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第5章
君に触れたら-5
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*
「ピアノ、すごく感動しました。特に最後の曲」
「僕も、最後の曲が一番心に残った」
コンサートホールを名残惜しく出るさなか、私と先輩はお互いに感想を言い合っていた。
私も全身全霊をかけて、一つの絵を完成させてみたい。そんな思いが沸き上がるほどの演奏だった。
「やっぱり、人の心に響く作品を創れるってすごいことですよ、ね……」
言いかけた言葉が、途中で不自然に途切れる。
ゾク……と寒気に襲われたかと思うと、また誰かに睨まれている感覚があった。
前方を見ると、見知った人物――沢本君がこちらを見据えていた。
偶然コンサートに来ていたわけではないなら、これはまるで、ストーカー行為。
嫌な予感を振り切るため、彼から目をそらし、蓮先輩を見上げる。
先輩は沢本君のことを知らないはずだから、特に変わった様子はない。
内心焦っているのは自分だけ。
“蓮先輩と触れ合っているときに、自分と関わりのある誰かと目が合えば。その人との記憶を思い出す……”
ふと、最近気づき始めた一つの考えが、再び頭の中に浮かんだ。
月曜日になればきっと、真鳥が私の過去について教えてくれるはず。
でもその前に、自分で少しは記憶を取り戻しておきたかった。
他人から聞いただけでは、実感がわかない。
怖いけれど、思い出したい。
一体、私は何を、いくつ忘れているんだろう。
知らないうちに先輩に対して失礼なことをしていないか、不安でたまらなくなる。
私は蓮先輩に、どうにかして触れてもらおうと考えを巡らせた。
でも、まさか先輩に『手を繋いでもらえますか』なんて頼んだり、いきなり抱きついたりできるはずもなく。さりげない方法はないかと必死に画策していた。
どうしよう。
どうしたら、変に思われずに触ってもらえる……?
「結衣、大丈夫? 具合でも悪い?」
想いが伝わったとは考えにくいけれど。先輩が突然、私の顔を覗き込んだ。
「……あの。何だか私、熱があるかもしれないです」
「えっ……確かに、顔が赤いね」
そっと私の前髪をよけ、先輩は遠慮がちに額へ触れてくれる。ひんやりとした感触が心地良い。
先輩の優しさを使って騙した、そんな罪悪感に胸が締めつけられながらも。今にも離れそうだった彼の手を、自ら触れて引き止めた。
彼の驚いた顔を一瞬視界に入れつつ、通路の端に立つ沢本君の強い視線を受け止める。
その途端、脳裏に何かが滑り込んでくる気配がした。
それは、過去の記憶だった。
頭の中に流れてくる、夕焼け色の映像。
大きなキャンバスの前で私と蓮先輩が話している。
『この絵を描き終えたら、伝えたいことがあるんだ。だから……』
最後の方が聞こえないまま場面が変わり、次に流れてきたのは男の声だった。
『こんなヤツ、好きになるわけないだろ。こんな――嫌われてる女なんか』
鋭く、きつい言葉が私の胸を突き刺した。
そうだ……思い出した。
私は中学時代に、この言葉を投げつけられたことがある。
誰だって、周りから嫌われている人間をわざわざ好きになったりしない。
だから先輩も、私が嫌われていた事実を知ったら。手のひらを返したように冷たくなるはず。
それを私は、ずっと恐れていたんだ。
心の奥底で、過去に言われたあの台詞がトラウマとなっていたから――。
あの男の声は、沢本君の声に似ていたと思う。沢本君は、想像している以上に私の過去に関わっているらしい。
私が体調不良なのではと心配した蓮先輩は、家まで送ってくれた。
過去を思い出すためとはいえ、先輩の腕をつかんでしまったこと、不審に思われていないといいけれど……。
「ピアノ、すごく感動しました。特に最後の曲」
「僕も、最後の曲が一番心に残った」
コンサートホールを名残惜しく出るさなか、私と先輩はお互いに感想を言い合っていた。
私も全身全霊をかけて、一つの絵を完成させてみたい。そんな思いが沸き上がるほどの演奏だった。
「やっぱり、人の心に響く作品を創れるってすごいことですよ、ね……」
言いかけた言葉が、途中で不自然に途切れる。
ゾク……と寒気に襲われたかと思うと、また誰かに睨まれている感覚があった。
前方を見ると、見知った人物――沢本君がこちらを見据えていた。
偶然コンサートに来ていたわけではないなら、これはまるで、ストーカー行為。
嫌な予感を振り切るため、彼から目をそらし、蓮先輩を見上げる。
先輩は沢本君のことを知らないはずだから、特に変わった様子はない。
内心焦っているのは自分だけ。
“蓮先輩と触れ合っているときに、自分と関わりのある誰かと目が合えば。その人との記憶を思い出す……”
ふと、最近気づき始めた一つの考えが、再び頭の中に浮かんだ。
月曜日になればきっと、真鳥が私の過去について教えてくれるはず。
でもその前に、自分で少しは記憶を取り戻しておきたかった。
他人から聞いただけでは、実感がわかない。
怖いけれど、思い出したい。
一体、私は何を、いくつ忘れているんだろう。
知らないうちに先輩に対して失礼なことをしていないか、不安でたまらなくなる。
私は蓮先輩に、どうにかして触れてもらおうと考えを巡らせた。
でも、まさか先輩に『手を繋いでもらえますか』なんて頼んだり、いきなり抱きついたりできるはずもなく。さりげない方法はないかと必死に画策していた。
どうしよう。
どうしたら、変に思われずに触ってもらえる……?
「結衣、大丈夫? 具合でも悪い?」
想いが伝わったとは考えにくいけれど。先輩が突然、私の顔を覗き込んだ。
「……あの。何だか私、熱があるかもしれないです」
「えっ……確かに、顔が赤いね」
そっと私の前髪をよけ、先輩は遠慮がちに額へ触れてくれる。ひんやりとした感触が心地良い。
先輩の優しさを使って騙した、そんな罪悪感に胸が締めつけられながらも。今にも離れそうだった彼の手を、自ら触れて引き止めた。
彼の驚いた顔を一瞬視界に入れつつ、通路の端に立つ沢本君の強い視線を受け止める。
その途端、脳裏に何かが滑り込んでくる気配がした。
それは、過去の記憶だった。
頭の中に流れてくる、夕焼け色の映像。
大きなキャンバスの前で私と蓮先輩が話している。
『この絵を描き終えたら、伝えたいことがあるんだ。だから……』
最後の方が聞こえないまま場面が変わり、次に流れてきたのは男の声だった。
『こんなヤツ、好きになるわけないだろ。こんな――嫌われてる女なんか』
鋭く、きつい言葉が私の胸を突き刺した。
そうだ……思い出した。
私は中学時代に、この言葉を投げつけられたことがある。
誰だって、周りから嫌われている人間をわざわざ好きになったりしない。
だから先輩も、私が嫌われていた事実を知ったら。手のひらを返したように冷たくなるはず。
それを私は、ずっと恐れていたんだ。
心の奥底で、過去に言われたあの台詞がトラウマとなっていたから――。
あの男の声は、沢本君の声に似ていたと思う。沢本君は、想像している以上に私の過去に関わっているらしい。
私が体調不良なのではと心配した蓮先輩は、家まで送ってくれた。
過去を思い出すためとはいえ、先輩の腕をつかんでしまったこと、不審に思われていないといいけれど……。
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私の過去は、誰にも言えない。憧れている美術部の先輩に嫌われる前に、ある人に頼んで過去の記憶を一部消してもらったが……。
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