紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範

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第49話 愛する人の相手

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 奈良茂は大金を使ってハラハラするわ、几帳太夫を待ってドキドキするわである。
 襖が開いた! と思うと酒と料理を持ってきた女中。開いた! と思うと幇間と芸妓であった。

 幇間はお座敷を盛り上げようと、声を張る。

「さァ! 旦那、本日は楽しんで参りましょゥ!」

 幇間は楽しげな芸をして、芸妓は三味線と太鼓、笛などを鳴らして座敷を盛り上げる。
 奈良茂は、これが何両、これで何両と野暮な計算をしながら、几帳のお出ましを心待ちにしていた。

 そうして幾分時間が経った後、廊下にチリーン、チリーンと鈴の音が鳴る。几帳太夫の袋帯につけられた鈴の涼しげな音である。
 奈良茂は慌てて座布団に座り直す。幇間や芸妓も座り直して曲をやめた。

 そうすると、上座の襖がスッと開いて禿が二人、すまし顔で入ってくる。続いて希代の傾城、几帳太夫が白塗りの顔で威厳を保ちながら入って来た。
 それにあわせて、幇間は帯を叩き調子をとる。

「〽️立てばァ芍薬ゥ 座ればァ牡丹ンン 歩く姿はァ 百合の花ァ」

 太夫を讃える都々逸が歌われる。それが終わると、几帳は奈良茂に流し目を送った。

「奈良茂さま。ようこそ、おいでなんしィ」

 これには奈良茂、声も出ない。一日千秋の思いで待ちわびた几帳太夫との再会である。しかも名前を呼んでくれた。

「そうそう。先日は美味しいお差し入れを頂戴いたしんした。粋な贈り物でありんしたァ」

 奈良茂の顔が燃えるように赤くなる。こんなに好きな人に褒められることが嬉しいなんて。
 もじもじしていると、几帳は扇を持って立ち上がる。

「では、拙いものでありんすが、踊りを披露いたしんしょう。善兵衛さん、三味線をお願いいたしんす」

 と、仕切りの幇間を名指しすると、善兵衛という幇間は、粋な曲を弾き出した。
 几帳はそれにあわせて優雅な鳥のように踊る。奈良茂はそれに息を飲んで魅入った。そして、手に持っていた盃をうっかり落として畳を濡らしてしまった。

「ああ。これはとんだ粗相を」

 奈良茂は慌てて畳を拭こうとしたが、慌てているために、手拭いを取る手もともおぼつかない。
 几帳はすぐさま禿に命じて畳を拭かせにいかせた。

 奈良茂は情けないやら、恥ずかしいやら。しかし思い出した。心づけを渡すのは今だと。
 奈良茂は懐に手を突っ込むと、二両取り出し、畳を拭いた禿の前に突き出した。

「すまん。ありがとう。これはお礼だよ」

 となると、二人は驚いた。熊吉並みの豪気さである。二人とも一度、几帳のほうを見る。几帳は優しげな顔をして、二人へと勧める。

「お大尽からのお振る舞いでありんす。ありがたく頂戴しんせ」

 それに二人はようやく手を出し、小判を受け取るとお礼を言った。
 奈良茂はここぞとばかり、幇間と芸妓にもご祝儀と称して一両ずつ渡す。ケチで有名な奈良茂も豪気なもんだと、みんなビックリした。

「だ、旦那。ありがとうございます……」
「いやいや、いいってことよ。それより太夫の機嫌を損ねてはいけませんよ。さァ皆さん。楽しもうじゃありませんか!」

 几帳は優雅で静かな音楽よりも、激しくて楽しいのが好きである。そして面白い芸が好きだ。
 幇間が腹踊りをすると、歯を見せて美しく笑う。奈良茂はそれにも目を奪われた。
 そして自分も立ち上がって袖をまくり、裾をたくし上げ、農民の真似をした踊りだ。几帳もたまらず吹き出すので調子に乗った。

「〽ホイソ、タラヤン アッチャレ、コッチャレ」

 奇妙な掛け声と片足で回る姿に座は最高潮。奈良茂は最大限の自分を出し切って、几帳を楽しませたのであった。

 程なくすると時間である。几帳は禿と同時に頭を下げて、上座の襖から出ていこうとしたので、奈良茂は駈け寄って腕を優しく引いた。

「あのぅ。本日のお出まし、とても嬉しかったです。これはほんの寸志です」

 と、几帳に十両握らせた。几帳はニッコリと笑ってそれを受け取る。

「またおいでなんしィ」

 禿に襖を閉めさせると、自室へと帰っていった。奈良茂はそこに立ち尽くしてガッツポーズである。

 また来てくれ。この言葉に次の逢瀬を期待し、胸を高鳴らせた。






 それからしばらく時間が経つ。三ヶ月が経過し、元禄十六年の秋である。空気の肌寒さも感じさせるが、熊吉と几帳は相変わらず熱々であった。
 熊吉は几帳の部屋で膝枕されながら、耳掃除をさせていたのだ。

「まァ、大きい」
「そうか?」

「天ぷらのネタほどあるよ。九万ちゃん」
「かっかっか。そりゃいいや」

「こうしてると夫婦みたいだねェ」
「そうだなァ。いつかなれるからな」

 穏やかな微笑み。几帳はその言葉に期待していた。几帳から添えられた手に熊吉は手を添え返す──。



 その二人のいる部屋の灯りを恨めしく睨むものがいた。これぞ奈良屋茂左衛門である。
 几帳とは三度目の逢瀬は適ってはいなかったのである。
 曰く腹痛である。頭痛である。月のモノである──。
 太夫ともなると、好みではない男性を断ることが出来る。数度断られているのだから諦めなくてはならないが。諦めきれるものではない。

 三浦屋の郭主に、こうすればよいと助言を受けた。またおいでなんしィという言葉を聞いた。なのになぜ。太夫は別な男と楽しそうに言葉を交わしているのか。
 三浦屋の二階から、ははは、うふふとの声が漏れてくる。間違うはずはない。あれは几帳太夫だ。その声をかけられた主は紀伊国屋九万兵衛だ。


 悔しい。
 苦しい。
 嫉ましい。


 ケンカを仕掛けようにも自分は非力だ。ましてやあの男は剣客も素手で相手してしまう豪傑。どうにかしたい。どうにか──。

 奈良茂はハッと思い立ち、屋敷へと帰っていった。
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