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聖女の余命は、あと三年
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俺様は死神のジンクス。
大鎌を背負って、街道の脇にそびえる樹木の枝にぶら下がりながら、ある女が下を通るのを待っていた。
するとその女は共も連れずに微笑みながらやって来た。
修道女の姿のコイツは、軽めの旅装で荷物も少なめだ。呑気なやつめ。俺様は女の頭の上から話しかけた。
「メアリー、メアリー」
自分の名前を呼ばれた女は辺りをキョロキョロと声の主を探している姿が面白くなって思わず吹き出した。
そして、木の葉を散らしながら俺様は目の前に飛び降りてやったもんだから、女は驚いて目を丸くしたので、また笑ってしまった。
「あ、あなたはどなた?」
「俺様は死神のジンクスだ」
「まあ、では神様でいらっしゃるのね」
と女は祈るような手付きをしたので、今度はこちらが面食らった。なにしろ死『神』とは言われるものの、実際は世界中にたくさん散らばる冥界の一公務員に過ぎないからだ。
「そんな大層なもんじゃない、ジンクスでいい。俺様はお前の命数を伝えに来たのだ」
「私めの寿命ですか?」
「そうだ。ふっふっふ。お前の命は後三年だ」
「え!? 本当ですか!?」
う。なんだこのリアクションは!?
冥界から指示された年数を女に伝えたのは、この偽善者である者の狼狽ぶりを見たかったからだ。
ところがこの女は飛び上がらんばかりに喜んでいる。
この女は聖女らしい。国に平和をもたらし、怪我や病気を直し、魔物が出現させない能力をもつ。
そんなことをされては冥界のほうでは困るのだ。人には決められた時間がある。それを聖なる力で曲げられると混乱する。聖女とは冥界にとっては厄介な存在なのだ。
そう思っていると、女は俺様の横をすり抜けて街道を進んでゆく。
「おい、どこにいくつもりだ」
「あ、ジンクスさん。私はこのまま世界を平和にする旅に出ます、ごきげんよう」
えー!? おとなしくしてろよ。そして悲しめ。部屋で泣いてろよ。変な奴……。
◇
面白いやつと思いながら、コイツに付いていくことにした。
女は、国を出て向かったのは戦争をしている国だ。銃弾、砲弾を潜り抜けた。戦場をうろうろする女に対し、両軍とも銃を撃つのをやめたので、女はやすやすと指導者のいるところまでいけ、それぞれの指導者に会った。
そして利害を説いて戦争を止めさせた。
俺様は呆れた。自分の身を省みずにそんなことするなんて偽善以外の何者でもない。
それか、とんでもない馬鹿だと思ったのだ。
次に向かったのは独裁者のいる国だった。誰も恐れて独裁者に何も言えない。そんな民衆を導いて独裁政権を倒し、独裁者を平民に落とした。そして民衆たちがどんな政治をしたいか議論させて、選挙で指導者を選ばせてから国を去った。
俺様は、またもや深い溜め息をつく。そんなことをして自分になんの益があるものか。残り少ない命をなぜ他人のために使うのか意味が分からなかった。
次に向かったのは政治すらない国だった。人は誰も信用せず、力のないものは奪われる秩序のない国だ。
女は聖なる力を使って大地を肥えさせた。作物は多く出来て人々はこぞってそれを刈り取った。奪わなくともそこに食べるものがある。他国にそれを売れば服も買える。
人々は財を得てようやく秩序を取り戻した。人のものを奪うことが恥ずかしくなったのだ。
人々が協力しあうのを見て、女はその国を去った。
俺様は満足げな女に話しかけた。
「メアリー、メアリー」
「あらジンクスさん」
