40 / 58
第40話 決裂
しおりを挟む
さて、それからしばらくして。
文吉は熊吉とともに屋敷の部屋に座り込んで人を待っていた。
「大旦那。お呼びですか?」
「お千代か。入りなさい」
「はーい」
襖を開けて、膝を合わせて部屋に入り込む千代。これが二人が待っていた客である。
「お千代もよい歳だな」
「はい」
「自分でも結婚できるといっておったな」
「え? は、はい」
千代の顔が赤くなり、唇が震える。じっと文吉を見据えるといつものように微笑んでいる。
「部屋の隅にある衣裳箱を開けなさい」
見ると、木箱が置いてある。虫喰いされないように中は薄い鉄板が打ち付けられているのだ。
千代は期待をしながら、その上蓋を開けると、中には見事な白無垢の打掛が入っているではないか。これは、文吉がミツに与えようとしていたものである。それを蔵にしまっておいたものだ。千代と定吉の結婚にそれを着せようと思ったのだが、当然千代は勘違いした。
白無垢をとってうれし涙を流しながらその場に泣き崩れた。
「嬉しゅうございます──」
その言葉に文吉と熊吉は顔を見合わせて微笑み合う。
千代はその打掛に袖を通して、さっと簡単に羽織ると、文吉の元に走って腰辺りに抱き付いた。
「おいおい」
「旦那は私の気持ちに気付いて下すってたァ」
「そりゃァ気付くさ。幸せになれよ」
「はい! 私も幸せにします!」
「そりゃ結構なことだ」
話が噛み合っていない。しかし文吉も熊吉も幸せそうな千代に涙ぐむ。
千代は涙を拭いていそいそと白無垢をたたむと、仕事中だったと赤い顔をして部屋から出ていった。
文吉と熊吉は、お茶を飲みながらキセルをとって煙草を吸い始める。
「もしも火事で焼かれたままだったら、千代は今頃、遊女だったろうなァ」
「うむ。文吉がその運命を変えたのだ。あんなに朗らかな良い子に育ったのだから」
「めでたいめでたい。定吉と千代を呼ぼう。将来の話を聞こうじゃないか」
「うん。それはいい。将来ある二人に出す金は惜しまねぇ」
文吉は手を打って、使用人に定吉と千代を来るように命じると、定吉は先にやって来て二人の前に正座した。
続いて千代は顔を赤らめながら部屋に来ると、定吉がいる。意味も分からず離れたところに座った。
「さて、二人の結婚だが──」
と文吉がいったところで千代は全てを悟った。先ほどの白無垢は定吉のところに嫁に行けということなのだと。
千代は横にいる定吉のほうを向いて睨みつけたが、定吉は目も合わさずに声を張り上げてこう言った。
「ありがとうございます! きっと千代を幸せにします!」
その言葉に旦那二人の目頭が熱くなる。文吉は手を叩いて喜んだ。
「まるで芝居だ。うんうん」
定吉は千代に話すタイミングも与えないように、将来のプランを話し始めると、文吉も熊吉もそれに聞き入った。そして膝を叩く。
「そうかい。エライ! ワシと九万兵衛からご祝儀に千両やろう。少ないと思うな。ワシらの始まりはたったの十二両だったのだ。千両あれば屋敷を買って、女中や小僧も置いて、お前のやりたい商売が出来るよ」
「はい! 千代と力を合わせて──」
そこまでいったところで、千代は声を上げて会話を中断させた。
「ちょっとお待ち下さい。なにを勝手にお話を進めますんで!」
「んん?」
文吉と熊吉はぽかんと口を開けた。なにか間違ったことを言っただろうか? 祝儀の金額であろうか?
