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第28話 柏木屋
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紀州大納言は尾張中納言へ、ほぼ怒りの書状であった。まさか親戚筋からそれほど怒られるとはと、尾張中納言は木曽代官の山村甚兵衛を呼ぶと、我々尾張の国人はちゃんと卸している、ちゃんとしていないのは柏木屋でございましょうとの返答だった。
尾張中納言は柏木屋へ、木曽檜を江戸に回すようにと命令に近い形で指導した。
柏木屋とすれば今までそれでやって来て急にそんなことを言われるとは思わなかったが、幕府を敵に回してはいけないと、今度こそはとちゃんと木曽檜を周囲に卸すことにした。
文吉はそのことを朝のお詣りの時に白い玉へと伝えた。
『うぬぬ』
「いかがなさいました?」
『柏木屋め。私やお上を舐めている。一度目の勧告で木材を出すべきだった。これは神の罰を与えなくてはなるまい』
白い玉は、文吉に持ち上げられ、江戸有数の豪商の屋敷。つまり文吉の屋敷の一室に来てからさらにおごり高ぶって、話し方すら変わっていた。
そして、柏木屋に対する怒りを表したのである。文吉も柏木屋に怒りを感じていたので、それに同調したのだ。
「まさに。玉さまのおっしゃるとおりです。柏木屋のおかげで、大納言さまにもかけなくてよい苦労をかけさせてしまいました」
『懲らしめてやらねばなるまい』
白い玉の表面が真っ赤に染まってゆく。水の中に血を落とし込んだようにマーブル状にみるみる赤くなっていったのだ。
いつも懐に入れていたのでこんな姿を見るのは初めてだ。これが白い玉が『力』を使う姿なのだろうと思った。
しばらくそれを眺めていたが長い。力を使う姿が長いのだ。
文吉は当初は、柏木屋の主人である柏木屋太左衛門が転んで怪我でもする程度だと思っていたが違った。
明くる日、木曽代官である山村甚兵衛が木曽の山を巡りに行くと、配下の者たちが血相を変えて甚兵衛のもとへと駆け付けてきた。
「お、お、お代官さま」
「おうどうした」
「そ、それがまだ伐採前の檜が……」
「む?」
甚兵衛は悪い予感がして、配下へとその場所へと案内させると、立木の檜に柏木屋の烙印が押してある。
烙印──。
即ち、火で熱した金属を当てて付ける焼き印である。この檜は柏木屋のものであるという印だ。
山村甚兵衛は、その烙印を材木では見たことがあったが、生木には初めてだ。
おそらく柏木屋は、先ほどの独占販売への叱責を恨んでこのようなことをしたのだと思い込み、すぐさま尾張藩の上役へと訴えると、それが尾張中納言の知るところとなり、そこからさらに江戸幕府へと訴えられた。
幕府はすぐさま柏木屋太左衛門を捕縛してお白洲へと引き出した。
奉行は柏木屋を追求するものの、柏木屋太左衛門が知るわけがない。
なぜならあの焼き印は白い玉が能力を発揮して付けたものなのだから。
しかし奉行は柏木屋が、己の罪を認めず、知らぬ存ぜぬを決め込んでいると考えたのだ。
「柏木屋。そなた木曽檜を尾張より卸しておりながら、独占しておった過去があるな」
「へ、へぇ。しかし今は他の材木問屋へ卸しております」
「ええい! 嘘をつくな! 木曽の山中の檜に焼き印を押すなど動かぬ証拠! そなたを市中引き回しの上、獄門といたす! 引っ立てィ!」
「そ、そんな……!」
柏木屋太左衛門の刑は決まった。しかし、柏木屋の番頭は罪を減じてもらうようにと幕府に多額の献金を行ったので、死罪は取り消しとなった。
だが、家財没収のうえ遠島である。つまり島流しだ。江戸から追放され、島へと流されたのだ。主人を追われ、店も屋敷もすべて取られた柏木屋は当然の如く解散となった。
それは文吉の知るところになった。文吉はすぐさまそれが白い玉の仕業だと思い、屋敷奥の神殿へと赴いた。
「玉さま」
『おお、文吉。柏木屋は死んだかい?』
やはり。と思った。白い玉は柏木屋の死を望んだのだ。たしかにライバル。いやそれ以上の目の上のタンコブで、木曽檜を独占していたことに腹が立っていたこともあった。
しかし無実でありながら、死罪となるところであったことには、白い玉のやり過ぎを感じた。
「いえ。死罪ではありません。多額の献金をして家財没収のうえ遠島に罪を減じられたとか」
『ふーん。命冥加なやつ』
「左様で──」
『ほほほほほほほ』
文吉は逆らうまいと話を合わせると、白い玉は気持ち悪く笑う。眉をひそめたくなったが機嫌を損ねると面倒なので、ともに笑う演技をした。
『ほほほ。これで入札は私たちの勝ちだわ。ライバルなんていないもの。日光東照宮改築。およそ40万両(400億円)手に入るわ!』
「なんと、40万両ですか」
『そうよ。それもこれも、おばちゃんのおかげよ。感謝なさい』
「ええ、それはもう」
文吉は両手をついてひれ伏した。それに白い玉はますます機嫌をよくする。
『ほっほっほ。文吉。よい心掛けだわ。しかし力を使いすぎて疲れたわ。猫か犬を捧げなさい』
「は、はい」
白い玉へと、魚鳥を捧げることはあったが動物とは。幸い生類憐れみ令のおかげで野犬や野良猫は町外れに多くいる。群れをなす野犬は危険だが、野良猫を捕らえるのは難しいことはないだろうと人を使って捕らえさせ、ずだ袋に入れて猫を白い玉へと献げた。
『よろしい。いつものように神への捧げ物をするのでその間は神殿には入らないように』
「はい」
文吉は立って神殿をでて襖を閉めた。
しかし毎度毎度捧げ物をどうやって消すのかと、立ち去ったふりをして、襖に耳を当てて中の音を聞いてみた。
猫の鳴き声が一度だけ。それが途中で止まる。まるで強制的に言葉を封じられたように。
その後は、ズル。ズルズルズル。ズルズルズル──。と蕎麦をすするような音。
それは文吉にも聞き覚えがあった。どこかで──。
そう。鷹狩りをした際に夜中に獲物が消えたことがあったが、その時に聞こえた音とそっくりだ。
みかんを江戸に運ぶ際に、佐平次を失ったが、船員が蕎麦をすするような音を聞いたと言っていた。
捧げ物が消えるのは白い玉が食っているのだ。その命を食らって願い事を叶えるのだ。
この化け物は人まで食ってしまうのだと恐ろしくなった。
しかし、機嫌を損ねると祟りをなすかもしれない。ここは怒らせないようにしなくてはならない。ますます人を近付けてはならないと思い、そっと立ち去った。
文吉が神殿を離れて暗い廊下を進むと、屋敷の曲がり角で千代に会った。
「あ。大旦那さま。お清さんが、まんまの……。あ、お膳のしたくが出来たので呼んでくるようにと──」
文吉は、我が子のように可愛がる千代に抱き付いた。恐怖をこらえていたが、本当は恐ろしくてたまらなかったのだ。
小さい千代を砕いてしまうように強く抱く。そしてガタガタと体を揺らした。
青ざめたままの顔。全身に冷水を浴びせられたようにびっしょりと汗をかいたまま千代を抱いていた。ミツに似ている千代を。これをこの先に近づけてはならないという感情。千代は分からないままされるがままだった。
「ああ千代。ああ千代──」
「大旦那さま──」
「ああすまん。ああすまん──」
しばらくそのままだった。千代も文吉の脇腹に手を添えて彼をそっと抱いたのだ。文吉も幾分落ち着いて、大きくため息をついた。
「お千代、ありがとう」
「えへへ」
「ワシとしたことが、慌ててしまったか」
にこにこと笑う千代に文吉も笑いかけた。
「お千代。この奥の神殿には決して近付いてはならん。恐ろしいものがいるからな。いいか?」
「お化けですか?」
「そうだ」
「お化けは怖いです」
「よし。ならば近付くなよ。どれ。一緒にご飯を食べよう」
文吉は千代の手を繋いで、その場を後にした。
後にこの神殿へと続く廊下に多数の仕切り、屏風を立てた。そして灯りを持たねば真っ暗なこの場所には、やすやすと人が侵入出来ないようにしたのだ。
尾張中納言は柏木屋へ、木曽檜を江戸に回すようにと命令に近い形で指導した。
柏木屋とすれば今までそれでやって来て急にそんなことを言われるとは思わなかったが、幕府を敵に回してはいけないと、今度こそはとちゃんと木曽檜を周囲に卸すことにした。
文吉はそのことを朝のお詣りの時に白い玉へと伝えた。
『うぬぬ』
「いかがなさいました?」
『柏木屋め。私やお上を舐めている。一度目の勧告で木材を出すべきだった。これは神の罰を与えなくてはなるまい』
白い玉は、文吉に持ち上げられ、江戸有数の豪商の屋敷。つまり文吉の屋敷の一室に来てからさらにおごり高ぶって、話し方すら変わっていた。
そして、柏木屋に対する怒りを表したのである。文吉も柏木屋に怒りを感じていたので、それに同調したのだ。
「まさに。玉さまのおっしゃるとおりです。柏木屋のおかげで、大納言さまにもかけなくてよい苦労をかけさせてしまいました」
『懲らしめてやらねばなるまい』
白い玉の表面が真っ赤に染まってゆく。水の中に血を落とし込んだようにマーブル状にみるみる赤くなっていったのだ。
いつも懐に入れていたのでこんな姿を見るのは初めてだ。これが白い玉が『力』を使う姿なのだろうと思った。
しばらくそれを眺めていたが長い。力を使う姿が長いのだ。
文吉は当初は、柏木屋の主人である柏木屋太左衛門が転んで怪我でもする程度だと思っていたが違った。
明くる日、木曽代官である山村甚兵衛が木曽の山を巡りに行くと、配下の者たちが血相を変えて甚兵衛のもとへと駆け付けてきた。
「お、お、お代官さま」
「おうどうした」
「そ、それがまだ伐採前の檜が……」
「む?」
甚兵衛は悪い予感がして、配下へとその場所へと案内させると、立木の檜に柏木屋の烙印が押してある。
烙印──。
即ち、火で熱した金属を当てて付ける焼き印である。この檜は柏木屋のものであるという印だ。
山村甚兵衛は、その烙印を材木では見たことがあったが、生木には初めてだ。
おそらく柏木屋は、先ほどの独占販売への叱責を恨んでこのようなことをしたのだと思い込み、すぐさま尾張藩の上役へと訴えると、それが尾張中納言の知るところとなり、そこからさらに江戸幕府へと訴えられた。
幕府はすぐさま柏木屋太左衛門を捕縛してお白洲へと引き出した。
奉行は柏木屋を追求するものの、柏木屋太左衛門が知るわけがない。
なぜならあの焼き印は白い玉が能力を発揮して付けたものなのだから。
しかし奉行は柏木屋が、己の罪を認めず、知らぬ存ぜぬを決め込んでいると考えたのだ。
「柏木屋。そなた木曽檜を尾張より卸しておりながら、独占しておった過去があるな」
「へ、へぇ。しかし今は他の材木問屋へ卸しております」
「ええい! 嘘をつくな! 木曽の山中の檜に焼き印を押すなど動かぬ証拠! そなたを市中引き回しの上、獄門といたす! 引っ立てィ!」
「そ、そんな……!」
柏木屋太左衛門の刑は決まった。しかし、柏木屋の番頭は罪を減じてもらうようにと幕府に多額の献金を行ったので、死罪は取り消しとなった。
だが、家財没収のうえ遠島である。つまり島流しだ。江戸から追放され、島へと流されたのだ。主人を追われ、店も屋敷もすべて取られた柏木屋は当然の如く解散となった。
それは文吉の知るところになった。文吉はすぐさまそれが白い玉の仕業だと思い、屋敷奥の神殿へと赴いた。
「玉さま」
『おお、文吉。柏木屋は死んだかい?』
やはり。と思った。白い玉は柏木屋の死を望んだのだ。たしかにライバル。いやそれ以上の目の上のタンコブで、木曽檜を独占していたことに腹が立っていたこともあった。
しかし無実でありながら、死罪となるところであったことには、白い玉のやり過ぎを感じた。
「いえ。死罪ではありません。多額の献金をして家財没収のうえ遠島に罪を減じられたとか」
『ふーん。命冥加なやつ』
「左様で──」
『ほほほほほほほ』
文吉は逆らうまいと話を合わせると、白い玉は気持ち悪く笑う。眉をひそめたくなったが機嫌を損ねると面倒なので、ともに笑う演技をした。
『ほほほ。これで入札は私たちの勝ちだわ。ライバルなんていないもの。日光東照宮改築。およそ40万両(400億円)手に入るわ!』
「なんと、40万両ですか」
『そうよ。それもこれも、おばちゃんのおかげよ。感謝なさい』
「ええ、それはもう」
文吉は両手をついてひれ伏した。それに白い玉はますます機嫌をよくする。
『ほっほっほ。文吉。よい心掛けだわ。しかし力を使いすぎて疲れたわ。猫か犬を捧げなさい』
「は、はい」
白い玉へと、魚鳥を捧げることはあったが動物とは。幸い生類憐れみ令のおかげで野犬や野良猫は町外れに多くいる。群れをなす野犬は危険だが、野良猫を捕らえるのは難しいことはないだろうと人を使って捕らえさせ、ずだ袋に入れて猫を白い玉へと献げた。
『よろしい。いつものように神への捧げ物をするのでその間は神殿には入らないように』
「はい」
文吉は立って神殿をでて襖を閉めた。
しかし毎度毎度捧げ物をどうやって消すのかと、立ち去ったふりをして、襖に耳を当てて中の音を聞いてみた。
猫の鳴き声が一度だけ。それが途中で止まる。まるで強制的に言葉を封じられたように。
その後は、ズル。ズルズルズル。ズルズルズル──。と蕎麦をすするような音。
それは文吉にも聞き覚えがあった。どこかで──。
そう。鷹狩りをした際に夜中に獲物が消えたことがあったが、その時に聞こえた音とそっくりだ。
みかんを江戸に運ぶ際に、佐平次を失ったが、船員が蕎麦をすするような音を聞いたと言っていた。
捧げ物が消えるのは白い玉が食っているのだ。その命を食らって願い事を叶えるのだ。
この化け物は人まで食ってしまうのだと恐ろしくなった。
しかし、機嫌を損ねると祟りをなすかもしれない。ここは怒らせないようにしなくてはならない。ますます人を近付けてはならないと思い、そっと立ち去った。
文吉が神殿を離れて暗い廊下を進むと、屋敷の曲がり角で千代に会った。
「あ。大旦那さま。お清さんが、まんまの……。あ、お膳のしたくが出来たので呼んでくるようにと──」
文吉は、我が子のように可愛がる千代に抱き付いた。恐怖をこらえていたが、本当は恐ろしくてたまらなかったのだ。
小さい千代を砕いてしまうように強く抱く。そしてガタガタと体を揺らした。
青ざめたままの顔。全身に冷水を浴びせられたようにびっしょりと汗をかいたまま千代を抱いていた。ミツに似ている千代を。これをこの先に近づけてはならないという感情。千代は分からないままされるがままだった。
「ああ千代。ああ千代──」
「大旦那さま──」
「ああすまん。ああすまん──」
しばらくそのままだった。千代も文吉の脇腹に手を添えて彼をそっと抱いたのだ。文吉も幾分落ち着いて、大きくため息をついた。
「お千代、ありがとう」
「えへへ」
「ワシとしたことが、慌ててしまったか」
にこにこと笑う千代に文吉も笑いかけた。
「お千代。この奥の神殿には決して近付いてはならん。恐ろしいものがいるからな。いいか?」
「お化けですか?」
「そうだ」
「お化けは怖いです」
「よし。ならば近付くなよ。どれ。一緒にご飯を食べよう」
文吉は千代の手を繋いで、その場を後にした。
後にこの神殿へと続く廊下に多数の仕切り、屏風を立てた。そして灯りを持たねば真っ暗なこの場所には、やすやすと人が侵入出来ないようにしたのだ。
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