「お前、もう充分だろう。この国でみんなと協力して暮らせば良いだろう。ここの連中はお前を尊敬しているし、悪いようにはしない。誰かに看取られながらベッドの上で安らかに死ねるぞ?」
そう言っても、女は歩みを止めようとはしなかった。
「あら、私は別にベッドの上で死にたいとも、誰かに看取られたいとも思ってないわ」
そして次の国へと向かう。俺様はまたまた呆れて溜め息をついた後で、その背中を追いかけた。
「おいおい、待てよ」
うう。これじゃ俺様があの女を慕う従者のようじゃないか。
次に女が向かったのは、みなし児だらけの国だった。そこは国なんて場所でもない。子どもたちは何もかも恨んだ。
女は子どもたちに食糧を与え、自ら勉強を教えた。生まれてきたことに意味があることを説いたのだ。
子どもたちは口々に叫んだ。自分たちも聖女さまのような立派な人間になると。自分たちも他のみなし児たちを導きたいと。
女は旅装を整えて、また別な国に行こうとしたので止めた。
「どうして止めるのジンクスさん」
「なぜ自分のために時間を使わない。あとひと月で死ぬんだぞ。もがいて生を求めろ。危険な場所に行くな」
「危険なんてないわよ」
「どうして? 死ぬかもしれないのに」
「だってまだひと月寿命があるんだもの」
そう言って、女は上品に笑った。俺様はそれに苦笑する。
「こいつ……。お前に伝えた三年はお前の命の保証期間じゃない。普通に銃に撃たれたら死んだし、餓死をする恐れもあった。銃弾の中を歩ったときも、守ったのは俺だし、水も食べ物もこっそり道に置いていたのは、この俺様だったんだぞ?」
彼女はそれに目を丸くしたが、やがて俺様へと微笑んだ。
「そうだったのね。ありがとう。でもどうして?」
俺様は顔を赤くした。
どうしてだろう。それは期日に死んで貰わなければ、手続きが面倒になるからだ。俺様が上司に叱られるから──。
でも、それだけだろうか?
この女の誠実で、犠牲の心がなぜか俺様の心を……。
考えている俺様の顔を女は覗き込んでいた。
「ねえ、どうして? どうして?」
「う、うるさいな、ともかくもう人助けなんてやめて、自分の青山の地を探せ」
しかし、女はそうしなかった。
次は、民衆を苦しめる貴族の横暴を止めようと王国へと向かった。
あとひと月、あとひと月しかないのに。
女は……、メアリーは、歩みを止めようとしない。
王国では、世直しをするメアリーの噂を聞いていた貴族たちが待ち受けており、入国と同時にメアリーを捕らえてしまったのだ。
そりゃそうだ。民衆のためといっても、貴族のためではない。利権を奪われれば、貴族は生活が悪くなる。
そんな貴族にとってメアリーのしていることは邪魔なのだから。
俺様は貴族たちは、メアリーの入国を許さず追放にでもしてくれるのかと思ったが違った。
縄をかけられたメアリーは裁判所に連れていかれ、魔女と認定され火炙りと決まったのだ。
そんなバカな!
メアリーはまだなにもしちゃいない!
だが、そうか。俺様は知っていた。メアリーがもうすぐ死ぬことを。
その処刑の日がちょうどひと月先だと知り、メアリーの死因が分かって愕然とした。
俺様はメアリーのいる牢獄へと入り、うずくまる彼女を見つめた。
「メアリー、メアリー」
「え? ジンクスさん? どうやってここに?」
「俺たち死神には壁をすり抜けるなど容易いことだ。それより、お前の処刑方法が決まったのだぞ?」
「……知ってるわ」
「火炙りだ。お前が人々に貢献したからと言って、火炙りになったものは天国の門をくぐることは許されない。分かっているのか? お前は永遠にこの世をさ迷うのだぞ!?」
「……そんなに怒らなくても」
「これが怒らずにいられるか!」
俺様は両の拳を握り震わせた。これはなんの怒り? 悲しみ?
メアリーの自分の生を楽しまず、人のために尽くした人生への怒りなのか?