「女というものはキッチリしてるな。千両では足らんか? まあその辺は定吉の才覚で──」
「お金の話ではございません!」
これはいけないと定吉。千代の性格では旦那二人にもハッキリとものを言う。
「こ、こら、千代。旦那になんて口の利き方を……」
「定吉兄ちゃん。おおかた旦那に命令させれば私が嫁に来るとでも思ったんでしょ。行きませんよ。私はお屋敷から出ません!」
美しい眉をつり上げていうのだが、文吉と熊吉は何が何だか分からない。
「旦那は俺たちの幸せを願ってだな……」
「俺たち? 自分だけでしょ?」
「夫婦になれば自然とお互いを愛せるもんだ」
「私は定吉兄ちゃんのところにお嫁には参りません!」
ぴしゃり。旦那の目の前でも臆することなく堂々と言い放つ。先程まで喜んでいたのにと二人は不思議に思った。
文吉は思い当たるところがあって千代に聞く。
「これお千代や。定吉とケンカでもしたのか。言葉を選んで言いなさい。お前は定吉と結婚するんだ」
「いいえ。いたしません!」
「よく考えて言いな。今はケンカしてるかもしれないが、明日になって仲良くなったときに後悔するよ」
「大旦那。私は定吉兄ちゃんを好いておりません」
そういうものだから、文吉のほうでも自分とミツのことが重なってカッとなった。ミツと同じ顔で、男を裏切る。そうとってしまったのだ。
「バカ! お前は定吉と結婚するのだ! それがお前の幸せだ! これ以上手を煩わすな!」
文吉は立ち上がって叫ぶ。店のほうにも聞こえたので、みんな声を潜めてシーンとする。
熊吉もミツの時と同じ調子だと思って文吉を見る。
しかし千代は動じなかった。平静な顔をして文吉に反抗する。
「どうしてそれが幸せなんですか?」
「は、はぁ? お、女は好いた男とともになるべきだろう?」
「なぜです。女は物ですか? 自分の思いなど関係ないのですか?」
「な、なんだその口の利き方は!」
「私は不承知です。仕事に戻ります」
「こ、こら待て! お千代!」
千代は立ち上がると早々に部屋を出ていってしまった。文吉は腹が立って仕方がない。
「なんだアイツは! あの手の顔の女はみんなそうだ! 定吉。あんなのと一緒になるな! お前の嫁はワシが選んでやる!」
「え? あのォ。大旦那──」
「牛車を引けィ! 定吉。ワシの隣に陪乗せよ」
とのことだった。吉原に行くのだ。熊吉も立ち上がっていそいそと屋敷の出入り口まで急ぎ、自分は駕籠に乗ってさっさと吉原に行ってしまった。
文吉は熊吉とともに屋敷の部屋に座り込んで人を待っていた。
「大旦那。お呼びですか?」
「お千代か。入りなさい」
「はーい」
襖を開けて、膝を合わせて部屋に入り込む千代。これが二人が待っていた客である。
「お千代もよい歳だな」
「はい」
「自分でも結婚できるといっておったな」
「え? は、はい」
千代の顔が赤くなり、唇が震える。じっと文吉を見据えるといつものように微笑んでいる。
「部屋の隅にある衣裳箱を開けなさい」
見ると、木箱が置いてある。虫喰いされないように中は薄い鉄板が打ち付けられているのだ。
千代は期待をしながら、その上蓋を開けると、中には見事な白無垢の打掛が入っているではないか。これは、文吉がミツに与えようとしていたものである。それを蔵にしまっておいたものだ。千代と定吉の結婚にそれを着せようと思ったのだが、当然千代は勘違いした。
白無垢をとってうれし涙を流しながらその場に泣き崩れた。
「嬉しゅうございます──」
その言葉に文吉と熊吉は顔を見合わせて微笑み合う。
千代はその打掛に袖を通して、さっと簡単に羽織ると、文吉の元に走って腰辺りに抱き付いた。
「おいおい」
「旦那は私の気持ちに気付いて下すってたァ」
「そりゃァ気付くさ。幸せになれよ」
「はい! 私も幸せにします!」
「そりゃ結構なことだ」
話が噛み合っていない。しかし文吉も熊吉も幸せそうな千代に涙ぐむ。
千代は涙を拭いていそいそと白無垢をたたむと、仕事中だったと赤い顔をして部屋から出ていった。
文吉と熊吉は、お茶を飲みながらキセルをとって煙草を吸い始める。
「もしも火事で焼かれたままだったら、千代は今頃、遊女だったろうなァ」
「うむ。文吉がその運命を変えたのだ。あんなに朗らかな良い子に育ったのだから」
「めでたいめでたい。定吉と千代を呼ぼう。将来の話を聞こうじゃないか」
「うん。それはいい。将来ある二人に出す金は惜しまねぇ」
文吉は手を打って、使用人に定吉と千代を来るように命じると、定吉は先にやって来て二人の前に正座した。
続いて千代は顔を赤らめながら部屋に来ると、定吉がいる。意味も分からず離れたところに座った。
「さて、二人の結婚だが──」
と文吉がいったところで千代は全てを悟った。先ほどの白無垢は定吉のところに嫁に行けということなのだと。
千代は横にいる定吉のほうを向いて睨みつけたが、定吉は目も合わさずに声を張り上げてこう言った。
「ありがとうございます! きっと千代を幸せにします!」
その言葉に旦那二人の目頭が熱くなる。文吉は手を叩いて喜んだ。
「まるで芝居だ。うんうん」
定吉は千代に話すタイミングも与えないように、将来のプランを話し始めると、文吉も熊吉もそれに聞き入った。そして膝を叩く。
「そうかい。エライ! ワシと九万兵衛からご祝儀に千両やろう。少ないと思うな。ワシらの始まりはたったの十二両だったのだ。千両あれば屋敷を買って、女中や小僧も置いて、お前のやりたい商売が出来るよ」
「はい! 千代と力を合わせて──」
そこまでいったところで、千代は声を上げて会話を中断させた。
「ちょっとお待ち下さい。なにを勝手にお話を進めますんで!」
「んん?」
文吉と熊吉はぽかんと口を開けた。なにか間違ったことを言っただろうか? 祝儀の金額であろうか?
「女というものはキッチリしてるな。千両では足らんか? まあその辺は定吉の才覚で──」
「お金の話ではございません!」
これはいけないと定吉。千代の性格では旦那二人にもハッキリとものを言う。
「こ、こら、千代。旦那になんて口の利き方を……」
「定吉兄ちゃん。おおかた旦那に命令させれば私が嫁に来るとでも思ったんでしょ。行きませんよ。私はお屋敷から出ません!」
美しい眉をつり上げていうのだが、文吉と熊吉は何が何だか分からない。
「旦那は俺たちの幸せを願ってだな……」
「俺たち? 自分だけでしょ?」
「夫婦になれば自然とお互いを愛せるもんだ」
「私は定吉兄ちゃんのところにお嫁には参りません!」
ぴしゃり。旦那の目の前でも臆することなく堂々と言い放つ。先程まで喜んでいたのにと二人は不思議に思った。
文吉は思い当たるところがあって千代に聞く。
「これお千代や。定吉とケンカでもしたのか。言葉を選んで言いなさい。お前は定吉と結婚するんだ」
「いいえ。いたしません!」
「よく考えて言いな。今はケンカしてるかもしれないが、明日になって仲良くなったときに後悔するよ」
「大旦那。私は定吉兄ちゃんを好いておりません」
そういうものだから、文吉のほうでも自分とミツのことが重なってカッとなった。ミツと同じ顔で、男を裏切る。そうとってしまったのだ。
「バカ! お前は定吉と結婚するのだ! それがお前の幸せだ! これ以上手を煩わすな!」
文吉は立ち上がって叫ぶ。店のほうにも聞こえたので、みんな声を潜めてシーンとする。
熊吉もミツの時と同じ調子だと思って文吉を見る。
しかし千代は動じなかった。平静な顔をして文吉に反抗する。
「どうしてそれが幸せなんですか?」
「は、はぁ? お、女は好いた男とともになるべきだろう?」
「なぜです。女は物ですか? 自分の思いなど関係ないのですか?」
「な、なんだその口の利き方は!」
「私は不承知です。仕事に戻ります」
「こ、こら待て! お千代!」
千代は立ち上がると早々に部屋を出ていってしまった。文吉は腹が立って仕方がない。
「なんだアイツは! あの手の顔の女はみんなそうだ! 定吉。あんなのと一緒になるな! お前の嫁はワシが選んでやる!」
「え? あのォ。大旦那──」
「牛車を引けィ! 定吉。ワシの隣に陪乗せよ」
とのことだった。吉原に行くのだ。熊吉も立ち上がっていそいそと屋敷の出入り口まで急ぎ、自分は駕籠に乗ってさっさと吉原に行ってしまった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
岩倉具視――その幽棲の日々
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
幕末のある日、調子に乗り過ぎた岩倉具視は(主に公武合体とか和宮降嫁とか)、洛外へと追放される。
切歯扼腕するも、岩倉の家族は着々と岩倉村に住居を手に入れ、それを岩倉の幽居=「ねぐら」とする。
岩倉は宮中から追われたことを根に持ち……否、悶々とする日々を送り、気晴らしに謡曲を吟じる毎日であった。
ある日、岩倉の子どもたちが、岩倉に魚を供するため(岩倉の好物なので)、川へと釣りへ行く。
そこから――ある浪士との邂逅から、岩倉の幽棲――幽居暮らしが変わっていく。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
肩越の逢瀬 韋駄天お吟結髪手控
紅侘助(くれない わびすけ)
歴史・時代
江戸吉原は揚屋町の長屋に住む女髪結師のお吟。
日々の修練から神速の手業を身につけ韋駄天の異名を取るお吟は、ふとしたことから角町の妓楼・揚羽屋の花魁・露菊の髪を結うように頼まれる。
お吟は露菊に辛く悲しいを別れをせねばならなかった思い人の気配を感じ動揺する。
自ら望んで吉原の遊女となった露菊と辛い過去を持つお吟は次第に惹かれ合うようになる。
その二人の逢瀬の背後で、露菊の身請け話が進行していた――
イラストレーター猫月ユキ企画「花魁はなくらべ その弐」参加作。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
youtubeチャンネル名:heroher agency
insta:herohero agency
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる