29 / 58
第29話 東照宮改築入札
しおりを挟む
ともかく、日光東照宮改築入札は紀伊国屋の勝ちであろう。ライバルの柏木屋は消えた。
40万両手に入れば江戸一番の大金持ちだ。そうすれば白い玉から離れることは容易だ。もう頼らなくて済む。
真面目に商売をしてミツを捜す。もしミツが見つかって独身ならば結婚を申し入れよう。
そしたら夫婦して、この江戸一番の金持ちの生活を送るのだ。あの一文無しのみなしごの二人が日の本一の屋敷を持つ。なんと楽しいことだろう。
文吉は東照宮改築を任されるのを待った。
しばらくすると、紀州大納言からの呼び出しだった。これは東照宮改築の話であろうと、胸をときめかせて大納言の江戸屋敷へと駕籠を飛ばした。
大納言の御前へとまかり越すと、大納言はなぜか申し訳なさそうである。
「お上、いかがなさいました」
「いやぁそれがのう」
大納言はなぜか目を合わせようともせず、手元で扇を開いたり閉じたり。それを数度繰り返すとようやく重い口を開いた。
「東照宮大権現さまのお宮の件であるが、あれは文吉の店ではなくなった──」
は──?
文吉にはなにがなんだか分からない。ライバルの柏木屋はレースから離脱した。ではもう紀伊国屋しか残っていない。他には泡沫のような材木問屋しかあるまい。
「はぁ。もしや、改築自体がなくなったのですか?」
「そうではない」
「では延期ですか?」
「いや違う」
なかなか大納言も言い出さなかったが、ようやく言い難そうに語った。
「他の材木問屋に決まったのだ」
え……。
文吉の心の中はただのそれだけだ。柏木屋を白い玉の力によって排除したが、他に名のある材木問屋など有りはしない。それに、自分にはこの紀州大納言がついていたのではないか?
コネも金も実力も間違いなくあったはずなのに負けた。分けが分からなかった。
「一体、どこの材木問屋に決まったので?」
「うむ。余も懇意である紀伊国屋になるよう働きかけたのだ。十中八九そなたに決まりかけていたのだが、将軍さまのひと声。まさに鶴の一声だったわ」
「え? 将軍さまの?」
「左様。上様がお決めになった。それは奈良屋という材木問屋である」
「な、奈良屋?」
文吉の目の前が暗くなる。聞いたことも無い屋号だ。文吉は目まいを覚え、大納言の前であったが、前に倒れかけて畳の上に手をついて耐えた。
柏木屋を島流しにしてまで材木を引っ張り、確実に自分たちの勝ちだと思い込んでいたのでダメージが大きすぎた。
そこに、大納言は上座より駈け寄って文吉に手を貸して起き上がらせた。
「のう文吉。そんなに落ち込むな」
「は、はい」
「余の力で、そちには寛永寺根本中堂の造営を任せるよう口を効いてやったぞ。上様は、大納言の故郷の者なら間違いない。任せようとのお言葉だった」
「ほ、本当でございますか?」
「うむ。これでそなたも威張って幕府の御用達だ。それから余もそのうちに紀州に帰らなくてはならない。余の代わりに幕府の要人と仲良うなれ」
「は、はい」
「余から側用人の柳沢吉保、勘定奉行の荻原重秀に声をかけておいたぞ」
そういって大納言は文吉に目配せする。文吉は畏れ入ってひれ伏した。
「何から何までありがとうございます!」
「よいよい。幕府の連中にも接待してやってくれ」
「もちろんでございます!」
「当然余にもな」
「ええ! それはもう!」
「じゃあ早速行くか? 熊吉と吉兵衛を呼べィ!」
「はい!」
東照宮改築の入札はとれなかった。しかし大納言のお陰で寛永寺根本中堂の造営の仕事が貰えた。
東照宮ほどの儲けはなくても幕府の御用達となれる。それだけで充分だった。
