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クソ親父がガンになって(笑)
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少しばかり昔語りをさせてくれ。
タイトルは正直、余所さまから見れば不快かも知れない。
だがあえて言おう。
オレは親父が嫌いだった──。
親父は豪放磊落と言えば聞こえがいいが、短慮で手が早い。
小さい頃から何度ぶん殴られたことだろう。
十一月の寒空に、外にある石の上に裸足で立たされ、雪が降る中鼻血を出していたのが今でも思い出される。
箸の持ち手で思い切り頭を叩かれたこともあった。
夜遅くに飲み友達を連れてきて、母親に給仕をさせる。
母は父よりも朝が早いが、飲んだくれてしまった父に代わって、飲み友達を家に送り、帰ってきて父を介抱してからの就寝。可哀相だった。
兄も跡取りと言うことで、オレなんかより厳しく育てられ、結果内気な少年となり、高校卒業後は家から遠く離れた土地に移り住んでしまった。
オレはと言うと、とっととこの家から出たくて兄同様、成人したら他所に移って婿入りした。
妹は家に残ってはいたが、これも結婚して出ていった。
家に残ったのは、クソ親父と母親だけ。
母親だけが心残りだった。クソ親父なんてとっととおっ死んで保険金で母親を楽させろと本気で思っていた。
「男なら泣くな。男が泣くときは母親が死んだときだけだ」
泣き虫なオレにしょっちゅう言っていたあのセリフ。
おうよ。オレが泣くのは母親のためだけだ。
お前が死んだところで泣くもんかよ。
却って笑ってやるわ。クソが。
やがて子供も出来て、母親に孫を見せるために帰省した。
クソ親父は、笑顔なんだか何なんだか分からないような顔をしていた。くすぐったいような、触りたいような、触ったら壊れちまうんじゃねえかって顔。
おいおい。オレたちを抱いてきたんじゃねえのか?
いや、あんたはそんな暇なかったな。
安月給だったくせに日曜しか休みのねぇ会社。
12月31日のギリギリまで働く会社だったもんな。
まぁ、あんたと顔を会わせなくてすむからちょうどよかったけどな。毎月の給料日にはあんたの大好きな鰹の刺身。何がいいんだか。オレはマグロとか肉とかの方が好きだったんだよ。
安い赤身なんて、あんたの人生を物語るようだけどよ。
「こんなに子供って声がでかかったのかァ」
馬鹿じゃねぇの?
そんなことも知らねぇからオレたち兄弟のことなんてまるで知るわけねぇ。
意味もなく体罰を加えて来てたあんたにはよ。
「あのなぁ。タゲ」
は? オレの名前はタケノリってんだよ。
なんだ。「タゲ」って。自らつけた名前を間違うな。ボケ。
「お父さんな、この前の検診でガンが見つかったんだ」
「……え?」
──そうかよ。
まさに天網恢々粗にしてもらさずとはこのことだよ。
因果応報。子供たちに嫌われて、母親をぞんざいに扱った酬いがとうとう来たわけだ。
「……まぁ、手術してとれないこともないってはなしだけどなぁ」
なんだその弱気。
いやいやいやいや。見たくないんですけどぉ~?
死ぬなら死ぬで、花火のようにパッと散って下さいよ。
「いや~。ノボルちゃんは最後まで粋だったねぇ」
って言われて下さいよ~。
バッカみてぇ。
男ならそんな弱音を吐くべきじゃねぇ。
腹に爆弾抱えたまま、潔く死ぬ。
そんな侍みてえなのがカッコいいんじゃねぇか。
後日。親父の病室にはオレが一人。
母親も兄も妹もいない。
オレは高速道路130キロの距離を走って、弱ったクソ親父の顔を見に来てやっていた。
「弱ってるじゃねーか」
そんなオレの言葉に力なく笑う。
「……んだな」
「フン。酒の飲みすぎだ。大好きな酒飲み続けてガンになったんだ。好きな相手に手痛い平手打ち食らったようなもんだろ」
「クス……。そーだな」
おいおい。皮肉なんですけど?
