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第4話
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その日の営業も終わって、角田さんは先に店を出る。私は火の元を確認して店の戸締まりをしようとしたところに、角田さんが恥ずかしそうに戻って来た。
「すみません。サイフを忘れまして」
「あらら」
笑ってしまった。こんな完璧そうな人が物忘れをするなんて。しばらく外で待っていると、奥から申し訳なさそうにサイフを持ちながら現れた。
いつも無愛想なくせに、本当に悪いと思ったのか鍵を閉めるまで待っていてくれた。
私たちは珍しく共に歩き出した。どうやら角田さんも同じ方向のようだ。
「スイマセンでした。夜遅いのに手間をかけさせてしまって」
「いえ。でも角田さんでもそんなミスするんですね」
「はぁ……、歳ですから」
正直驚いた。私と同じくらいに見えて歳だったとは。
「おいくつ?」
「それを聞きますか? 菅山さんよりは先輩ですよ。38です」
「え?」
40歳にして惑わずなんて誰が言った? めちゃくちゃ惑った。全然先輩じゃない。ちょ。私、何歳に見えるっていうわけ?
私は赤い顔をして唇を震わせながら聞き返した。
「ちょ、ちょっと? いくつだと思ってました?」
「え? いやー……、女性の年齢を口にするのはちょっと……。外れたら怖いし」
「いいですよ。照れるような歳でもないですし。言ってみて下さい」
「はぁ……。33、4? ですか?」
なんだとてめぇこのヤロー! 6、7歳も若く見えるだと? はは。んなわけない。
「あ、ひょっとしてもっと若かった? ですか?」
立ちくらみ──。
今までの角田さんの悪い印象が全部消えた。私、かなりチョロい。おばさんになるとこんなことで嬉しくなってしまうとは……。
「私、40歳です。先輩ですよ?」
角田さんは目を真ん丸くして道の真ん中に立ち止まってしまった。私は二歩ほど彼より前に進んで振り返る。
「え? ほ、ホントですか?」
「本当です。角田さん、上手だなぁ~」
「いやー……、おせじで言ったわけじゃないですよ。──あ、コンビニ。買い物して帰るんで。それじゃ、また明日」
角田さんは、そそくさとコンビニに入っていってしまった。なんだよ、あの動揺っぷり。本気で若く見えてたってことよね──。
まあ、今までよりは全然話せた。明日はこんな雑談してみようと、私は家路へ急いだ。顔がニヤけるよ。ちくしょう。
「はー。困っちゃうね、ピー子」
下を向いてピー子のいないお腹に語りながら家の近くにある公園の前を通り過ぎる。
どこにでもある公園だ。子どもたちが遊ぶ遊具がある。恋人たちが共に座れるベンチがある。周りは立木に囲まれ、さらにその周りは大堀があった。
その公園の入口に見覚えのある顔。しかし、くたびれた服にやつれた顔つき。昔の面影はなくなりつつあって驚いた。
「奈々──」
騰真だった。慰謝料の200万円を受け取って以来だ。私は彼の元から逃げるように地元に帰ってきて、仕事だらけの毎日。彼のことなど忘れかけていたというのに。
しかし、この風体。大概予想がついた。社長の娘とは結婚できなかったのであろう。いい気味だ。私の中にこんなゲスい気持ちがあったのは驚いた。昔の恋人なのに、ピー子の父親なのに、最大の敵。
それが人生の落伍者となっている姿を気の毒とは思えなかった。むしろ逆。なるべくしてなった未来。落ちた神罰。ざまぁ。まさにざまぁだった。
「あのぅ? どちらさま?」
知ってるけど。わざと言ってしまった。見下したかったのかも知れない。通り過ぎてしまえばよかったのに。
「ずいぶん捜したぞ。人に聞いたりして」
「それはそれは。社長自らご足労ありがとうございます」
「…………」
「あら、社長どういたしまして?」
「社長のわけないだろ。仕事もない」
「あらー。でも社長ともなるとねぇ。仕事しなくてもいいんでしょ。ではさようなら──」
私は騰真の横を通り過ぎようとしたその時、強い力で腕を掴まれた。こんなやつに腕を掴まれるいわれはない。
「やめて。離して」
「そんなこというなよ。付き合ってた頃を思い出してくれ」
「やめろって。離せ!」
「あの後、速攻で社長にバレたんだ。身辺調査されてたんだよ。だから奈々と付き合ってたことも子ども堕ろしたこともバレちまって。社長の娘なんて手のひら返したみたいな態度で、理由つけられてクビだよ。頼む。少しだけ話し聞いてくれ」
「知るわけない」
「少し。ホンの少しだけ!」
コイツが口が上手いのは知ってる。ピー子の時もそうだった。こんなやつに耳を貸す必要はない。
「あの時の200万。少しだけ返してくれないか?」
これも話術だろうか? ムカついて足を止め振り返ってしまった。あれでコイツとの仲は完全に終結したはずだ。それを返せということはまた繋がってしまう。
私とピー子はあれで新しい人生を歩んでいるんだ。
「消えろ」
「え?」
「もうアンタとは終わった。私の目の前から消えてなくなれ」
私は家へと足を進めるが、騰真は私の前に回り込んで通せんぼした。そんな騰真を私は睨みつける。
「金がないなら親にでも頼れば?」
「んなことできるか。ウチの親知ってるだろ?」
いや知らねぇ。つか、誰かに親紹介したってこと? それと勘違いしてる? 最低通り越しちゃったよ。
「親に会わせて貰ったことないけど?」
「う」
“う”ってなんだよ。お前、馬鹿かよ。
しかし騰真はスマホを片手に画面をこちらに向けた。そこには私と騰真が映っていた。隠し撮りした行為動画だったのだ。
「昔、愛し合った動画、サイトに上げちゃおうかな?」
「アンタも映ってるけど?」
「修正できるし。金さえ貰えればすぐ消すけど」
最低通り越しちゃったと思ったけど、その下があったのか。コイツどこまで人間が腐ってるんだろう。
「すみません。サイフを忘れまして」
「あらら」
笑ってしまった。こんな完璧そうな人が物忘れをするなんて。しばらく外で待っていると、奥から申し訳なさそうにサイフを持ちながら現れた。
いつも無愛想なくせに、本当に悪いと思ったのか鍵を閉めるまで待っていてくれた。
私たちは珍しく共に歩き出した。どうやら角田さんも同じ方向のようだ。
「スイマセンでした。夜遅いのに手間をかけさせてしまって」
「いえ。でも角田さんでもそんなミスするんですね」
「はぁ……、歳ですから」
正直驚いた。私と同じくらいに見えて歳だったとは。
「おいくつ?」
「それを聞きますか? 菅山さんよりは先輩ですよ。38です」
「え?」
40歳にして惑わずなんて誰が言った? めちゃくちゃ惑った。全然先輩じゃない。ちょ。私、何歳に見えるっていうわけ?
