果たされなかった約束

家紋武範

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episode1

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 俺と妻は馬車に乗り、自身の領地内のとある人物の屋敷へと向かっていた。
 つい先日まで二人で行っていた旅行のお土産を渡すためである。
 なごやかな田園風景を抜けて見えてきたのは目的の人物の質素なお屋敷だ。そしてその中に入ると、向かえてくれたのは妻の姉であるシャロンだった。

「お姉さま!」
「やあこんにちは義姉上」
「あら、これはこれはモンテローズ伯と、伯夫人。ようこそおいでくださいました。むさ苦しいところですがどうぞこちらに」

「なんですか、他人行儀だな。前のようにジョエルとローラと呼んでくださいよ」
「そうよ、お姉さま。私たち家族じゃない」
「いえいえ。私は夫人とは姉という間柄でもお父上の庶子。格が違いますもの。こうして忘れずに訪れて頂くだけでも光栄です」

 そういって、彼女は微笑む。妻もそれに合わせて微笑んでいた。義姉は妻に向かって少し砕けて話し始める。

「旅行は楽しかった?」
「楽しかったですわよ。湖畔のロッジに泊まって、夜はレストランで食事。昼は船やボートに乗りました」

「それはよかったわ。愛する人との旅行は楽しさもひとしおでしょう」

 俺と笑顔の妻は彼女に導かれてリビングのほうに。俺は義姉の指に嵌められた指輪を見逃さなかった。妻が先にリビングに入り込んだところで、彼女の歩みを止め、指輪の嵌められた手を自身の頬に当てて彼女の手を引き小声で囁く。

「……あの時、確かに捨てた」
「う。ジョ、ジョエル……」

「嘘だったんですね。あなたは捨てた振りをして──」

 彼女は俯いてから顔を上げて答える。

「ええ、ウソだったの。あの時は小石を投げて……。本当は捨ててなかった」
「ズルい──」

「………………」
「ズルいですよ」

 俺たちの廊下での僅かな攻防。その時、リビングから足音が聞こえたので、彼女の手を放した。

「どうしたの? お姉さま。またジョエルさまと喧嘩ですか? 止めてくださいよ。本当にお二人の仲は悪いのですから……。あら、その指輪──」

 慌てて義姉は指輪を隠すように握る。俺はそれを知らない振りしながら訪ねる。

「ほう指輪ですか。それは一体どういう意味です?」

 義姉が答えない代わりに、妻が細くため息をつきながら答える。

「それは、お姉さまが昔とても愛する人から貰った思い出の品なんですって」
「へー、義姉上も意外とセンチメンタルなところがおありになるのですな」

 すると義姉は大事そうに指輪を擦りながら答えた。

「いくら伯爵さまといえども、私の私情に首を突っ込むとは失礼ではありませんか」
「いえいえ。少し興味があっただけですよ。義姉上の昔の大事な人に、ね。一緒になっていないところを見ると、どうせろくなもんじゃなかったのでしょう。そんなものさっさと捨てて、前を向くべきです」

 そう言うと妻のローラは小さな両の拳を突き上げて俺に抗議してきた。

「ダメよぉ。ジョエルさま。お姉さまの大事だった人をバカにしちゃ!」

 それに義姉は小さな声で答えた。

「そうよ──。そんな人じゃありません。とっても頼りになって温かい、男らしい人だったのです」
「そう、ですか──」

 俺は、少しだけ昔を思い出していた。





 俺はジョエル・マーレ。アートル子爵の次男で、敷地内の物置小屋を改良して14歳の頃から一人で暮らして三年が経っていた。17歳になったのだからそろそろ独り立ちしなくてはならない。
 父ビルや三つ上の兄ブライアンにも、さっさと自分に見合う職を見つけて結婚せよと言われている。
 そりゃそうだ。兄は爵位と領地を継げるが俺はそうも行かない。ウチは領地と言っても小作人十名程度が住まう小さいものだ。ここから分与されてもせいぜいこの小屋の前の畑程度だろう。豆や芋を植えたところで一年も食いつなげない。