皮肉かジョークかも分からねーのかよ。
やっぱ、こいつクソ親父だわ。
「ま、体力あるからすぐ手術だわな。平日は来れねーから、これでも持ってろ」
「……御守りか」
「こんなのでも千円するんだわ。高速代、ガソリン代。面倒くせぇ病気になりやがって」
「……悪ィなぁ」
何だそりゃ。いつもみてえに食ってかかってくることを想定してたから拍子抜け。
「兄貴はこっちに帰ってきて、仕事も決まったらしいよ。忙しいし、家に誰もいねぇから留守番」
「そうか。アイツ帰ってきたか……」
「ちょうど同じ時期に、妹の美香が双子の切迫早産で入院するなんてな。母さんもそっちいってんだろ?」
「ああ……。双子の孫か……見て見てえなぁ」
「オレ、この後に美香の入院先にも行くんだわ。プリン買ってきて欲しいって言われたんだ」
「もう帰るのか?」
「当たり前だろ? いつまでもそんな辛気くさい顔見てられねぇ」
それに病人を疲れさせちゃダメだろ。
常識知らずめ。
数週間の入院。そして手術。
手術の日は平日なので、会社にいた。
あんな親父の手術の立合なんてしたくもねぇし。
その週の日曜。
オレは病院に向かっていた。
クソ親父の病室へ。
「オッス」
「おお。タゲ」
「よかったな。手術成功して」
親父の手術は成功した。
ガンの部分を切除できた。
オレの言葉を受けて、親父は寝ながらこちらに首を向けて一筋の涙をこぼした。
「よかった……」
「おいおい。もういい加減長生きしたろ。もっと生きたいのかよ」
「これでまた孫の顔が見れる」
そう言って笑う顔。
まったく馬鹿らしい。
人騒がせにもほどがある。
ガンとはいえ、早期も早期でとってしまってからというもの再発もなく今でも元気に生きている。
入院中に、外出許可をもらったその足で美香の双子を見に行き、80近くなってしまった伯母。すなわち父の姉にこっぴどく叱られ、しゅんとした顔をしていた入院先に戻った話にはさすがにウケた。
ああ。このクソ親父はまだまだ長生きするわ。
憎まれっ子世にはばかるだ。
せいぜい長生きして孫たちに年金から小遣いを捻出してくれ。
それくらいだよ。あんたが生きていい価値は。
読者の皆さんには申し訳ないが無駄にCo2を吐き出す生き物が生き長らえたことをお許し願いたい。
まぁもうすぐ。あとわずかだ。
あれから好きな酒量を減らし、毎日のウオーキング。
シルバー人材センターで働いて小金を稼いでる。
まったく憐れでならない。
終戦の年の終戦の月に生まれ、9歳で父親を亡くし、11歳で母親を亡くした。
それから姉と二人で家を切り盛りし、みんなが修学旅行に行くときには積立金もなく行けなかったらしい。
それでも、自分より貧しいやつがいたらしく、そいつのために修学旅行行けなかったメンバーで5円ずつ出し合って校庭でキャンプファイヤーをした。
そんなのがいい思い出──?
あのなぁ。生きてりゃもっといい思い出が作れるんだよ。
ちっぽけなあんたから三人の子供。それから五人の孫。喜寿にはそいつら連れて温泉にでも行くんだ。
大好きな鰹の刺身を摘まみながら、そん時くらいいい酒を飲めよ。
オレはあんたが死んでも泣かないよ。
もうガンの話を聞いたときに泣いちまったからよ。
次に泣くのは母親のためだけにしておくよ。
クソが。
タイトルは正直、余所さまから見れば不快かも知れない。
だがあえて言おう。
オレは親父が嫌いだった──。
親父は豪放磊落と言えば聞こえがいいが、短慮で手が早い。
小さい頃から何度ぶん殴られたことだろう。
十一月の寒空に、外にある石の上に裸足で立たされ、雪が降る中鼻血を出していたのが今でも思い出される。
箸の持ち手で思い切り頭を叩かれたこともあった。
夜遅くに飲み友達を連れてきて、母親に給仕をさせる。
母は父よりも朝が早いが、飲んだくれてしまった父に代わって、飲み友達を家に送り、帰ってきて父を介抱してからの就寝。可哀相だった。
兄も跡取りと言うことで、オレなんかより厳しく育てられ、結果内気な少年となり、高校卒業後は家から遠く離れた土地に移り住んでしまった。
オレはと言うと、とっととこの家から出たくて兄同様、成人したら他所に移って婿入りした。
妹は家に残ってはいたが、これも結婚して出ていった。
家に残ったのは、クソ親父と母親だけ。
母親だけが心残りだった。クソ親父なんてとっととおっ死んで保険金で母親を楽させろと本気で思っていた。
「男なら泣くな。男が泣くときは母親が死んだときだけだ」
泣き虫なオレにしょっちゅう言っていたあのセリフ。
おうよ。オレが泣くのは母親のためだけだ。
お前が死んだところで泣くもんかよ。
却って笑ってやるわ。クソが。
やがて子供も出来て、母親に孫を見せるために帰省した。
クソ親父は、笑顔なんだか何なんだか分からないような顔をしていた。くすぐったいような、触りたいような、触ったら壊れちまうんじゃねえかって顔。
おいおい。オレたちを抱いてきたんじゃねえのか?
いや、あんたはそんな暇なかったな。
安月給だったくせに日曜しか休みのねぇ会社。
12月31日のギリギリまで働く会社だったもんな。
まぁ、あんたと顔を会わせなくてすむからちょうどよかったけどな。毎月の給料日にはあんたの大好きな鰹の刺身。何がいいんだか。オレはマグロとか肉とかの方が好きだったんだよ。
安い赤身なんて、あんたの人生を物語るようだけどよ。
「こんなに子供って声がでかかったのかァ」
馬鹿じゃねぇの?