いやそうじゃない。
それはメアリーの気持ちが伝わらなかったものたちへの──。
やがてひと月後。メアリーは人々の見守る中、火炙りとなった。
メアリーだった肉体は、白い灰となってしまった。俺様がそれを掴むと、風がさらってしまい、手の中には何も残らなかった。悲しかった。
「ジンクスさん、なにを悲しむの?」
俺様の後ろで、魂となったメアリーがそう声をかける。俺様は深く深く溜め息をつく。
「メアリー、まったくバカな女だ。三年。三年もあったお前の命。それは無駄になった。見ろ、この灰がお前だ。何も、何も残らない。お前と言う人間が生きた証しはどこにも──」
俺様の目からこぼれる涙は、メアリーだった灰の上に落ちる。そこから緑の芽が生えて、みるみる大きくなり、大樹となってしまった。
そこには小鳥が舞い降り、リスが走り回りだしたのだ。
「まあ、かわいい」
「な、なんだ? この奇跡は?」
メアリーは、俺様の顔を覗き込みながら微笑む。
「私の体が灰になっても──」
「うん?」
「そこから一本の草でも生えてくれたら嬉しいなと思っただけよ」
「そうか、コイツ……」
俺様とメアリーは、その大樹をしばらく見つめていた。
そして、俺様はそっと彼女の手を繋ぐ。
「あ……」
「メアリー、お前はすごいやつだな」
「そう?」
「そうさ。俺様はお前を尊敬する。人間なんて自分ばかり考える醜い生き物だ。だけど、お前を見ていて気が変わったよ」
「うふ、じゃあよかった」
メアリーの手を握る、俺様の手が暖かい。メアリーにとっちゃ、自分が天国に行けないなんて、なんでもない話なんだ。
ただ、ただ人の幸せを──。
「なあ、メアリー。お前は天国には行けない。だけど、冥界の川のほとりに俺様の小さな家があるんだ。良かったらそこで一緒に暮らさないか? そして、長い長い冥界への旅路を行くものにお茶を出して、休憩でもさせてやってくれたら、みんな喜ぶと思うんだ」
メアリーはあの時のように飛び上がらんばかりに喜んだ。
「まあ、ステキ! みんな喜ぶのね!」
それに俺様は、あの時のように苦笑する。
「おいおい、意味分かってるのか? 一緒に暮らすってのはな──」
「知ってるわ。私、いつも陰ながら守ってくれたジンクスさんが好きだもの」
「……なんなんだ、コイツ。いつも俺様の心を惑わせやがって」
俺たちは、共に同じ場所へと向かった。
メアリーの死後、メアリーが心を尽くした国のものたちはメアリーの死を悼み、さらに深く信奉するようになった。
ある国のものは、メアリーのために王国を急襲し、貴族の圧政から民衆を開放した。
メアリーの功績は石碑に記され、そこかしこに肖像画が飾られた。慈愛に満ちた笑顔は俺の知っている彼女の顔。
大人も子供も、何に対してもメアリーの奇跡と感謝と祈りを捧げるのだった。
少しずつ、少しずつ、人びとの心が変わっているようだ。
俺様は、大鎌を背負い込み仕事の準備を始めると、エプロン姿のメアリーがやって来た。
「ジンクス。仕事なの?」
「そうさ、メアリー」
すっかり互いの名を呼び合うのに違和感などなくなった。俺はメアリーの髪に触れながら言う。
「心配するな。寿命のばあさんの魂を迎えに行くだけだ。お前はお菓子と温かいお茶を用意しておいてくれ」
「ええ、分かったわ。おばあさん喜んでくれるかしら?」
「ああ、間違いなく。お前にあったら腰を抜かすかも知れんがな」
「まあ、どうして?」
「このばあさんは、お前が勉強を教えてやったみなし児の一人だ。そうあの時の一番小さな娘だよ。今じゃ孤児院の院長にまでなって、人の尊敬を集めていたそうだよ」
「まあ、すごい!」
「お前に導かれた結果だよ」
そう言って、俺様は彼女の頬にキスをした。そしてその嬉しそうな顔を見る。
「メアリー。あの時お前の命は三年だったが、お前の行動、勇気、精神はこれからもずっと人びとの心に生きる。それってなんてすごいことなんだろう。地上にいる人だけじゃない。俺の心にだって──」
「ジンクス」
メアリーも俺を見つめている。俺の微笑みは優しいだろうか? 彼女と同じだろうか? ああ、俺は自分の妻に近づきたい。これほど慈愛に満ちた人に……。
まだまだだ。だがきっと追い付いてみせるよ。
「じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい!」
俺様は家を出た。ずいぶんと変わった地上を目指して──。
大鎌を背負って、街道の脇にそびえる樹木の枝にぶら下がりながら、ある女が下を通るのを待っていた。
するとその女は共も連れずに微笑みながらやって来た。
修道女の姿のコイツは、軽めの旅装で荷物も少なめだ。呑気なやつめ。俺様は女の頭の上から話しかけた。
「メアリー、メアリー」
自分の名前を呼ばれた女は辺りをキョロキョロと声の主を探している姿が面白くなって思わず吹き出した。
そして、木の葉を散らしながら俺様は目の前に飛び降りてやったもんだから、女は驚いて目を丸くしたので、また笑ってしまった。
「あ、あなたはどなた?」
「俺様は死神のジンクスだ」
「まあ、では神様でいらっしゃるのね」
と女は祈るような手付きをしたので、今度はこちらが面食らった。なにしろ死『神』とは言われるものの、実際は世界中にたくさん散らばる冥界の一公務員に過ぎないからだ。
「そんな大層なもんじゃない、ジンクスでいい。俺様はお前の命数を伝えに来たのだ」
「私めの寿命ですか?」
「そうだ。ふっふっふ。お前の命は後三年だ」
「え!? 本当ですか!?」
う。なんだこのリアクションは!?
