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第6話
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私と角田さんの毎日が変わった。お客さんがいない時間は二人で話すようになったのだ。
それは他愛もない雑談。つけっぱなしの備え付けのテレビを見て、このお店美味しそうとか、この火事近くだとか、この映画面白そうとか。そんなのばかり。
角田さんとの共通点。二人とも愛する人に、愛の結晶を殺された。そして愛は壊れた。お互いに異性に対して不信感を持ってしまった。でもそれは一人の人間のため。
心ない恋人のせいで、二人とも愛を捨ててしまったのだ。
「角田さんがパパだったらよかったのにね。ピー子」
最近、ピー子と話す時間も少なくなってきてしまった。それは角田さんと話す時間が多くなってきたから。
ピー子を忘れたくはない。角田さんとは仕事仲間という関係なだけだ。だけど、毎日が楽しくなってきた。角田さんともっと近づきたい自分がいることもたしかなのだ。
でもそれはない。角田さんには心に大きな傷がある。私とは仲間意識というだけだ。私にもピー子が──。ピー子がいるもの。
「どうしました? 菅山さん」
「──え、いや、別に……」
「話の最中に考え事ですか。ショックだなぁ」
「い、いや、そんなんじゃないんです」
こんな軽口も言ってこられるようになった。私が言いつくろっているところに、入り口の鐘がなる。私たちは急に笑顔に切り換えて、お客さまに挨拶をした。
お客さまもはけて、21時30分。角田さんは帰りの準備をする。私はテーブルを拭いて、レジの精算をしていた。角田さんは帰り間際にいつもの挨拶をした。
「それじゃ、お先します」
「あ、お疲れさまでした」
「あと、ママさんには言ったんですけど」
「はい」
「今週の金曜日は私の誕生日でして」
「え、ああ。おめでとうございます」
「お休みを頂きます」
一瞬凍り付いた。
「あ、はい。分かりました」
「では、また明日」
角田さんは出て行ったが、私の手の動きは止まったままだった。
社会人が誕生日で休む──。しかも、角田さんは土日が休みなので三連休だ。それってつまり、女だよな。私が知らないだけで彼女がいたのだろう。誕生日をお祝いするのに旅行にでも行くのだろうか? 角田さんはもういい年齢だ。そこでプロポーズでもするのだろう──。
私はレジのお金を計算もせずに、肘を立てて考えたまま。
「なーんだ。仲間だと思ったのに。ショックだなぁ~。ねぇピー子。ママ、また一人になっちゃったよぉ……」
そのままテーブルに突っ伏して動けなくなった。私……角田さんのこと好きになってたみたいだ。
次の日。角田さんにとっては普通の日常。私にとっては眠れなかった日。目の下のくまを化粧で隠しての接客。お客さまのこない時間はテーブルに突っ伏して寝たふりをしていた。あまり角田さんとも話したくなかった。
金曜日までそんな調子。そして金曜日。私と母で19時まで普通に仕事をした。
母はなぜかクローズドの札を持って入り口に掛けに行った。
「あれ? もう閉店?」
「いいじゃない。たまには」
「うん。まぁいいか。テンションも上がんないし」
私はさっさとエプロンを外して帰り支度を始めた。
「奈々ちゃん。ちょっと待ちなよ」
「なんで? お腹すいちゃったよ。お母さんも帰ろう」
その時だった。入り口の鐘が鳴るので振り向いた。
「ハッピーバースデー!」
そう言って入って来たのは角田さん。手にはロウソクを立てたケーキがある。もう片手には三段重ねの重箱が入った風呂敷。私は目を丸くしたまま。
「スミちゃんがさぁ、ここで誕生会やりたいんだって。いいだろ? アンタもヒマだし」
母は私に笑いかける。角田さんは私にウインクした。
「これで一つ違いなだけですね。先輩」
なぜだろう。涙がこぼれた。私はトイレに駆け込んで涙を拭いた。角田さんに彼女はいなかった。そんな思いに涙が出てしまったのだ。そして呼吸を整えて、トイレから出て声を上げた。
「角田さん、ハッピーバースデー!」
三人だけの誕生会。主役が作った料理を食べてお祝いをした。ケーキを食べると母はニヤリと笑った。