そんなことも知らねぇからオレたち兄弟のことなんてまるで知るわけねぇ。
意味もなく体罰を加えて来てたあんたにはよ。
「あのなぁ。タゲ」
は? オレの名前はタケノリってんだよ。
なんだ。「タゲ」って。自らつけた名前を間違うな。ボケ。
「お父さんな、この前の検診でガンが見つかったんだ」
「……え?」
──そうかよ。
まさに天網恢々粗にしてもらさずとはこのことだよ。
因果応報。子供たちに嫌われて、母親をぞんざいに扱った酬いがとうとう来たわけだ。
「……まぁ、手術してとれないこともないってはなしだけどなぁ」
なんだその弱気。
いやいやいやいや。見たくないんですけどぉ~?
死ぬなら死ぬで、花火のようにパッと散って下さいよ。
「いや~。ノボルちゃんは最後まで粋だったねぇ」
って言われて下さいよ~。
バッカみてぇ。
男ならそんな弱音を吐くべきじゃねぇ。
腹に爆弾抱えたまま、潔く死ぬ。
そんな侍みてえなのがカッコいいんじゃねぇか。
後日。親父の病室にはオレが一人。
母親も兄も妹もいない。
オレは高速道路130キロの距離を走って、弱ったクソ親父の顔を見に来てやっていた。
「弱ってるじゃねーか」
そんなオレの言葉に力なく笑う。
「……んだな」
「フン。酒の飲みすぎだ。大好きな酒飲み続けてガンになったんだ。好きな相手に手痛い平手打ち食らったようなもんだろ」
「クス……。そーだな」
おいおい。皮肉なんですけど?
皮肉かジョークかも分からねーのかよ。
やっぱ、こいつクソ親父だわ。
「ま、体力あるからすぐ手術だわな。平日は来れねーから、これでも持ってろ」
「……御守りか」
「こんなのでも千円するんだわ。高速代、ガソリン代。面倒くせぇ病気になりやがって」
「……悪ィなぁ」
何だそりゃ。いつもみてえに食ってかかってくることを想定してたから拍子抜け。
「兄貴はこっちに帰ってきて、仕事も決まったらしいよ。忙しいし、家に誰もいねぇから留守番」
「そうか。アイツ帰ってきたか……」
「ちょうど同じ時期に、妹の美香が双子の切迫早産で入院するなんてな。母さんもそっちいってんだろ?」
「ああ……。双子の孫か……見て見てえなぁ」
「オレ、この後に美香の入院先にも行くんだわ。プリン買ってきて欲しいって言われたんだ」
「もう帰るのか?」
「当たり前だろ? いつまでもそんな辛気くさい顔見てられねぇ」
それに病人を疲れさせちゃダメだろ。
常識知らずめ。
数週間の入院。そして手術。
手術の日は平日なので、会社にいた。
あんな親父の手術の立合なんてしたくもねぇし。
その週の日曜。
オレは病院に向かっていた。
クソ親父の病室へ。
「オッス」
「おお。タゲ」
「よかったな。手術成功して」
親父の手術は成功した。
ガンの部分を切除できた。
オレの言葉を受けて、親父は寝ながらこちらに首を向けて一筋の涙をこぼした。
「よかった……」
「おいおい。もういい加減長生きしたろ。もっと生きたいのかよ」
「これでまた孫の顔が見れる」
そう言って笑う顔。
まったく馬鹿らしい。
人騒がせにもほどがある。
ガンとはいえ、早期も早期でとってしまってからというもの再発もなく今でも元気に生きている。
入院中に、外出許可をもらったその足で美香の双子を見に行き、80近くなってしまった伯母。すなわち父の姉にこっぴどく叱られ、しゅんとした顔をしていた入院先に戻った話にはさすがにウケた。
ああ。このクソ親父はまだまだ長生きするわ。
憎まれっ子世にはばかるだ。
せいぜい長生きして孫たちに年金から小遣いを捻出してくれ。
それくらいだよ。あんたが生きていい価値は。
読者の皆さんには申し訳ないが無駄にCo2を吐き出す生き物が生き長らえたことをお許し願いたい。
まぁもうすぐ。あとわずかだ。
あれから好きな酒量を減らし、毎日のウオーキング。
シルバー人材センターで働いて小金を稼いでる。
まったく憐れでならない。
終戦の年の終戦の月に生まれ、9歳で父親を亡くし、11歳で母親を亡くした。
それから姉と二人で家を切り盛りし、みんなが修学旅行に行くときには積立金もなく行けなかったらしい。
それでも、自分より貧しいやつがいたらしく、そいつのために修学旅行行けなかったメンバーで5円ずつ出し合って校庭でキャンプファイヤーをした。
そんなのがいい思い出──?
あのなぁ。生きてりゃもっといい思い出が作れるんだよ。
ちっぽけなあんたから三人の子供。それから五人の孫。喜寿にはそいつら連れて温泉にでも行くんだ。
大好きな鰹の刺身を摘まみながら、そん時くらいいい酒を飲めよ。
オレはあんたが死んでも泣かないよ。
もうガンの話を聞いたときに泣いちまったからよ。
次に泣くのは母親のためだけにしておくよ。
クソが。
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