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12.サイクリングロードと家の解体
しおりを挟む 家が解体されているのが見えた。サチヤさんが乗る自転車はそこでとまった。
「この家にいたネズミは逃げていきましたかねえ」
あとから到着したぼくを見て彼は言った。サイクリングロードと敷地には高低差があった。ぼくらが今いる場所のほうが高く、敷地全体をながめることができた。その先に続く住宅群はすべて二階建てか平屋で、他に高い建物はなく、遠くにあるこせん橋が見えた。
「今頃側溝の中を棲家にしているんじゃないですかね?隣のアパートの床下にしのびこんだやつもいるかもしれない」
ぼくがそう返すとサチヤさんは、
「もう十年近く前になりますか、母親が亡くなりましてね。それから実家を解体しました。解体当日私は仕事でこの街にいれなかったのですが、様子を見たかったな。子供のころにいた、家という場所がなくなっていくところを見たかったんです。自分の家族が変化をとげることへの実感というんですか?それをどこかで感じたかったのかもしれません」
と言って、柱と梁だけになった家を見て、庭だった場所の端に目をやった。そこには壁や屋根に葺かれていた板金が積み重ねられていた。
解体現場では二人の職人が作業を中断し、休憩に入るところだった。一人はたばこをくゆらせ、かぶっていた帽子を脱いだ。彼の汗で濡れた額が、置かれた重機とともに日で照らされた。口から出した煙が屋根まで向かい、到達する前に消えた。むき出しの土台に腰をかけていたもう一人の職人が、ぼくの名前を大声で呼んだ。よく見ると何度かいっしょに仕事をしたことのある人だった。
「ここ、あんたの担当だっけ?」
そう言われるのも仕方がない、ぼくは今作業着を身にまとっていたのだ。ぼくは彼らにあいさつをし、トトントトンとリズムをつけながら階段を下り、仮設水道を借り、黒く汚れた手を洗った。ゆっくりと階段を下りてきたサチヤさんはおじゃましますというように手をあげながら敷地に入った。
彼は職人たちにあいさつし、隅にある百日紅のツルツルな木肌をなで、そばにあった池の跡を見つめた。以前は鯉やフナが泳いでいたのだろう。今は水も張られてなく、腐った落ち葉でうめつくされている。人の通る気配がしてぼくは道路のほうを振り向いた。しゃんとした背筋の青年が階段をのぼる傍らには、年老いたイヌが息をきらせてのたついていた。サチヤさんは彼らが階段を上がっていく様子に目をやりながら、さっきの話を続けた。
「体が動く親戚が集まってね、解体の前、実家の片づけをしたんです。一気に皆で、ありとあらゆるものを家から取り出して捨てました。家の中に入るとかびやほこりが入り混じったにおいがしましてね、もう住めないなと思いましたよ。天井裏からはネズミの足音も聞こえました。本物のネズミを見たことがないという孫にそれを見せてやろうかと思いましてね。私は台所にネズミ捕りを仕掛けました。ほら、えさをとろうとすると入口が閉まって捕らえられるやつがあるでしょう」
「どうでした?」
「翌朝仕掛けのえさを物色しているネズミがいましてね。孫はネズミが仕掛けにかかる直前、あせってほうきで無理やりかごの中に追っ付けました。ネズミは閉じられた入口に挟まり、下半身だけがちゃがちゃと動いた状態で捕らえられました。私もあわててポリバケツに水を満杯に入れ、かごごとしばらくつけこみました。孫は水の中でもがいているネズミをじっとながめていましたね」
職人はタバコの灰を飲み終えた缶コーヒーにちょんちょんと落とした。
「家っていつのまにかモノであふれていくよな」
「おっしゃるとおりです。押入れからは大喜利ができるくらいの座布団セットが出てきました。ほかにも大量の座卓、謎めいたかえるの彫り物など。のっほっほ。捨てられない理由を母に聞きたかったですね」
「それらはどうしたんです?」
「ごみは一般ごみで捨てられるものと、そうでないものに分け始めてみたんですがね」
「そうでないものが多すぎる?」
ぼくが言うと、サチヤさんはまいったなあという表情をした。
「そうなんです。私は、借りたトラックに普通に捨てるより自分の処分施設にお金を払って捨てにいくことを提案しました。ほら、あるでしょう?ここから車で二十分くらいのところに」
「エコじゃねえなあ」
職人が言うと、「ん~ふふ」とサチヤさんは野鳥が鳴くような声で返事をした。
「ご存知かもしれませんが、処分機にごみを入れると、施設員がスイッチを押すんです。メリメリメリとか、ガチャガチャガチャなど、思った以上に爽快な音を立てて砕かれるものですね。すっきりした気持ちで実家に戻ると、また庭には出発したときよりも多いごみの山が置かれていました。この家にはモノが無限にあるのではないだろうかって途方にくれました。数えたくないくらい、トラックで往復しましたねえ」
「仏壇とかありましたか?」
「ええ、たいそう立派な。お寺さんを呼んできちんと魂抜きもしましたよ。法事のときとおんなじ話をしてましたねえ」
「我々には、お父さんがいて、おじいさんがいて、そのまたおじいさんがいて、ご先祖様がいらっしゃって、今の私たちがいます。みたいな?」
ぼくが言うと、サチヤさんはそうそうとうなづきながら笑った。
「土地は今どうしてんだい?」
職人が聞いた。
「現在は町内の雪捨て場として活躍しています。更地になってるし、坪単価だって安いのですが売れませんねえ。のっほっほ。先祖代々所有している山なんて、もうタダ同然ですよ。県境のブナ林らしいのですが、ここからだと車で二時間以上かかるかなあ。五才くらいのとき連れていってもらったことがあるんですがね」
「その感じだとおぼえてないね。ぜったい」
職人が笑いながら言って、指先まで短くなったたばこをにじり消した。
「そう、私はどこにあるのかわからない土地を相続し、その税金を払い続けているのです。月に土地を持っているとでも思いましょうか」
サチヤさんはそう言って階段のほうを振り向いた。さっき階段を上っていった青年とイヌが戻ってきた。ぼくらは彼らに休憩時間を邪魔した侘びを言い、階段をのぼって自転車にまたがった。
「この家にいたネズミは逃げていきましたかねえ」
あとから到着したぼくを見て彼は言った。サイクリングロードと敷地には高低差があった。ぼくらが今いる場所のほうが高く、敷地全体をながめることができた。その先に続く住宅群はすべて二階建てか平屋で、他に高い建物はなく、遠くにあるこせん橋が見えた。
「今頃側溝の中を棲家にしているんじゃないですかね?隣のアパートの床下にしのびこんだやつもいるかもしれない」
ぼくがそう返すとサチヤさんは、
「もう十年近く前になりますか、母親が亡くなりましてね。それから実家を解体しました。解体当日私は仕事でこの街にいれなかったのですが、様子を見たかったな。子供のころにいた、家という場所がなくなっていくところを見たかったんです。自分の家族が変化をとげることへの実感というんですか?それをどこかで感じたかったのかもしれません」
と言って、柱と梁だけになった家を見て、庭だった場所の端に目をやった。そこには壁や屋根に葺かれていた板金が積み重ねられていた。
解体現場では二人の職人が作業を中断し、休憩に入るところだった。一人はたばこをくゆらせ、かぶっていた帽子を脱いだ。彼の汗で濡れた額が、置かれた重機とともに日で照らされた。口から出した煙が屋根まで向かい、到達する前に消えた。むき出しの土台に腰をかけていたもう一人の職人が、ぼくの名前を大声で呼んだ。よく見ると何度かいっしょに仕事をしたことのある人だった。
「ここ、あんたの担当だっけ?」
そう言われるのも仕方がない、ぼくは今作業着を身にまとっていたのだ。ぼくは彼らにあいさつをし、トトントトンとリズムをつけながら階段を下り、仮設水道を借り、黒く汚れた手を洗った。ゆっくりと階段を下りてきたサチヤさんはおじゃましますというように手をあげながら敷地に入った。
彼は職人たちにあいさつし、隅にある百日紅のツルツルな木肌をなで、そばにあった池の跡を見つめた。以前は鯉やフナが泳いでいたのだろう。今は水も張られてなく、腐った落ち葉でうめつくされている。人の通る気配がしてぼくは道路のほうを振り向いた。しゃんとした背筋の青年が階段をのぼる傍らには、年老いたイヌが息をきらせてのたついていた。サチヤさんは彼らが階段を上がっていく様子に目をやりながら、さっきの話を続けた。
「体が動く親戚が集まってね、解体の前、実家の片づけをしたんです。一気に皆で、ありとあらゆるものを家から取り出して捨てました。家の中に入るとかびやほこりが入り混じったにおいがしましてね、もう住めないなと思いましたよ。天井裏からはネズミの足音も聞こえました。本物のネズミを見たことがないという孫にそれを見せてやろうかと思いましてね。私は台所にネズミ捕りを仕掛けました。ほら、えさをとろうとすると入口が閉まって捕らえられるやつがあるでしょう」
「どうでした?」
「翌朝仕掛けのえさを物色しているネズミがいましてね。孫はネズミが仕掛けにかかる直前、あせってほうきで無理やりかごの中に追っ付けました。ネズミは閉じられた入口に挟まり、下半身だけがちゃがちゃと動いた状態で捕らえられました。私もあわててポリバケツに水を満杯に入れ、かごごとしばらくつけこみました。孫は水の中でもがいているネズミをじっとながめていましたね」
職人はタバコの灰を飲み終えた缶コーヒーにちょんちょんと落とした。
「家っていつのまにかモノであふれていくよな」
「おっしゃるとおりです。押入れからは大喜利ができるくらいの座布団セットが出てきました。ほかにも大量の座卓、謎めいたかえるの彫り物など。のっほっほ。捨てられない理由を母に聞きたかったですね」
「それらはどうしたんです?」
「ごみは一般ごみで捨てられるものと、そうでないものに分け始めてみたんですがね」
「そうでないものが多すぎる?」
ぼくが言うと、サチヤさんはまいったなあという表情をした。
「そうなんです。私は、借りたトラックに普通に捨てるより自分の処分施設にお金を払って捨てにいくことを提案しました。ほら、あるでしょう?ここから車で二十分くらいのところに」
「エコじゃねえなあ」
職人が言うと、「ん~ふふ」とサチヤさんは野鳥が鳴くような声で返事をした。
「ご存知かもしれませんが、処分機にごみを入れると、施設員がスイッチを押すんです。メリメリメリとか、ガチャガチャガチャなど、思った以上に爽快な音を立てて砕かれるものですね。すっきりした気持ちで実家に戻ると、また庭には出発したときよりも多いごみの山が置かれていました。この家にはモノが無限にあるのではないだろうかって途方にくれました。数えたくないくらい、トラックで往復しましたねえ」
「仏壇とかありましたか?」
「ええ、たいそう立派な。お寺さんを呼んできちんと魂抜きもしましたよ。法事のときとおんなじ話をしてましたねえ」
「我々には、お父さんがいて、おじいさんがいて、そのまたおじいさんがいて、ご先祖様がいらっしゃって、今の私たちがいます。みたいな?」
ぼくが言うと、サチヤさんはそうそうとうなづきながら笑った。
「土地は今どうしてんだい?」
職人が聞いた。
「現在は町内の雪捨て場として活躍しています。更地になってるし、坪単価だって安いのですが売れませんねえ。のっほっほ。先祖代々所有している山なんて、もうタダ同然ですよ。県境のブナ林らしいのですが、ここからだと車で二時間以上かかるかなあ。五才くらいのとき連れていってもらったことがあるんですがね」
「その感じだとおぼえてないね。ぜったい」
職人が笑いながら言って、指先まで短くなったたばこをにじり消した。
「そう、私はどこにあるのかわからない土地を相続し、その税金を払い続けているのです。月に土地を持っているとでも思いましょうか」
サチヤさんはそう言って階段のほうを振り向いた。さっき階段を上っていった青年とイヌが戻ってきた。ぼくらは彼らに休憩時間を邪魔した侘びを言い、階段をのぼって自転車にまたがった。
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