私は赤い顔をして唇を震わせながら聞き返した。
「ちょ、ちょっと? いくつだと思ってました?」
「え? いやー……、女性の年齢を口にするのはちょっと……。外れたら怖いし」
「いいですよ。照れるような歳でもないですし。言ってみて下さい」
「はぁ……。33、4? ですか?」
なんだとてめぇこのヤロー! 6、7歳も若く見えるだと? はは。んなわけない。
「あ、ひょっとしてもっと若かった? ですか?」
立ちくらみ──。
今までの角田さんの悪い印象が全部消えた。私、かなりチョロい。おばさんになるとこんなことで嬉しくなってしまうとは……。
「私、40歳です。先輩ですよ?」
角田さんは目を真ん丸くして道の真ん中に立ち止まってしまった。私は二歩ほど彼より前に進んで振り返る。
「え? ほ、ホントですか?」
「本当です。角田さん、上手だなぁ~」
「いやー……、おせじで言ったわけじゃないですよ。──あ、コンビニ。買い物して帰るんで。それじゃ、また明日」
角田さんは、そそくさとコンビニに入っていってしまった。なんだよ、あの動揺っぷり。本気で若く見えてたってことよね──。
まあ、今までよりは全然話せた。明日はこんな雑談してみようと、私は家路へ急いだ。顔がニヤけるよ。ちくしょう。
「はー。困っちゃうね、ピー子」
下を向いてピー子のいないお腹に語りながら家の近くにある公園の前を通り過ぎる。
どこにでもある公園だ。子どもたちが遊ぶ遊具がある。恋人たちが共に座れるベンチがある。周りは立木に囲まれ、さらにその周りは大堀があった。
その公園の入口に見覚えのある顔。しかし、くたびれた服にやつれた顔つき。昔の面影はなくなりつつあって驚いた。
「奈々──」
騰真だった。慰謝料の200万円を受け取って以来だ。私は彼の元から逃げるように地元に帰ってきて、仕事だらけの毎日。彼のことなど忘れかけていたというのに。
しかし、この風体。大概予想がついた。社長の娘とは結婚できなかったのであろう。いい気味だ。私の中にこんなゲスい気持ちがあったのは驚いた。昔の恋人なのに、ピー子の父親なのに、最大の敵。
それが人生の落伍者となっている姿を気の毒とは思えなかった。むしろ逆。なるべくしてなった未来。落ちた神罰。ざまぁ。まさにざまぁだった。
「あのぅ? どちらさま?」
知ってるけど。わざと言ってしまった。見下したかったのかも知れない。通り過ぎてしまえばよかったのに。
「ずいぶん捜したぞ。人に聞いたりして」
「それはそれは。社長自らご足労ありがとうございます」
「…………」
「あら、社長どういたしまして?」
「社長のわけないだろ。仕事もない」
「あらー。でも社長ともなるとねぇ。仕事しなくてもいいんでしょ。ではさようなら──」
私は騰真の横を通り過ぎようとしたその時、強い力で腕を掴まれた。こんなやつに腕を掴まれるいわれはない。
「やめて。離して」
「そんなこというなよ。付き合ってた頃を思い出してくれ」
「やめろって。離せ!」
「あの後、速攻で社長にバレたんだ。身辺調査されてたんだよ。だから奈々と付き合ってたことも子ども堕ろしたこともバレちまって。社長の娘なんて手のひら返したみたいな態度で、理由つけられてクビだよ。頼む。少しだけ話し聞いてくれ」
「知るわけない」
「少し。ホンの少しだけ!」
コイツが口が上手いのは知ってる。ピー子の時もそうだった。こんなやつに耳を貸す必要はない。
「あの時の200万。少しだけ返してくれないか?」
これも話術だろうか? ムカついて足を止め振り返ってしまった。あれでコイツとの仲は完全に終結したはずだ。それを返せということはまた繋がってしまう。
私とピー子はあれで新しい人生を歩んでいるんだ。
「消えろ」
「え?」
「もうアンタとは終わった。私の目の前から消えてなくなれ」
私は家へと足を進めるが、騰真は私の前に回り込んで通せんぼした。そんな騰真を私は睨みつける。
「金がないなら親にでも頼れば?」
「んなことできるか。ウチの親知ってるだろ?」
いや知らねぇ。つか、誰かに親紹介したってこと? それと勘違いしてる? 最低通り越しちゃったよ。
「親に会わせて貰ったことないけど?」
「う」
“う”ってなんだよ。お前、馬鹿かよ。
しかし騰真はスマホを片手に画面をこちらに向けた。そこには私と騰真が映っていた。隠し撮りした行為動画だったのだ。
「昔、愛し合った動画、サイトに上げちゃおうかな?」
「アンタも映ってるけど?」
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