冥界から指示された年数を女に伝えたのは、この偽善者である者の狼狽ぶりを見たかったからだ。
ところがこの女は飛び上がらんばかりに喜んでいる。
この女は聖女らしい。国に平和をもたらし、怪我や病気を直し、魔物が出現させない能力をもつ。
そんなことをされては冥界のほうでは困るのだ。人には決められた時間がある。それを聖なる力で曲げられると混乱する。聖女とは冥界にとっては厄介な存在なのだ。
そう思っていると、女は俺様の横をすり抜けて街道を進んでゆく。
「おい、どこにいくつもりだ」
「あ、ジンクスさん。私はこのまま世界を平和にする旅に出ます、ごきげんよう」
えー!? おとなしくしてろよ。そして悲しめ。部屋で泣いてろよ。変な奴……。
◇
面白いやつと思いながら、コイツに付いていくことにした。
女は、国を出て向かったのは戦争をしている国だ。銃弾、砲弾を潜り抜けた。戦場をうろうろする女に対し、両軍とも銃を撃つのをやめたので、女はやすやすと指導者のいるところまでいけ、それぞれの指導者に会った。
そして利害を説いて戦争を止めさせた。
俺様は呆れた。自分の身を省みずにそんなことするなんて偽善以外の何者でもない。
それか、とんでもない馬鹿だと思ったのだ。
次に向かったのは独裁者のいる国だった。誰も恐れて独裁者に何も言えない。そんな民衆を導いて独裁政権を倒し、独裁者を平民に落とした。そして民衆たちがどんな政治をしたいか議論させて、選挙で指導者を選ばせてから国を去った。
俺様は、またもや深い溜め息をつく。そんなことをして自分になんの益があるものか。残り少ない命をなぜ他人のために使うのか意味が分からなかった。
次に向かったのは政治すらない国だった。人は誰も信用せず、力のないものは奪われる秩序のない国だ。
女は聖なる力を使って大地を肥えさせた。作物は多く出来て人々はこぞってそれを刈り取った。奪わなくともそこに食べるものがある。他国にそれを売れば服も買える。
人々は財を得てようやく秩序を取り戻した。人のものを奪うことが恥ずかしくなったのだ。
人々が協力しあうのを見て、女はその国を去った。
俺様は満足げな女に話しかけた。
「メアリー、メアリー」
「あらジンクスさん」
「お前、もう充分だろう。この国でみんなと協力して暮らせば良いだろう。ここの連中はお前を尊敬しているし、悪いようにはしない。誰かに看取られながらベッドの上で安らかに死ねるぞ?」
そう言っても、女は歩みを止めようとはしなかった。
「あら、私は別にベッドの上で死にたいとも、誰かに看取られたいとも思ってないわ」
そして次の国へと向かう。俺様はまたまた呆れて溜め息をついた後で、その背中を追いかけた。
「おいおい、待てよ」
うう。これじゃ俺様があの女を慕う従者のようじゃないか。
次に女が向かったのは、みなし児だらけの国だった。そこは国なんて場所でもない。子どもたちは何もかも恨んだ。
女は子どもたちに食糧を与え、自ら勉強を教えた。生まれてきたことに意味があることを説いたのだ。
