紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範

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第57話 襲撃

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 白い玉は紀伊国屋屋敷の天井を突き抜け、空に飛び上がる。

『見つけた。あそこだね。奈良屋茂左衛門!』

 白い玉は、回転しながら江戸の町を滑空して、奈良屋の屋敷へと落ちてゆく。侵入など簡単なことだ。もう自分には、遮断するものを突き抜ける能力がある。

 奈良屋屋敷の天井を通過して、奈良屋茂左衛門と対峙する。奈良茂は、それがなにかわからない。

「なんだこれは? 白い……玉?」
『初めまして。間抜け面』

「は! しゃべった!」

 奈良茂は面くらって、後ろに倒れ込む。その刹那、後ろにあった壁が倒壊しでしまった。白い玉は、衝撃波を飛ばしたのだ。それは、力強く、分厚い。まともに食らえば即死してしまうだろう。

『運のいいこと! 東照宮改築も、その運で受けたと思っているようだが、あれは宿主を食い殺す寄生虫さね!!』

 それは黒い箱のこと。白い玉は黒い箱に並々ならぬ恨みがあることを見てとれる。
 しかし奈良茂にはその意味が分からない。這いつくばって逃げようとするものの、白い玉は浮いたまま力を放つと、周りの障子や襖がすっ飛んで倒れ、奈良茂のいる部屋は柱だけの丸裸。
 驚いて使用人たちが駆け付けるものの、輝く白い玉に怯え平伏すばかりだった。

『そこにいるんだろう、寄生虫! 出ておいで!』

 とたんに、奈良茂の黒紋付は破れ、懐から黒い箱が転がったが、体勢を整えて白い玉に文字の面を向ける。

『笑笑笑笑』

 笑っている。白い玉はその文字に激怒した。

『いつまで笑っていられるかしらね? 私は巨大な生命力を得て神となったのよ! 屋敷ごと死ねィ!』

 白い玉は力を放ったが、黒い箱はそれを見えない壁を作り出してガードし、収めてしまう。
 これは、奈良茂が以前に両足の小指で願ったものである。自分の力を封じられて白い玉はさらに憤怒した。

 白い玉はスッと浮き上がり天井を突き抜ける。そして、力を込めると、その表面は水に溶かした絵の具のような紋様が現れる。
 赤黒く、血を溶かしたように──。
 だがそれで終わりではなかった。その赤黒さも、赤みを失い、次第に真っ黒に染まってゆく。さながら『黒い玉』であった。

『今こそ神なる力で天誅を与えん! 滅びよ!!』

 黒い玉から、地上に夥しい衝撃波が届く。それは奈良屋の屋敷を潰し、江戸の町を大きく揺らした。





 時に元禄十六年十一月二十三日。
 元禄地震である──。マグニチュード8超、強いところは震度7。相模トラフ大地震と伝えられ、倒壊した建物は万を越え、江戸近隣の沿岸部には津波が押し寄せ、多くの建物や人を流してしまった。
 死者は約七千。辺りでは出火も起き、江戸の町は大きな被害を受けたのであった。

 砂煙と人々の悲痛な声が巻き起こる中、黒くなった白い玉は大きく喘いでいた。そして笑い出す。

『ハァハァハァ。……ふふふふ。やった! やったぞ! これぞ神なる力!』

 黒くなった表面の色が、徐々に白に戻っていく。だが白い玉は気付いた。

『ん? まだ奈良屋茂左衛門の生命反応がある。しかも、傷を負っていない! あの蛆虫め!』

 叫んだところで、大きく下からカツーンと突かれる。まるでビリヤードの球のように大空に弾かれたがこらえてそこを確認すると、黒い箱の追撃であった。

『呵呵大笑』

 ハッとして白い玉は怒りに燃える。

『クソ! クソ! クソ! 殺してやる! 殺してやる!』

 しばし、空中戦である。白い玉はお返しのように黒い箱にぶつかろうとするが、黒い箱は笑って避けてしまう。さながら遊ぶ蝶である。
 白い玉は作戦を思い直して、黒い箱に近付いて、怨念を込めて衝撃波を送った。

 それは、今までのように面の衝撃波ではない。点の衝撃波。黒い箱のサイズの黒い箱を消し飛ばすための攻撃だ。

 神と同じ力を得たためか、それは黒い箱に直撃し、黒い箱は大空の彼方へと消える。
 この攻撃により、黒い箱は余りにも離れてしまい、奈良茂の防衛は消え去った。黒い箱との契約は一方的に解除されたのだ。

『はっはっはっは! ざまぁ……。ざまぁみろ! これぞ、私の本来の力なのだ! 二度と私の前にツラを出すな!』

 それは負け惜しみに似た遠吠えのようだ。遠くへと飛ばしはしたものの、黒い箱を破壊できなかった。
 だからこそ、この溜飲を下げるために江戸の町を向き直る。

『コイツら全員皆殺しにしてやる。奈良屋も文吉も、みんなみんな私の敵だ! 滅びよ!!』

 白い玉の表面が、赤から黒へと変わる。





 その時だった。

『な、なんだ?』

 黒い玉となった白い玉が止まる。そして、表面の色も薄くなり、激しく輝く色もうっすらと消え、僅かに点滅する程度である。

『く、くぬぅ! 熊吉! 手向かいするか!』

 白い玉はおおきく体を揺らして、もう一度力を貯めようとする。
 しかしダメ。まるで下から掴まれて引きずり込まれるように落ちてゆく。

『こ、こやつ! 私の食糧のクセに! ただの栄養のクセして──』

 白い玉は加速して落ちてゆき、やがて大きな屋敷の中へと落ちる。
 その屋敷は半壊しており、狭い通路の中で身動きできない二人がそこにいた。

 まさに、文吉と几帳であった。
 文吉の少し離れたところに白い玉がある。文吉は熊吉を食われた恨みを叫ぼうとしたが、白い玉のほうから話し掛けられた。

『よおゥ。義兄。挟まれて難儀してやがんな。ちょっと待ってろ。今、手を貸してやるぞ』

 白い玉が力を込めると、辺りが倒壊して、二人は何とか抜け出せる状態となった。
 文吉は叫ぶ。

「熊吉! 熊吉か!?」

 それに、白い玉は発光してから答えた。

『そうだ。だが長い間は話せない。俺はこの玉を遠くに捨ててくるからよ』

 文吉は泣き出してしまい、声を出そうとするが出て来ない。ただ、ただ、白い玉へと手を伸ばすだけだ。
 几帳も、その声にもう熊吉とは会えないことを悟った。

『几帳』
「はい」

『そんなに泣くな。別嬪な顔が台無しだ』
「だって、だって……」

『すまねぇ。一緒にはなられねぇ』
「ああ……!」

 そこに崩れ落ちてしまう几帳。しかし熊吉の声を出す白い玉は少しずつ浮き上がる。

『二人とも俺の分まで生きてくれよ。達者でな』

 白い玉の光が増してゆく。

『几帳──。来世があるなら、そこで一緒になろうな!』

 そう言い残すと、白い玉は猛スピードで上空へと飛び上がり、奥多摩の山中へと墜落した。
 深く、深く、地中へと──。
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