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第63話 猫の先生
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「あめんぼあかいなあいうえお~」
部屋に帰って滑舌の練習。やったことないから見よう見まね。
「ねぎ、くぎ、さぎ、くぎ、おぎ、こぎ……次なんだっけ」
もはや、そんな滑舌の練習があるかも分からないものまででてくる。人前でやるから必死だ。若い保育士の方々に笑われたらどうしよう。
しかも、麗がいるかもしれない。
あの日はとうとう麗は出て来なかった。多分、別の出口から出たのに待っていたのは相当マヌケなオレ。
あの強引な保育士には練習の時間を下さいと言っておいた。
でも、麗に会いたいがために少しばかり練習するとメールで明日でも明後日でもいいですよ。と送信してしまった。
それに対して返信が来る。
「では、三日後の金曜日、11時からでいかがですか?」
特段予定はない。二つ返事でオーケーの送信。
それからテンションが上がりすぎて、「あめんぼあかいなあいうえお」を甲子園のテーマで歌ってしまった。
そしてあっという間に金曜日。
片手にスケッチブックと絵本を抱えてコンビニの二階にある保育所へ。
中に入るとけたたましい幼児の声。
「あの~。おさかなたいしですが」
「あ、先生、お待ちしてました! 副園長からお話しうかがってましたよ~」
近づいて迎えてくれたのは人の良さそうな若い保育士。
奥に保育士の塊がある。そこを目をこらしてみてみるが、麗の姿はなかった。
「あの。須藤麗先生はお休みですか?」
「ストウレイ先生? ああ、今週頭に来た実習の専門生ですね。もともとこちらに勤務ではありませんので」
「実習生?」
「ええ。まだ学生さんですよ」
「そうですか」
気持ちが落ちた。でも落ち込んではいられない。
そもそも、あの時の声はやはり麗だったのだ。
次第にニヤけるオレの顔。回りから見ればかなりキモいだろう。
だが、麗があの時に近くにいたことは嬉しかった。
オレは保育士の案内で快く中に迎えられ、園児たちも拍手をしてくれた。
途端に緊張。相手は子供とは言え、大勢の前で朗読。
心臓のドキドキという音が聞こえる。
ここには一人も知り合いがいないのだ。
麗がいないことで多少テンションが落ちたこともあって、自信が削げ落ちそうになる。
だがやらなくては。男の顔。男の顔。
彼らの前に用意されていた小さな机。そこに絵本の表紙を見えるように置き小さなイスに腰を下ろした。
「小さいお友だちのみんな。こんにちは。この絵本を書いた、おさかなたいしと言います」
「うふふ。お魚さんだ」
小さい幼児たちが口を押さえて笑う。
オレもじんわりと温かいものが込み上げるようで嬉しくなりフッと笑顔になった。
「そう。お魚さん。猫の大好物なんだ」
「うふふ」
「この前ね、猫の先生も来たの」
「え?」
麗のことだ。麗のこと。
子供たちも麗のことを猫のように感じたんだろう。
オレはますます嬉しくなって子供たちと話し始めた。
「へー。そうなんだ」
「かわいい先生」
「猫みたい」
「そう。猫。猫」
「この本にもこねこくんが登場します。みんな知ってるかな?」
「知ってるよ。あーちゃん知ってる」
「ドロボウなんだよ」
「違うよ。いいこねこなんだよ」
「ごめんなさいしたの」
「そう。こねことお魚のボクの家族になる話なんだ。みんな。聞いてください」
オレは小さな観客たちに向けて、大きな声の調子で本を読み始めた。
自分で書いた本だ。ほとんど暗記してるから、本を見なくても読める。
「『ボクとこねことおおかみと』え・ぶん おさかなたいし」
その時、保育園の引き戸がカラリと音を立てて開く。
子供たちも本から目を離して音がしたそちらを向く。お迎えの保護者かも知れない。
本の後ろから顔を上げると、それは麗だった。
麗だった──。
部屋に帰って滑舌の練習。やったことないから見よう見まね。
「ねぎ、くぎ、さぎ、くぎ、おぎ、こぎ……次なんだっけ」
もはや、そんな滑舌の練習があるかも分からないものまででてくる。人前でやるから必死だ。若い保育士の方々に笑われたらどうしよう。
しかも、麗がいるかもしれない。
あの日はとうとう麗は出て来なかった。多分、別の出口から出たのに待っていたのは相当マヌケなオレ。
あの強引な保育士には練習の時間を下さいと言っておいた。
でも、麗に会いたいがために少しばかり練習するとメールで明日でも明後日でもいいですよ。と送信してしまった。
それに対して返信が来る。
「では、三日後の金曜日、11時からでいかがですか?」
特段予定はない。二つ返事でオーケーの送信。
それからテンションが上がりすぎて、「あめんぼあかいなあいうえお」を甲子園のテーマで歌ってしまった。
そしてあっという間に金曜日。
片手にスケッチブックと絵本を抱えてコンビニの二階にある保育所へ。
中に入るとけたたましい幼児の声。
「あの~。おさかなたいしですが」
「あ、先生、お待ちしてました! 副園長からお話しうかがってましたよ~」
近づいて迎えてくれたのは人の良さそうな若い保育士。
奥に保育士の塊がある。そこを目をこらしてみてみるが、麗の姿はなかった。
「あの。須藤麗先生はお休みですか?」
「ストウレイ先生? ああ、今週頭に来た実習の専門生ですね。もともとこちらに勤務ではありませんので」
「実習生?」
「ええ。まだ学生さんですよ」
「そうですか」
気持ちが落ちた。でも落ち込んではいられない。
そもそも、あの時の声はやはり麗だったのだ。
次第にニヤけるオレの顔。回りから見ればかなりキモいだろう。
だが、麗があの時に近くにいたことは嬉しかった。
オレは保育士の案内で快く中に迎えられ、園児たちも拍手をしてくれた。
途端に緊張。相手は子供とは言え、大勢の前で朗読。
心臓のドキドキという音が聞こえる。
ここには一人も知り合いがいないのだ。
麗がいないことで多少テンションが落ちたこともあって、自信が削げ落ちそうになる。
だがやらなくては。男の顔。男の顔。
彼らの前に用意されていた小さな机。そこに絵本の表紙を見えるように置き小さなイスに腰を下ろした。
「小さいお友だちのみんな。こんにちは。この絵本を書いた、おさかなたいしと言います」
「うふふ。お魚さんだ」
小さい幼児たちが口を押さえて笑う。
オレもじんわりと温かいものが込み上げるようで嬉しくなりフッと笑顔になった。
「そう。お魚さん。猫の大好物なんだ」
「うふふ」
「この前ね、猫の先生も来たの」
「え?」
麗のことだ。麗のこと。
子供たちも麗のことを猫のように感じたんだろう。
オレはますます嬉しくなって子供たちと話し始めた。
「へー。そうなんだ」
「かわいい先生」
「猫みたい」
「そう。猫。猫」
「この本にもこねこくんが登場します。みんな知ってるかな?」
「知ってるよ。あーちゃん知ってる」
「ドロボウなんだよ」
「違うよ。いいこねこなんだよ」
「ごめんなさいしたの」
「そう。こねことお魚のボクの家族になる話なんだ。みんな。聞いてください」
オレは小さな観客たちに向けて、大きな声の調子で本を読み始めた。
自分で書いた本だ。ほとんど暗記してるから、本を見なくても読める。
「『ボクとこねことおおかみと』え・ぶん おさかなたいし」
その時、保育園の引き戸がカラリと音を立てて開く。
子供たちも本から目を離して音がしたそちらを向く。お迎えの保護者かも知れない。
本の後ろから顔を上げると、それは麗だった。
麗だった──。
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