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第3話
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それから3年。母の行き当たりばったりはそこそこ正解だった。
喫茶店はオフィス街を利用した、会社員、OLさん向け。朝の7時に出勤して準備をすると8時に店を開ける。モーニングが8時から9時30分まで。そこから11時まで休憩。ランチは11時から14時まで。16時まで休憩してから夜の21時30分までフル回転。22時には店を閉め、二人でフラフラになりながら帰る。土曜日は14時までで終了。日曜日はお休み。
もう毎日が大忙し。でもピー子のことを考えて気鬱になるヒマなんかなかったから却ってよかった。
母の作る、ナポリタンや塩パスタ、ハンバーグが人気。私はお持ち帰り用のコーヒーは淹れられる。原価20円を200円で売ってます。
そんな毎日を言い出しっぺの母は毎日愚痴を言っていた。
「はぁ。毎日毎日、たまんないよ。よその有閑マダムはいい老後を過ごしてんのにさぁ、アタシときたら寝るヒマ惜しんでサラリーマンとOLの相手してんだから」
たしかに65歳には辛かろう。私はトレイで顔を隠して笑っていた。
「何が可笑しいんだい。求人出しといたからね。ランチとディナーの厨房係」
「は? またそんな勝手な。じゃあお母さん、モーニングしかやらないの?」
「あとヘルプするから。厨房とウェイトレスの。そして18時には帰る」
やっぱり。いつもながらすごく勝手。
「なんか言った?」
「いーえ。こちらの話」
正直、家族経営だから愚痴とかいろいろ言えたけど、ここに人がもう一人入るのは不安だ。ピー子を失ってから親密になる人を警戒していたので。
女の人……でも気が合わなくちゃ最悪だ。母が帰った後4時間地獄じゃん。男なんてもっと最悪。今度は流されない。まあずっと年上のおじいちゃんとか、うんと若い人ならいいのかなぁ。
とにかく、女の人のほうがいいか。
「ねぇピー子。女の人のほうがいいよねぇ」
私は自分のお腹を押さえて、いつものように小さくつぶやく。あれからの習慣。何でもない日常の語りかけ。ここにはなにもいないと知っていても、心が軽くなるのだ。
そんな語りかけをしたときだった。店の入り口の扉が開く。
「いらっしゃいませー」
「すいません。求人みてきたんですけど──」
男。年の頃は同じくらいか?
とにかくあり得ないわ。母に断って貰おう。母はさっさと男の人を客席の一つに案内して面接しだしたので、手招きして呼んだ。
「ちょっとお母さん」
「どうしたの。なかなかいい人そうじゃない? 気に入った?」
「逆よ。男の人は怖いの。断って」
「なんでよ~。経験者だし、今どき18万円でやってくれる人なんていないよ?」
「じゅ、じゅ、18万? それでやってくれるの?」
「そーなのよ。もう、こんな話滅多にないわよね。即決でいいかしら? いい男だし」
たしかに。いや、いい男に言ったわけじゃない。賃金。母はそんな低給で募集してたのか。その募集に応じる、この男もなんなんだろ。野心がないのかしら。奥さん、子どもがいたらやっていけないもんね。ということは独身……かな?
「ねぇピー子。ばぁばは勝手だよねぇ。はぁ男の人かぁ」
まあ、関わらなきゃいいか。雑談と社交辞令、時候の挨拶程度でうまくやるか。
それで、その角田純平さんを雇うようになった。
料理の腕前は母どころじゃない。まさに洋食といったものを作る。母と同じ材料でだ。これにはお客さんも増加し、行列ができるほどになってしまった。
喫茶店なのに、なんか洋食屋。お菓子も上手に作るしすごい。
「すごい人だね。ピー子」
母はモーニングのグリーンサラダとゆでたまご、トーストを焼いたらほとんど仕事がなくなり、常連のおばちゃんと話すだけのマスコットおばさんに成り果てた。
「アンタよかったじゃない。いい人来てくれて」
「そうなのよ~。ホテルのシェフやってたんだってさぁ。アンタ、ナポリタン食べてかない? 絶品よ?」
「そう? じゃ頂こうかしら?」
「はいよぉ。スミちゃん! ナポリタン一丁!」
「はい!」
母の営業もすごいが、角田さんもすごい。元ホテルのシェフだったのか。そんな人が都落ちしてなんでウチで18万円で働いてるの?
「不思議な人だね。ピー子」
私はナポリタンを作る、角田さんの背中をみながらつぶやいた。
角田さんが来てくれたおかげで楽になった。母は朝の7時から18時まで。私はいつもと同じものの、水曜日は休みになった。その日は母がウエイトレスをやってくれた。
角田さんはというと、土日が休み。勤務は8時間労働としているものの出勤は10時から。それから21時30分まで11時間30分勤務してくれる。仕事が終わると荷物をまとめて私より先に店を出る。
母は楽になっただろう。18時にはニヤついて帰るだけなのだから。おそらく角田さんと私に何かを期待しているのだと思う。恋なんて諦めた私と角田さんのことを。
しかしそんなことは全くなかった。私も角田さんから何かあったらどうしようと構えていたが杞憂だった。
なぜなら母が店から出る18時から22時まで、角田さんは全く私と話さなくなる。注文には小声で応じるだけ。業務が終わると身の回りを整理して小さく「お疲れさまでした」といって帰るだけだった。
自分が話すまい、気にすまいと思ってはいたものの、向こうが話さないと逆に気苦労がある。なんせ毎日4時間一緒にいるのだ。
それが互いに何も話さない。お客さんがいるうちはいいが、いない時間帯もある。その時くらい雑談すれば気が紛れるというものだが、互いに全く話さなかった。
二人して、お客さんの入ってくるドアの方をみているだけだ。これは私の方が辛い。非常に辛い。
「角田さんって、出身はどこなんですかぁ?」
「え? はぁ。栃木です」
「へぇー。栃木のどの辺?」
「宇都宮」
「あっそぅ……」
終了。普通、そっちも聞き返してこない? いや、ここは私の店だもん当たり前か。ここが出身って知ってるもんな。
角田さん、母のことはママさんと呼び、私のことは菅山さんと呼ぶ。しかし滅多に呼ばない。なんか親密になろうという気持ちが感じられない。母とは話すけど私とは話さないなんて、私なにか嫌われることした? 普通で全然いいのに。友だちとか恋人になりたいわけじゃない。普通の仕事仲間として。それすらもしないなんて……やな感じ。
喫茶店はオフィス街を利用した、会社員、OLさん向け。朝の7時に出勤して準備をすると8時に店を開ける。モーニングが8時から9時30分まで。そこから11時まで休憩。ランチは11時から14時まで。16時まで休憩してから夜の21時30分までフル回転。22時には店を閉め、二人でフラフラになりながら帰る。土曜日は14時までで終了。日曜日はお休み。
もう毎日が大忙し。でもピー子のことを考えて気鬱になるヒマなんかなかったから却ってよかった。
母の作る、ナポリタンや塩パスタ、ハンバーグが人気。私はお持ち帰り用のコーヒーは淹れられる。原価20円を200円で売ってます。
そんな毎日を言い出しっぺの母は毎日愚痴を言っていた。
「はぁ。毎日毎日、たまんないよ。よその有閑マダムはいい老後を過ごしてんのにさぁ、アタシときたら寝るヒマ惜しんでサラリーマンとOLの相手してんだから」
たしかに65歳には辛かろう。私はトレイで顔を隠して笑っていた。
「何が可笑しいんだい。求人出しといたからね。ランチとディナーの厨房係」
「は? またそんな勝手な。じゃあお母さん、モーニングしかやらないの?」
「あとヘルプするから。厨房とウェイトレスの。そして18時には帰る」
やっぱり。いつもながらすごく勝手。
「なんか言った?」
「いーえ。こちらの話」
正直、家族経営だから愚痴とかいろいろ言えたけど、ここに人がもう一人入るのは不安だ。ピー子を失ってから親密になる人を警戒していたので。
女の人……でも気が合わなくちゃ最悪だ。母が帰った後4時間地獄じゃん。男なんてもっと最悪。今度は流されない。まあずっと年上のおじいちゃんとか、うんと若い人ならいいのかなぁ。
とにかく、女の人のほうがいいか。
「ねぇピー子。女の人のほうがいいよねぇ」
私は自分のお腹を押さえて、いつものように小さくつぶやく。あれからの習慣。何でもない日常の語りかけ。ここにはなにもいないと知っていても、心が軽くなるのだ。
そんな語りかけをしたときだった。店の入り口の扉が開く。
「いらっしゃいませー」
「すいません。求人みてきたんですけど──」
男。年の頃は同じくらいか?
とにかくあり得ないわ。母に断って貰おう。母はさっさと男の人を客席の一つに案内して面接しだしたので、手招きして呼んだ。
「ちょっとお母さん」
「どうしたの。なかなかいい人そうじゃない? 気に入った?」
「逆よ。男の人は怖いの。断って」
「なんでよ~。経験者だし、今どき18万円でやってくれる人なんていないよ?」
「じゅ、じゅ、18万? それでやってくれるの?」
「そーなのよ。もう、こんな話滅多にないわよね。即決でいいかしら? いい男だし」
たしかに。いや、いい男に言ったわけじゃない。賃金。母はそんな低給で募集してたのか。その募集に応じる、この男もなんなんだろ。野心がないのかしら。奥さん、子どもがいたらやっていけないもんね。ということは独身……かな?
「ねぇピー子。ばぁばは勝手だよねぇ。はぁ男の人かぁ」
まあ、関わらなきゃいいか。雑談と社交辞令、時候の挨拶程度でうまくやるか。
それで、その角田純平さんを雇うようになった。
料理の腕前は母どころじゃない。まさに洋食といったものを作る。母と同じ材料でだ。これにはお客さんも増加し、行列ができるほどになってしまった。
喫茶店なのに、なんか洋食屋。お菓子も上手に作るしすごい。
「すごい人だね。ピー子」
母はモーニングのグリーンサラダとゆでたまご、トーストを焼いたらほとんど仕事がなくなり、常連のおばちゃんと話すだけのマスコットおばさんに成り果てた。
「アンタよかったじゃない。いい人来てくれて」
「そうなのよ~。ホテルのシェフやってたんだってさぁ。アンタ、ナポリタン食べてかない? 絶品よ?」
「そう? じゃ頂こうかしら?」
「はいよぉ。スミちゃん! ナポリタン一丁!」
「はい!」
母の営業もすごいが、角田さんもすごい。元ホテルのシェフだったのか。そんな人が都落ちしてなんでウチで18万円で働いてるの?
「不思議な人だね。ピー子」
私はナポリタンを作る、角田さんの背中をみながらつぶやいた。
角田さんが来てくれたおかげで楽になった。母は朝の7時から18時まで。私はいつもと同じものの、水曜日は休みになった。その日は母がウエイトレスをやってくれた。
角田さんはというと、土日が休み。勤務は8時間労働としているものの出勤は10時から。それから21時30分まで11時間30分勤務してくれる。仕事が終わると荷物をまとめて私より先に店を出る。
母は楽になっただろう。18時にはニヤついて帰るだけなのだから。おそらく角田さんと私に何かを期待しているのだと思う。恋なんて諦めた私と角田さんのことを。
しかしそんなことは全くなかった。私も角田さんから何かあったらどうしようと構えていたが杞憂だった。
なぜなら母が店から出る18時から22時まで、角田さんは全く私と話さなくなる。注文には小声で応じるだけ。業務が終わると身の回りを整理して小さく「お疲れさまでした」といって帰るだけだった。
自分が話すまい、気にすまいと思ってはいたものの、向こうが話さないと逆に気苦労がある。なんせ毎日4時間一緒にいるのだ。
それが互いに何も話さない。お客さんがいるうちはいいが、いない時間帯もある。その時くらい雑談すれば気が紛れるというものだが、互いに全く話さなかった。
二人して、お客さんの入ってくるドアの方をみているだけだ。これは私の方が辛い。非常に辛い。
「角田さんって、出身はどこなんですかぁ?」
「え? はぁ。栃木です」
「へぇー。栃木のどの辺?」
「宇都宮」
「あっそぅ……」
終了。普通、そっちも聞き返してこない? いや、ここは私の店だもん当たり前か。ここが出身って知ってるもんな。
角田さん、母のことはママさんと呼び、私のことは菅山さんと呼ぶ。しかし滅多に呼ばない。なんか親密になろうという気持ちが感じられない。母とは話すけど私とは話さないなんて、私なにか嫌われることした? 普通で全然いいのに。友だちとか恋人になりたいわけじゃない。普通の仕事仲間として。それすらもしないなんて……やな感じ。
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