紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範

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第43話 嫁取り

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 次の日、文吉は早く起きて吉原に向かっていった。ことが終わって来た定吉と小春を呼んで、座敷に座らせた。
 二人とも恥ずかしそうに、文吉と目も合わせられない。

「どうだ。よかったか?」
「え? あの……ハイ……」

「それで、小春に惚れたか?」
「え? えーと。あのォ。ハイ」

「では嫁に貰って帰ろうか?」

 二人ともドキリとして顔を見合わせる。初めての行為に商売を忘れて、情を深くしていたのだ。
 文吉はそれにいたずらっぽく笑う。

「旦那。冗談はやめて下さい」
「いや、ワシは本気だぞ?」

「そうして欲しいのはやまやまですが……」
「そうか。では貰って帰ろう」

 文吉は手を叩くと、店のものが顔を出す。すぐに郭主を呼んできなさいというと、何ごとかと郭主がやって来た。

「これ、ここにいる小春を身請けしたい」
「い! 紀文の大旦那ホントですか?」

 小春のほうでも突然のことに驚いて戸惑った。郭主は、紀文の言うことだからふっかけても問題ないと、そこにひれ伏した。

「いやァ、大旦那の手前ですが、小春はまだ客を取っておらず、借金も多いですし、これからの稼ぎも考えますと、少し値が張ります」
「当然だよ。あたしゃ息子の前だ。いくらふっかけられても引く気はないよ。言ってごらん」

「二百両!」
「そんなもんか」

 せいぜい50両がいいとこだろうが、郭主は言うだけ言ってみたら、もう目の前に二百両が置いてある。驚いて目を丸くした。これには定吉も小春も驚いていた。

「じゃあ帰ろう。小春も立ちなさい」
「え? あのォ。ハイ」

 定吉も小春も、この展開にただ驚くだけ。手足を一緒にしてギクシャクしながら店を出た。
 そこで文吉は小春に向かって頭を下げる。

「小春さん。こやつはワシの不肖の息子ですが、根も良いですし働き者です。買われるようで不本意でしょうが、どうか倅をもり立ててはもらえませんでしょうか?」

 たしかに買われたようなものだ。しかし小春はここにくるのも買われてきたのだ。父に売られた。それもたったの10両である。それが自由の身になれるのだ。吉原の大門の外に出られる。それは遊女の夢であった。

「紀文の旦那。どうか頭を上げて下さい。私はこの先どうなるか分からなかった身の上です。それが、定吉さんのお嫁さんになれるなんて、こんな夢のような話はありません。こちらこそありがとうございます」

 文吉はその言葉に頭を上げた。

「そうか。よろしく頼みますよ。定吉。お前は嫁を持ったのだから、屋敷には居れないよ。自分の所帯をしっかり守りなさい。ちゃんとご祝儀をだすから」
「へぇ、旦那。何から何までお世話になりやした」

 こうして三人は屋敷へと帰り、文吉は定吉へと千両箱を託した。千代に会うとバツが悪かろうと彼女を使いに出している間の出来事であった。万事終わってから千代に話すと、そうですかといったすまし顔。やはり今度も文吉は嫁に睨まれているような感覚を覚えた。





 さてその日の朝、もう一人の人物、熊吉はというと布団に几帳と寝ころび、うつ伏せになりながらキセルを代わりばんこに吸っていた。

「どうしてその息子代わりの定吉くんを遊びに連れ出したの?」
「ああ、同じく拾ってきた千代という娘と結婚したがったんだが、お千代が嫌がってなァ」

「へぇ~。振られちゃったんだ」
「思い出した。それが変なんだ。お千代に着せようと白無垢を出してやると、泣いて喜んでなァ。座っている文左衛門の兄貴にすがりついたんだよ。こりゃ定吉との結婚を喜んでるんだなァと思ったんだが……」

 熊吉の紫煙が几帳の部屋を舞う。天井には白い煙が立ち込め、タバコの匂いづくめだ。几帳は熊吉からキセルを受け取って今度は煙とともに言葉を吐く。

「ふーん。定吉くんを前にしたら振っちゃったんだァ」
「そうなんだ。女心と秋の空。夏の牡丹餅、犬も食わずだ」

 熊吉にキセルを渡して少し考え込む几帳。熊吉のキセルの煙が部屋に広がってゆく。

「それって……」
「どうした?」

「お千代ちゃんは、紀文の大旦那が好きなんじゃないかしら?」
「フン。バカ言え。親子ほど歳が離れてるんだぞ?」

「ちょ、ちょっと待ってよ、九万ちゃん。あちきと九万ちゃんだって親子ほど歳が離れてるのよ?」
「そりゃあ……まぁなぁ。それとこれとで話は違わァ」

「どうして? あちきは好きだよ。九万ちゃんのこと……」
「ん……でも歳が違わァ」

「いくつなの? お千代ちゃん」
「十六とか言ってたな……」

「なんでよ。わちきは十九。しかも、わちきを十四で女にしておいて!」
「わ、わ、わァ~……」

 几帳は熊吉に乗りかかる。そしてその胸に噛み跡をつけた。

「バカ! 痛ェ!」
「なによ。おたんちん! 人を手籠めにした罰! ともかくそういうこと! お千代ちゃんに聞いてごらん。大旦那じゃなくて、九万ちゃんになら話すよきっと」

「うーん。そうか」
「そうだよ」

 そう話をして、たっぷり同じ時を過ごしたが制限がある。二人は離れなくてはならない。几帳はギリギリまで熊吉の指に己の指を絡ませていたが、熊吉からそれをほどく。

「……時間だ」
「ウン──」

 几帳の表情が曇る。熊吉はそれを見ないようにしていた。名残が尽きないが二人は遊女と客。熊吉は黙って部屋を出る。几帳は三浦屋の入り口まで見送ったのだ。



 熊吉が三浦屋を振り返りながら手を上げる。几帳は格子まで出て来て、熊吉が大門方面に消えるまで見送った。それを見ているものがいた。

「あ、あれは紀九万じゃないか」

 それは、紀伊国屋のライバル、奈良屋茂左衛門である。座敷での遊びを終えて、お供のものと朝帰りの途中であった。

「へぇ、旦那。その通りです」
「ホォ。あやつ三浦屋が馴染みか。どんな女だ」

「旦那、知らねェんですかい? 紀九万と几帳太夫の仲といえば吉原じゃ知らねェものはいねェ。なんでも五日に一度は大尽遊びをするようですよ」
「ホォ~。ではあやつから几帳を奪ってしまえば、たちまち気鬱になるだろうな」

「そうかも知れませんが……」
「なに。金はある」

 奈良屋茂左衛門は嫌らしく笑うと、大門を出て行ってしまった。





 白い玉は、紀伊国屋の神殿の中でこの十年間鎮座したままだった。あれから特に願いなども叶えていない。
 文吉も月終わりの晦日に掃除をし、月頭にウズラを捧げる以外は神殿に出入りしなかった。

 それが、沈黙を破って少しだけ発光する。

「時、満つる──」

 そして、ゆっくりと光を和らげ、また神殿は真っ暗になった。
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