私は「おかえり」といいたい

家紋武範

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第17話 知りたい

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 恵子は会社帰り、一人会社近くの路地裏に入っていった。
 目指すは、縄のれんの小さなお店。
 和斗と先日一緒に来た店だった。
 看板には“荒神”と崩した字体で書いてあった。
 その読み方が分からない。
 恵子は縄のれんをくぐって店の引き戸を開けた。

「こんばんわ」

 大将は顔を上げてこちらを笑顔で見る。

「はい、いらっしゃい! あれ? この前の」
「はい。えとケイコです」

「あ~。じゃ、ケイちゃんだ。今日はカズちゃんと一緒じゃないの?」
「あ、はい。あたし一人。リピーターです。気に入っちゃった!」

「ありがたいね~。じゃこれつまんで。ビールでいいよね? ビール一丁!」

 そう言って、大将は自分の真ん前のカウンター席に手を出して案内した。
 恵子も嬉しそうに「はーい」と言いながらそこに座る。
 目の前では大将が他の客の調理をしていた。

「わ。おいしそ~。大将、この店、なんて読むの? “荒”い“神”と書いて……あらがみ? こうじん?」
「はは。アラジンですよ。みんなの願いを叶える。ってことで。ま、名字が“荒川”なんでね。ちょっともじって」

「あ、だから、大将には魔力があるのね~。納得。でもツッコムと、アラジンは願いを叶えられる側で、叶えるのは魔人じゃない?」
「そ。つけて、店オープンして、しばらくしてから気付きました。ははは」

 お玉片手に楽しく笑う大将に、恵子も合わせて微笑む。

「ふふ。あの~」
「はい?」

「今日は杉沢くんのこと教えてもらおうと思って」

 そこに、この前はいなかった若い女性店員さんがビールとグラスを持ってきてくれた。

「はい、瓶ビールおまたせ。なに? カズちゃんのお友達?」
「は、はい」

 この居酒屋に似つかわしくない美しい女性。
 まるで、夜のお店にいるような服装と顔立ち。
 和斗のことを知っているのだと、二人の中を勘ぐった。

「あたし、弓美。この大将の娘。カズちゃんは、あたしが連れてきたのよ」
「え? そうなんですか?」

 やはり女だった。この美しい女性と関係があるのだと、黒い気持ちが押し寄せてきたその時だった。

「コラ! 幸男。いいかげんにしろ。ケイちゃんに話しかけんな」
「幸男っていうなっつってんだろ。父ちゃん」

 男の声に切り替わった。
 恵子は弓美の正体がわかり、黒い気持ちが消えて晴々しくなっていった。

「もう、ホントだめよね? デリカシーのない男は」
「ケイちゃん、こいつの仕事休みの時は店手伝ってもってんですよ。将来はこいつが大将ですから」

「は? やらねえし。すぐスナックにするし」
「一人息子がこんな調子だ」

「娘だし」
「はは」

 弓美は、恵子の隣に座ってビールを注ぎながら和斗の話しを始めた。

「カズちゃんはねぇ。最初すごい荒れてた。やさぐれてたっつーか。高校2年くらいだったかなぁ? あたしのお店に急に来て、『この化け物どもがぁ!』って、ケンカ腰でさぁ?」
「へー。失礼なやつ」

「そう。なんだろね? お酒も入ってたし、ケンカするなら誰でもいいみたいな?」
「はー」

「まー、あたしたちも昔はアレだったから、腕に覚えのある剛の者ばっか」
「ふふ」

「でも、お客さんの前でケンカするわけにいかないから、お客さんの相手してない数人で店裏に誘導したの」
「こわーい」

「『何人でもいいからかかってこい!』っつーから、あたしがでてって、右ストレートで一発KO!」
「すごい!」

 大将は弓美を指さして、誇らしげに話す。

「こいつ、高校ン時、ボクシングでインターハイでてんの。全国ベスト8! 今じゃオカマ……」
「父ちゃん!?」

「ははは!」
「そんで、ここに連れてきてさ。父ちゃんのメシ食わせてやったわけ」

「へー」
「そしたら、『うまい!』って泣きながら言うのよ。思わずキュンとしちゃった!」

「まっすぐに思ったことすぐ言いますからね」
「そしたらね。あたしに、ケンカのやり方教えて下さいっていうのよ。なんか仇討ちしたい人がいるとかで」

「あ。体育の先生?」
「あら知ってるの?」

「あ。いえ」
「でも、だめだよっていった。凶器だからって。『それでもいいです!』って、しばらく水掛け論」

「そして……?」
「学校いって、ボクシング部にでも入れば? っていったら『はい! 分かりました! ありがとうございます!』ってさ~」

「へー」
「そしたら、顧問の先生とか、仲間が良かったんだろうね。ジムとかにも行ってたみたいだけど。どんどん上達してってさ。たまにうちの店来て報告してた」

「すごい!」
「で、今度インターハイでるっつーから、じゃもう、うちの店に来ちゃだめ。見つかったら、出場停止になるよ? って。ふふ。もっと前に言えっていう話だけどね」

「ふふ」
「しばらく来なかったんだけど、久々に来たと思ったら、泣きそうな顔してさ」

「はい」
「なんか『仇討ちの相手が奥さんに刺されて入院しちまった』ってさ」

「はい」
「なんでも、よそで子ども作ったのがバレたみたい。『オレが殺りたかったのに! オレが殺りたかったのに!』って大暴れさ」

「はい……」
「あたし、また殴っちゃったよ!『お前がやってどうすんだ!』ってさー。お客さんの前で。おかげであたしは一週間の謹慎」

「あらら」
「でも、なんか吹っ切れたのかなんなのか。性格ガラッと変わって軽くなっちゃった。捨て鉢っつうか、人生の目標。失っちゃったんだね」

 思い当たるところがあった。
 最近までの和斗はそんな感じだった。
 しかし、近頃の和斗の誠実さを思うと、そういう経緯があったのかと恵子は一人納得したのだ。

「はい」
「でもさ。最近来たときはメッチャ変わってた。なんつーか。男が一つ二つあがってた」

「へー……」

 弓美の眼差しが温かい。口角が少し上がって微笑んでいる。

「アンタの……ケイちゃんのおかげかな?」
「そんな。あたしなんか」

「ふふ」
「……ふふ」

 弓美は、またカウンターの上のビール瓶を取り、注ぎ口を恵子に向けた。

「はい、どーぞ」
「ありがとうございます」

 琥珀色の液体が店の照明でキラリキラリと光りながら注がれてゆく。
 そこに、店の入り口が開いて、冷たい空気が店の中に吹き込まれ、一人の客が入って来た。
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