「あー! そうだ。お母さん用事を思い出したぁ」
そういってそそくさと席を立つ。
「ちょっとお母さん、洗い物は?」
「用事が、用事があったんだ。あとは二人でよろしく」
ドアの鐘の音。あとは二人──。
母の言葉に真っ赤になってしまった。年甲斐もなく意識しまくり。恥ずかしい。
「ご、ごめんなさいね。変な母なんです」
「いやぁ、いいママさんじゃないですか」
「いつまでも若い気してて。歳なのに無理しちゃって」
「お二人では、このお店の経営は大変だったでしょう」
「はい──。角田さんが来て下さって助かりました」
「私もこのお店にこれてよかったです」
よかったです──。ホントに、私の心を揺さぶるのが上手な人だ。
「それは──、よかった」
「はい。よかったです」
「でもお給料低すぎでしょ?」
「そうですね。これじゃ家族ができたら養えないかな」
「か、家族? 角田さん、そんな予定があるんですか?」
聞いてしまった。結構核心を。角田さんは恋人がいるのだろうか? 作りたい家族となるべき人が……。
「いえ。今はありません」
ほっ。……としちゃいけないか。失礼だよな。
角田さんの手が……私の手に伸びる。私の胸が少女のように高鳴った。
「菅山さん。私は従業員の身ですが、あなたに恋をしてしまいました──。同じ境遇のあなたに、同じものを感じたのです。もしよかったら結婚を前提におつき合いして下さいませんか?」
私は口を開けて、呆然としてしまった。この人は家族を求めているのに。私はもう子どもを作れる年齢ギリギリだ。そんな私を好んで選ばなくても……。
でも、涙をこぼしていた。嬉しかったのだ。角田さんの気持ちが。私も彼と共に生きていきたい。
「私……もう、赤ちゃん産める年齢ギリギリですよ? 家族を作りたいなら、もっと若い人の方がいいんじゃありませんか?」
「それは、自然に任せましょう。私はあなたと一生を過ごせればいいのです。忙しい毎日を。お客さまが来ないときは、つけっぱなしのテレビを見ながら。休日はコタツに身を倒してただぐだぐだとするだけでも──、あなたとなら楽しそうだ」
私は角田さんの手を握り返した。
「それも楽しいかも知れませんね」
「でしょう?」
そんな未来もきっといい。ピー子もきっと喜んでくれるよね?
それは他愛もない雑談。つけっぱなしの備え付けのテレビを見て、このお店美味しそうとか、この火事近くだとか、この映画面白そうとか。そんなのばかり。
角田さんとの共通点。二人とも愛する人に、愛の結晶を殺された。そして愛は壊れた。お互いに異性に対して不信感を持ってしまった。でもそれは一人の人間のため。
心ない恋人のせいで、二人とも愛を捨ててしまったのだ。
「角田さんがパパだったらよかったのにね。ピー子」
最近、ピー子と話す時間も少なくなってきてしまった。それは角田さんと話す時間が多くなってきたから。
ピー子を忘れたくはない。角田さんとは仕事仲間という関係なだけだ。だけど、毎日が楽しくなってきた。角田さんともっと近づきたい自分がいることもたしかなのだ。
でもそれはない。角田さんには心に大きな傷がある。私とは仲間意識というだけだ。私にもピー子が──。ピー子がいるもの。
「どうしました? 菅山さん」
「──え、いや、別に……」
「話の最中に考え事ですか。ショックだなぁ」
「い、いや、そんなんじゃないんです」
こんな軽口も言ってこられるようになった。私が言いつくろっているところに、入り口の鐘がなる。私たちは急に笑顔に切り換えて、お客さまに挨拶をした。
お客さまもはけて、21時30分。角田さんは帰りの準備をする。私はテーブルを拭いて、レジの精算をしていた。角田さんは帰り間際にいつもの挨拶をした。
「それじゃ、お先します」
「あ、お疲れさまでした」
「あと、ママさんには言ったんですけど」
「はい」
「今週の金曜日は私の誕生日でして」
「え、ああ。おめでとうございます」
「お休みを頂きます」
一瞬凍り付いた。
「あ、はい。分かりました」
「では、また明日」
角田さんは出て行ったが、私の手の動きは止まったままだった。