子どもたちは口々に叫んだ。自分たちも聖女さまのような立派な人間になると。自分たちも他のみなし児たちを導きたいと。
女は旅装を整えて、また別な国に行こうとしたので止めた。
「どうして止めるのジンクスさん」
「なぜ自分のために時間を使わない。あとひと月で死ぬんだぞ。もがいて生を求めろ。危険な場所に行くな」
「危険なんてないわよ」
「どうして? 死ぬかもしれないのに」
「だってまだひと月寿命があるんだもの」
そう言って、女は上品に笑った。俺様はそれに苦笑する。
「こいつ……。お前に伝えた三年はお前の命の保証期間じゃない。普通に銃に撃たれたら死んだし、餓死をする恐れもあった。銃弾の中を歩ったときも、守ったのは俺だし、水も食べ物もこっそり道に置いていたのは、この俺様だったんだぞ?」
彼女はそれに目を丸くしたが、やがて俺様へと微笑んだ。
「そうだったのね。ありがとう。でもどうして?」
俺様は顔を赤くした。
どうしてだろう。それは期日に死んで貰わなければ、手続きが面倒になるからだ。俺様が上司に叱られるから──。
でも、それだけだろうか?
この女の誠実で、犠牲の心がなぜか俺様の心を……。
考えている俺様の顔を女は覗き込んでいた。
「ねえ、どうして? どうして?」
「う、うるさいな、ともかくもう人助けなんてやめて、自分の青山の地を探せ」
しかし、女はそうしなかった。
次は、民衆を苦しめる貴族の横暴を止めようと王国へと向かった。
あとひと月、あとひと月しかないのに。
女は……、メアリーは、歩みを止めようとしない。
王国では、世直しをするメアリーの噂を聞いていた貴族たちが待ち受けており、入国と同時にメアリーを捕らえてしまったのだ。
そりゃそうだ。民衆のためといっても、貴族のためではない。利権を奪われれば、貴族は生活が悪くなる。
そんな貴族にとってメアリーのしていることは邪魔なのだから。
俺様は貴族たちは、メアリーの入国を許さず追放にでもしてくれるのかと思ったが違った。
縄をかけられたメアリーは裁判所に連れていかれ、魔女と認定され火炙りと決まったのだ。
そんなバカな!
メアリーはまだなにもしちゃいない!
だが、そうか。俺様は知っていた。メアリーがもうすぐ死ぬことを。
その処刑の日がちょうどひと月先だと知り、メアリーの死因が分かって愕然とした。
俺様はメアリーのいる牢獄へと入り、うずくまる彼女を見つめた。
「メアリー、メアリー」
「え? ジンクスさん? どうやってここに?」
「俺たち死神には壁をすり抜けるなど容易いことだ。それより、お前の処刑方法が決まったのだぞ?」
「……知ってるわ」
「火炙りだ。お前が人々に貢献したからと言って、火炙りになったものは天国の門をくぐることは許されない。分かっているのか? お前は永遠にこの世をさ迷うのだぞ!?」
「……そんなに怒らなくても」
「これが怒らずにいられるか!」
俺様は両の拳を握り震わせた。これはなんの怒り? 悲しみ?
メアリーの自分の生を楽しまず、人のために尽くした人生への怒りなのか?
