。美味しい晩ご飯を作るのだ。

 いつものように課内の清掃をし、秀樹の出社を待った。

 すると、秀樹の雰囲気を感じた。
 今日もテンション低い挨拶なのかもと苦笑する。
 しかし、それも今日で終わり。
 赤ん坊が出来てなかったことを伝え、安心させれば元気も戻るだろうと考えた。

「おはようございます」
「おはよう。ちょっとミーティング。会議室でいいかな?」

 突然の向こうからの誘い。
 出鼻をくじかれたというか、拍子抜けというか。
 今まで沈黙してたのに、今日に限って。
 仕事で絡むことはないので、腹のことであろう。

 今頃誕生日おめでとうではないだろう。
 まさか、離婚がまとまってしまったとか?

 もしもそうだったらどうしよう。
 恵子の戦略がまとまらない。


 会議室に到着。
 恵子を先に会議室にいれ、秀樹は後ろ手で鍵をかけた。
 恵子に緊張が襲い掛かってくる。
 秀樹の口がゆっくりとためらいがちに開かれてゆく。

「あの、さ」
「はい」

「実は」
「ええ」

「子供ができた……」
「……え? それは……」

「うん。ウチのヤツとの間に。二人目」
「あ、え? だって奥さんとは」

「ごめん。でも」
「      」

 本当に真っ白。言葉がなくなった。

 妻との結婚は失敗だった。
 もう体に触れていない。会話なんてない。
 毎日が辛い。帰りたくない。
 あそこは自分の家じゃない。

 そう言われ続けていた。
 だからこそ恵子は自分が秀樹の家になりたかったのだ。
『おかえり』と言える場所を作りたかったのだ。

 なんてことはない。
 浮気男の常套句。
 そう言って、同情を買い、恵子を抱きたかっただけ。
 それが全て理解できた。
 だが、秀樹は必死に取り繕い、関係を捨てきれないでいる。

「でも愛してるのはケイコだけなんだ」
「ごめんなさい。ちょっと意識とんじゃった」

「うん。そうだよな。だから」
「なに?」

「離婚するのは、もうちょっと待って欲しい。だからケイコのお腹の……」
「あ、はい」

「子はあきらめて欲しい」

 完全なる脱力。
 この男に人生をズタズタにされるところだった。
 しかし、今自分は幸せに駆け足で向かっている。
 思わず苦笑し、言わなければいけないことを報告する事務スタイルに転じた。

「あ。なるほど。ヒデちゃん」
「ん?」

「じゃぁ、家族大切にしてね?」
「う、うん」

「秀樹さん。佐藤係長」
「え?」

「今まで、ありがとうございました」
「え? なに?」

「終わりにします。この恋」
「あ、じゃぁ。あきらめてくれんのか?」

「というか、デキてませんでした」
「は? なに? どういうこと? オレを試したの?」

「いえ。そうじゃなく、デキてたと思ったら、生理きました」
「あ~。なんだ。あ、よかった」

「でも、佐藤係長は、お子さんが二人になるんですから、家庭を大事にしてください。さよならしましょ! あたしたち」
「え? いや」

「ん?」
「あの、愛してるのはケイコだけなんだよ?」

「いえ。その愛情を家族に注いでください! じゃ、仕事あるんで。失礼します」

 ドアの前に立つ秀樹に肩を当てて、カギを開けて廊下に出た。
 後ろ手で会議室のドアをしめて、少し伸びをして笑顔で営業の部屋に戻る。

「ふふ。なぁんだ。トーコの言う通り、最低男! してないしてないって言っておきながら、奥さんともしてたんじゃん。バッカみたい! あたし。都合良く利用されてたんじゃん。ヒデちゃんカワイソウって思いながら、早くあの家から解放してあげたいって頑張って。そんで、いろんなことされて。なんだよぉ! 一生懸命、恋して。将来のこと考えて。あー、それで、遠くの町で一人で産んで一人で育てようとしてたなんて。クス……。あーでも良かった! 肩の荷がおりた。ヒデちゃんも、あたしも、カズちゃんも、みんな、みんな幸せになれるじゃん!」

 戻る間、今までのことを思い出してブツブツとつぶやきながら歩いたが、誰もそれを聞くものはいない。
 最後の別れの儀式。心の清算。
 思いを小さい声でつぶやくことで、少しずつスッキリしてゆく。
 後はこれからやってくる幸せに思わず微笑んだ。


 まずは、一つ目のミッションクリア。
 次は早退して晩ご飯の準備。

 秀樹の不在時を狙って、課長に早退届を提出。
 無事受理され、小躍りする。

 急いでロッカールームに入り着替え、会社を出て、すぐの通りに入って路地の一番奥にある店の縄のれんを上げた。

「こんにちわ」
「あれ? まだ店やってませんけど。あ! ケイちゃん!」

「ふふ。あれ? 大将、亀ちゃんにエサあげてんの? ふふふ」
「見てみな。ケイちゃん。この食ってる顔。かわいいだろ~?」

「だって、予約のお客さんに出すんじゃないの?」
「そーなんだよ。だから、知り合いの店から、さばいてもらったの買うことにした。もう、オレ、コイツさばけねーよぉ~」

 思わず苦笑い。それで料理屋をやっていけるのか不安になる。
 しかし、その情が客を惹きつけるのかなぁとも思った。

「ところで今日は? 早退? なんでこの時間?」
「そーなの。早退して、今からカズちゃんに晩ご飯作るんだぁ」

「あ、そーなんだ」
「でさー。大将。牛スジ煮込み、ちょっと買わせてくれない?1000円分くらい」

「あ、そーゆーことね。いいよ! タッパーある?」
「あるある。持って来た」

 大将とやりとりしていると、店の二階へ続く階段からトントンと音がし、顔を覗かせるものがあった。

「あれ? ケイちゃんの声がすると思ったら」

 声の方向に振り向いてみる。

「あ! 弓美ちゃん!」
「うん、どうしたのこんな早い時間。でも元気そうね」

「うん。実はね」

 今までのいきさつを弓美に話した。
 弓美は、うなづきながら聞いていた。
 商売柄かもしれないが、ちゃんと聞いてくれた。

 今までの辛さが、固く凍っていた人に言えない恋が、溶けて山から流れて行くようだった。

「女の悩みは女しかわからないよねぇ」
「うん」

「弱いしさ。男にちょっと強く言われるとね。つい従っちゃうしね」
「うん」

「でも良かった。ケイちゃんの人生がいい方向にいきそうで」
「うん。ありがと。ねぇ弓美ちゃん」

「ん? なぁに?」
「また抱いて?」

 ガシャン! ガシャン! ガシャン!
 鍋につまづく大将。

 二人が不思議そうにそちらの方を見る。
 大将は床に這いつくばっていたが体勢を整えた。

「……幸男がケイちゃんを?」

 小声でつぶやきながら大将がカウンターから顔を上げて二人を覗いてみると、立って、抱きしめ合っている二人の姿がそこにあった。

「あ。そーゆことね……」
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