社会人が誕生日で休む──。しかも、角田さんは土日が休みなので三連休だ。それってつまり、女だよな。私が知らないだけで彼女がいたのだろう。誕生日をお祝いするのに旅行にでも行くのだろうか? 角田さんはもういい年齢だ。そこでプロポーズでもするのだろう──。
私はレジのお金を計算もせずに、肘を立てて考えたまま。
「なーんだ。仲間だと思ったのに。ショックだなぁ~。ねぇピー子。ママ、また一人になっちゃったよぉ……」
そのままテーブルに突っ伏して動けなくなった。私……角田さんのこと好きになってたみたいだ。
次の日。角田さんにとっては普通の日常。私にとっては眠れなかった日。目の下のくまを化粧で隠しての接客。お客さまのこない時間はテーブルに突っ伏して寝たふりをしていた。あまり角田さんとも話したくなかった。
金曜日までそんな調子。そして金曜日。私と母で19時まで普通に仕事をした。
母はなぜかクローズドの札を持って入り口に掛けに行った。
「あれ? もう閉店?」
「いいじゃない。たまには」
「うん。まぁいいか。テンションも上がんないし」
私はさっさとエプロンを外して帰り支度を始めた。
「奈々ちゃん。ちょっと待ちなよ」
「なんで? お腹すいちゃったよ。お母さんも帰ろう」
その時だった。入り口の鐘が鳴るので振り向いた。
「ハッピーバースデー!」
そう言って入って来たのは角田さん。手にはロウソクを立てたケーキがある。もう片手には三段重ねの重箱が入った風呂敷。私は目を丸くしたまま。
「スミちゃんがさぁ、ここで誕生会やりたいんだって。いいだろ? アンタもヒマだし」
母は私に笑いかける。角田さんは私にウインクした。
「これで一つ違いなだけですね。先輩」
なぜだろう。涙がこぼれた。私はトイレに駆け込んで涙を拭いた。角田さんに彼女はいなかった。そんな思いに涙が出てしまったのだ。そして呼吸を整えて、トイレから出て声を上げた。
「角田さん、ハッピーバースデー!」
三人だけの誕生会。主役が作った料理を食べてお祝いをした。ケーキを食べると母はニヤリと笑った。
「あー! そうだ。お母さん用事を思い出したぁ」
そういってそそくさと席を立つ。
「ちょっとお母さん、洗い物は?」
「用事が、用事があったんだ。あとは二人でよろしく」
ドアの鐘の音。あとは二人──。
母の言葉に真っ赤になってしまった。年甲斐もなく意識しまくり。恥ずかしい。
「ご、ごめんなさいね。変な母なんです」
「いやぁ、いいママさんじゃないですか」
「いつまでも若い気してて。歳なのに無理しちゃって」
「お二人では、このお店の経営は大変だったでしょう」
「はい──。角田さんが来て下さって助かりました」
「私もこのお店にこれてよかったです」
よかったです──。ホントに、私の心を揺さぶるのが上手な人だ。
「それは──、よかった」
「はい。よかったです」
「でもお給料低すぎでしょ?」
「そうですね。これじゃ家族ができたら養えないかな」
「か、家族? 角田さん、そんな予定があるんですか?」
聞いてしまった。結構核心を。角田さんは恋人がいるのだろうか? 作りたい家族となるべき人が……。
「いえ。今はありません」
ほっ。……としちゃいけないか。失礼だよな。
角田さんの手が……私の手に伸びる。私の胸が少女のように高鳴った。
「菅山さん。私は従業員の身ですが、あなたに恋をしてしまいました──。同じ境遇のあなたに、同じものを感じたのです。もしよかったら結婚を前提におつき合いして下さいませんか?」
私は口を開けて、呆然としてしまった。この人は家族を求めているのに。私はもう子どもを作れる年齢ギリギリだ。そんな私を好んで選ばなくても……。
でも、涙をこぼしていた。嬉しかったのだ。角田さんの気持ちが。私も彼と共に生きていきたい。
「私……もう、赤ちゃん産める年齢ギリギリですよ? 家族を作りたいなら、もっと若い人の方がいいんじゃありませんか?」
「それは、自然に任せましょう。私はあなたと一生を過ごせればいいのです。忙しい毎日を。お客さまが来ないときは、つけっぱなしのテレビを見ながら。休日はコタツに身を倒してただぐだぐだとするだけでも──、あなたとなら楽しそうだ」
私は角田さんの手を握り返した。
「それも楽しいかも知れませんね」
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