 ウチの東側には小径を挟んで、薔薇垣ばらがきに囲まれた広大なお屋敷がある。中には使用人の家も点在し、一つの町のよう。そこは我が家の主筋であるモンテローズ伯爵のもの。ウチの領地だって、元々はこのモンテローズのものだったのだ。それをウチのおじいさまが独り立ちするときにここを分けてもらったというわけだ。

 モンテローズは二郡1,500戸の領主でウチとは比べ物にならないくらいの金持ちだ。しかし後継には娘しかいないので、将来は婿をとるらしい、と言われている。

 まあ、そんなことは関係なく、うらやむことも興味もなかった。当時の俺の生活は自由気ままで、親からこづかいや食べ物を貰い、町の酒場で仲間たちと覚えたての酒を飲み、ブラつくような毎日だった。

 ある日、喧嘩をしてボロボロになりながら帰宅しようとした時、モンテローズと自分の住まいである小屋の間の小径で倒れて寝てしまったらしい。
 目を覚ますとふんわりとした感触が後頭部にあった。

「気が付いた?」
「うわわわわわ」

 目を開けるとそこには美しい顔立ちの歳上の女性。慌てて飛び起きる。どうやら家の近くの路傍で彼女に膝枕されていたらしい。

「大丈夫? ずいぶん傷だらけね? 喧嘩でもしたの?」
「ええ!? はい、そのぉ、でも勝ちました」

 そんなに慌てたのは、こんなにも美しい人に会ったのは初めてだったからだ。俺の胸は激しく鼓動を伝えときめいていた。

「勝敗は聞いてないわよ。あなたはどなた?」
「あ、あのう……。その小屋に住んでいるアートル子爵が次子ジョエルと申します……」

「あら失礼したわね。子爵家のご令息だったとは」
「いえ、子爵といえども次子ですし、将来はなにももたない一般市民ですから……。そ、それよりあなたは?」

「私? 私はシャロン」
「シャロンさん! よきお名前で……。お歳はおいくつです?」

「あなた、藪から棒に失礼な子ねぇ。19歳よ。あなたよりお姉さんでしょ?」
「は、はい。俺……いや僕……いや私は17歳で、シャロンさんよりは二つ年下ですね、ハイ。丁度よい年頃で……」

「はあ? ほほほ、あなた面白いわねぇ」
「時にシャロンさんはご結婚は……」

「いやねぇ、ホントに変なことばかり聞いて。独身よ」
「あ! すいません! でも彼氏や婚約者さんなどはおられたりなんかしたりしちゃったりして……」

「もう、あなたって人は本当に……」
「いる、ですか……?」

「おりません!」
「えは……! じゃあ良かった……。お住まいはどちらで?」

「嫌だわ。教えない」
「そ、そんないじわるおっしゃられないで。介抱してくださったお礼に送らせてください!」

「嫌よ。あなたに送らせたらナニされるか分からないもの」
「いいえ、お約束しますとも。きっとシャロンさんに手は出さないと……」

 彼女の手を握って懇願すると、とたんに手首を取られて捻られた。そして悶絶。

「痛ァ! シャ、シャロンさん!?」
「残念でした。私、強いのよ? よこしまな考えは捨てることね!」

「な、な、な、ないです! なにもしませんよォー!」
「だったらいいのよ」

 そう言って彼女はコロコロと上品に笑う。これは服はお仕着せでも、きっと育ちのよい人なのだと思った。
 彼女は親指で背中にある薔薇垣を指し示す。

「私の家はここよ」
「え、ええ? モンテローズの?」

「ええ、使用人なの。その小さな家が私の住まい」

 見ると、木立に囲まれたところに小さな家がある。俺の小屋よりは全然上等だ。そして回りには他の使用人の家がない。庭の端にポツンと一軒だけ。
 それは直線にして俺の小屋から50メートルほどのお隣さん。主筋とはいえ、モンテローズのことなど気にしてなかったので知らなかった。こんなに美しい人が近くにいたなんて。

 俺はこのシャロンさんに、強い憧れを抱いたのであった。
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