文吉は大納言との縁に改めて感謝した。
文吉は吉原で遊び、屋敷に帰ると神殿の白い玉へと報告に行った。
神殿の襖を開けると白い玉は、うっすらと光った。
『どうだい、文吉。東照宮の入札は上手く行ったかい? まあ聞くまでも無いが──』
いつもなら何でも知っている白い玉なのに、なぜか東照宮の改築がとれたと思っている。不思議がって文吉はたずねた。
「あのぅ。ご存知ないので?」
『何を言ってるの? 東照宮で40万両。これはまだ布石。まだまだ大金持ちになって幕府より金持ちになるわよ!』
「東照宮の入札は取れませんでした」
『???』
「東照宮改築は別の材木問屋に決まってしまいました」
『ま、まさかそんな──』
白い玉はしばらく絶句。文吉は白い玉でも外すこともあって、ショックを受けるのだなぁと思っていた。
「ではご報告は以上です」
『ちょ、ちょっと待ちなさい』
「なんです?」
立ち上がろうとした文吉を白い玉は止める。そして、言い難そうにしていたが、ようやく声を発した。
『そ、その材木問屋の名はなんという──?』
「え? ああ。たしか奈良屋とか」
『な、奈良屋? 聞いたこともない』
「ええ。アタシもですよ」
『お前はなぜそんなに落ち着いているのだい? 40万両をフイにしたのだよ?』
「それは大納言さまが別な仕事を与えてくれたからですよ。寛永寺根本中堂の造営です。これで紀伊国屋も晴れて幕府御用達です」
『そ、そう……』
「大納言さまには感謝しかありません」
これは文吉の厭味であった。人の力で仕事をとった。自力だといいたかったのだ。もうわけのわからない白い玉の力ではないと。
『これ文吉や』
「なんです?」
『今度吉原に行くときは私を懐に入れてお行き』
「え? はぁ。まぁよろしいですが……」
白い玉は少しばかり先の未来を読んだ。しかし白い玉にも、その未来もぼやけてよく見えなかった。
なにかが見えそうで見えない。しかし行かなくてはならない。そういう未来であった。
40万両手に入れば江戸一番の大金持ちだ。そうすれば白い玉から離れることは容易だ。もう頼らなくて済む。
真面目に商売をしてミツを捜す。もしミツが見つかって独身ならば結婚を申し入れよう。
そしたら夫婦して、この江戸一番の金持ちの生活を送るのだ。あの一文無しのみなしごの二人が日の本一の屋敷を持つ。なんと楽しいことだろう。
文吉は東照宮改築を任されるのを待った。
しばらくすると、紀州大納言からの呼び出しだった。これは東照宮改築の話であろうと、胸をときめかせて大納言の江戸屋敷へと駕籠を飛ばした。
大納言の御前へとまかり越すと、大納言はなぜか申し訳なさそうである。
「お上、いかがなさいました」
「いやぁそれがのう」
大納言はなぜか目を合わせようともせず、手元で扇を開いたり閉じたり。それを数度繰り返すとようやく重い口を開いた。
「東照宮大権現さまのお宮の件であるが、あれは文吉の店ではなくなった──」
は──?
文吉にはなにがなんだか分からない。ライバルの柏木屋はレースから離脱した。ではもう紀伊国屋しか残っていない。他には泡沫のような材木問屋しかあるまい。
「はぁ。もしや、改築自体がなくなったのですか?」
「そうではない」
「では延期ですか?」
「いや違う」
なかなか大納言も言い出さなかったが、ようやく言い難そうに語った。
「他の材木問屋に決まったのだ」
え……。
文吉の心の中はただのそれだけだ。柏木屋を白い玉の力によって排除したが、他に名のある材木問屋など有りはしない。それに、自分にはこの紀州大納言がついていたのではないか?