いやそうじゃない。
それはメアリーの気持ちが伝わらなかったものたちへの──。
やがてひと月後。メアリーは人々の見守る中、火炙りとなった。
メアリーだった肉体は、白い灰となってしまった。俺様がそれを掴むと、風がさらってしまい、手の中には何も残らなかった。悲しかった。
「ジンクスさん、なにを悲しむの?」
俺様の後ろで、魂となったメアリーがそう声をかける。俺様は深く深く溜め息をつく。
「メアリー、まったくバカな女だ。三年。三年もあったお前の命。それは無駄になった。見ろ、この灰がお前だ。何も、何も残らない。お前と言う人間が生きた証しはどこにも──」
俺様の目からこぼれる涙は、メアリーだった灰の上に落ちる。そこから緑の芽が生えて、みるみる大きくなり、大樹となってしまった。
そこには小鳥が舞い降り、リスが走り回りだしたのだ。
「まあ、かわいい」
「な、なんだ? この奇跡は?」
メアリーは、俺様の顔を覗き込みながら微笑む。
「私の体が灰になっても──」
「うん?」
「そこから一本の草でも生えてくれたら嬉しいなと思っただけよ」
「そうか、コイツ……」
俺様とメアリーは、その大樹をしばらく見つめていた。
そして、俺様はそっと彼女の手を繋ぐ。
「あ……」
「メアリー、お前はすごいやつだな」
「そう?」
「そうさ。俺様はお前を尊敬する。人間なんて自分ばかり考える醜い生き物だ。だけど、お前を見ていて気が変わったよ」
「うふ、じゃあよかった」
メアリーの手を握る、俺様の手が暖かい。メアリーにとっちゃ、自分が天国に行けないなんて、なんでもない話なんだ。
ただ、ただ人の幸せを──。
「なあ、メアリー。お前は天国には行けない。だけど、冥界の川のほとりに俺様の小さな家があるんだ。良かったらそこで一緒に暮らさないか? そして、長い長い冥界への旅路を行くものにお茶を出して、休憩でもさせてやってくれたら、みんな喜ぶと思うんだ」
メアリーはあの時のように飛び上がらんばかりに喜んだ。
「まあ、ステキ! みんな喜ぶのね!」
それに俺様は、あの時のように苦笑する。
「おいおい、意味分かってるのか? 一緒に暮らすってのはな──」
「知ってるわ。私、いつも陰ながら守ってくれたジンクスさんが好きだもの」
「……なんなんだ、コイツ。いつも俺様の心を惑わせやがって」
俺たちは、共に同じ場所へと向かった。
メアリーの死後、メアリーが心を尽くした国のものたちはメアリーの死を悼み、さらに深く信奉するようになった。
ある国のものは、メアリーのために王国を急襲し、貴族の圧政から民衆を開放した。
メアリーの功績は石碑に記され、そこかしこに肖像画が飾られた。慈愛に満ちた笑顔は俺の知っている彼女の顔。
大人も子供も、何に対してもメアリーの奇跡と感謝と祈りを捧げるのだった。
少しずつ、少しずつ、人びとの心が変わっているようだ。
俺様は、大鎌を背負い込み仕事の準備を始めると、エプロン姿のメアリーがやって来た。
「ジンクス。仕事なの?」
「そうさ、メアリー」
すっかり互いの名を呼び合うのに違和感などなくなった。俺はメアリーの髪に触れながら言う。
「心配するな。寿命のばあさんの魂を迎えに行くだけだ。お前はお菓子と温かいお茶を用意しておいてくれ」
「ええ、分かったわ。おばあさん喜んでくれるかしら?」
「ああ、間違いなく。お前にあったら腰を抜かすかも知れんがな」
「まあ、どうして?」
「このばあさんは、お前が勉強を教えてやったみなし児の一人だ。そうあの時の一番小さな娘だよ。今じゃ孤児院の院長にまでなって、人の尊敬を集めていたそうだよ」
「まあ、すごい!」
「お前に導かれた結果だよ」
そう言って、俺様は彼女の頬にキスをした。そしてその嬉しそうな顔を見る。
「メアリー。あの時お前の命は三年だったが、お前の行動、勇気、精神はこれからもずっと人びとの心に生きる。それってなんてすごいことなんだろう。地上にいる人だけじゃない。俺の心にだって──」
「ジンクス」
メアリーも俺を見つめている。俺の微笑みは優しいだろうか? 彼女と同じだろうか? ああ、俺は自分の妻に近づきたい。これほど慈愛に満ちた人に……。
まだまだだ。だがきっと追い付いてみせるよ。
「じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい!」
俺様は家を出た。ずいぶんと変わった地上を目指して──。
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おゆうさん
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ジャンヌダルクも火炙りにあいましたが、後に聖人となりました。似てますね。意識してたのかな?