コネも金も実力も間違いなくあったはずなのに負けた。分けが分からなかった。
「一体、どこの材木問屋に決まったので?」
「うむ。余も懇意である紀伊国屋になるよう働きかけたのだ。十中八九そなたに決まりかけていたのだが、将軍さまのひと声。まさに鶴の一声だったわ」
「え? 将軍さまの?」
「左様。上様がお決めになった。それは奈良屋という材木問屋である」
「な、奈良屋?」
文吉の目の前が暗くなる。聞いたことも無い屋号だ。文吉は目まいを覚え、大納言の前であったが、前に倒れかけて畳の上に手をついて耐えた。
柏木屋を島流しにしてまで材木を引っ張り、確実に自分たちの勝ちだと思い込んでいたのでダメージが大きすぎた。
そこに、大納言は上座より駈け寄って文吉に手を貸して起き上がらせた。
「のう文吉。そんなに落ち込むな」
「は、はい」
「余の力で、そちには寛永寺根本中堂の造営を任せるよう口を効いてやったぞ。上様は、大納言の故郷の者なら間違いない。任せようとのお言葉だった」
「ほ、本当でございますか?」
「うむ。これでそなたも威張って幕府の御用達だ。それから余もそのうちに紀州に帰らなくてはならない。余の代わりに幕府の要人と仲良うなれ」
「は、はい」
「余から側用人の柳沢吉保、勘定奉行の荻原重秀に声をかけておいたぞ」
そういって大納言は文吉に目配せする。文吉は畏れ入ってひれ伏した。
「何から何までありがとうございます!」
「よいよい。幕府の連中にも接待してやってくれ」
「もちろんでございます!」
「当然余にもな」
「ええ! それはもう!」
「じゃあ早速行くか? 熊吉と吉兵衛を呼べィ!」
「はい!」
東照宮改築の入札はとれなかった。しかし大納言のお陰で寛永寺根本中堂の造営の仕事が貰えた。
東照宮ほどの儲けはなくても幕府の御用達となれる。それだけで充分だった。
文吉は大納言との縁に改めて感謝した。
文吉は吉原で遊び、屋敷に帰ると神殿の白い玉へと報告に行った。
神殿の襖を開けると白い玉は、うっすらと光った。
『どうだい、文吉。東照宮の入札は上手く行ったかい? まあ聞くまでも無いが──』
いつもなら何でも知っている白い玉なのに、なぜか東照宮の改築がとれたと思っている。不思議がって文吉はたずねた。
「あのぅ。ご存知ないので?」
『何を言ってるの? 東照宮で40万両。これはまだ布石。まだまだ大金持ちになって幕府より金持ちになるわよ!』
「東照宮の入札は取れませんでした」
『???』
「東照宮改築は別の材木問屋に決まってしまいました」
『ま、まさかそんな──』
白い玉はしばらく絶句。文吉は白い玉でも外すこともあって、ショックを受けるのだなぁと思っていた。
「ではご報告は以上です」
『ちょ、ちょっと待ちなさい』
「なんです?」
立ち上がろうとした文吉を白い玉は止める。そして、言い難そうにしていたが、ようやく声を発した。
『そ、その材木問屋の名はなんという──?』
「え? ああ。たしか奈良屋とか」
『な、奈良屋? 聞いたこともない』
「ええ。アタシもですよ」
『お前はなぜそんなに落ち着いているのだい? 40万両をフイにしたのだよ?』
「それは大納言さまが別な仕事を与えてくれたからですよ。寛永寺根本中堂の造営です。これで紀伊国屋も晴れて幕府御用達です」
『そ、そう……』
「大納言さまには感謝しかありません」
これは文吉の厭味であった。人の力で仕事をとった。自力だといいたかったのだ。もうわけのわからない白い玉の力ではないと。
『これ文吉や』
「なんです?」
『今度吉原に行くときは私を懐に入れてお行き』
「え? はぁ。まぁよろしいですが……」
白い玉は少しばかり先の未来を読んだ。しかし白い玉にも、その未来もぼやけてよく見えなかった。
なにかが見えそうで見えない。しかし行かなくてはならない。そういう未来であった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
岩倉具視――その幽棲の日々
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
幕末のある日、調子に乗り過ぎた岩倉具視は(主に公武合体とか和宮降嫁とか)、洛外へと追放される。
切歯扼腕するも、岩倉の家族は着々と岩倉村に住居を手に入れ、それを岩倉の幽居=「ねぐら」とする。
岩倉は宮中から追われたことを根に持ち……否、悶々とする日々を送り、気晴らしに謡曲を吟じる毎日であった。
ある日、岩倉の子どもたちが、岩倉に魚を供するため(岩倉の好物なので)、川へと釣りへ行く。
そこから――ある浪士との邂逅から、岩倉の幽棲――幽居暮らしが変わっていく。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
肩越の逢瀬 韋駄天お吟結髪手控
紅侘助(くれない わびすけ)
歴史・時代
江戸吉原は揚屋町の長屋に住む女髪結師のお吟。
日々の修練から神速の手業を身につけ韋駄天の異名を取るお吟は、ふとしたことから角町の妓楼・揚羽屋の花魁・露菊の髪を結うように頼まれる。
お吟は露菊に辛く悲しいを別れをせねばならなかった思い人の気配を感じ動揺する。
自ら望んで吉原の遊女となった露菊と辛い過去を持つお吟は次第に惹かれ合うようになる。
その二人の逢瀬の背後で、露菊の身請け話が進行していた――
イラストレーター猫月ユキ企画「花魁はなくらべ その弐」参加作。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる