命の器の物語

源公子

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第十章 終わりなき冬~そして世界の終わり

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 7.春を待つ

「吹雪ばっかり、外に出たいー」鋼のつけた印は九十個になっていました。
 南の城で遊んでから、ずっと雪が降り続け、外に出て遊べてないので、雪ちゃんがぐずっているのです。

「我慢して。春になればお外に出られるから」
「だって春って、満月六回分もあるんでしょう?まだ半分だよ。そんなに待てない。わたし本物の太陽柱《サンピラー》見たい」

 五つ窪みの言葉に、雪ちゃんは暖かい五つ窪みの中で暴れます。興奮すると、もう止まらないのです。

「でも、太陽柱が見えるのは、雪が世界を埋め尽くした冬の満月の四回目の終わり頃、冬の寒さが最も厳しい時期なんだ。まだ先の事だし、医者としてそんな寒さの中に雪ちゃんが出て行くことは許可できないな」

 太陽柱は、鋼が最後の満月祭に踊った踊りなのです。
 凍った湖を滑る鋼を見てから、すっかり鋼の踊りのファンになった雪ちゃんは、そう言われて、泣き出してしまいました。


「雪ちゃんは秋に生まれたから、春の花を知らないでしょ。
僕、夏季の初めの月に産まれたから、たくさん見たよ。
福寿草、水仙、やちぶき、カタクリ、菫、ブルーベル、蒲公英、桜。
春は花の種類が凄く多いんだよ。また花摘み二人でしようよ」
 五つ窪みも必死で慰めます。

「そうとも。春は面白いんだぞ。
冬の間に『おはよう』ってした挨拶が寒さで、そのまま凍るんだ。
そうして春になって雪が融けだすと、そこら中から、『おはよう』『さようなら』って、凍ってた音で大合唱になる……
あれを聞くのが、春の醍醐味なんだ」

「ええっ、音も凍るの?知らなかった」
 鋼の言葉に五つ窪みはびっくり仰天。
「凄―い、それ聴きたい。春が楽しみだなあ」
 ころりと機嫌が良くなりました。

「ちょっと鋼、子供にそんな冗談言って。春になったらガッカリするでしょう?」
 白様が小さな声でそう言いました。

「分かってます。僕も産まれたての頃、黒様に騙されてガッカリしましたから。
この世界の伝統ある“初めて冬を越す産まれたて向け専用ジョーク”
大人への通過儀式ですものね。
 でも雪ちゃんは多分、春を見ることはないと思います。
嘘もバレなければ楽しい夢、生きるハリになると思いますから」

「そうね……春は遠いわ」
 白様はため息の様にそう言いました。

 何も知らない五つ窪みと雪ちゃんは、春の雪解けの合唱とはどんなだろうと、夢中になって話し合っていました。



 8.シロ様の後悔

「え、なにこれ?!」
 降り続いた雪が久しぶりに止んだ朝、五つ窪みがガタガタと三番目の窓板を外すと、目の前に現れたのは、まるで洞窟のような雪の空洞でした。
雪の壁を通してほんのり光が見えます。

「天然の雪の洞窟さ。積もった雪を、窓から漏れる温泉の熱が内側から溶かして、洞窟みたいになったんだよ」
 そう言って鋼が、薄い雪のところを窓板を支える棒で突くと、雪が崩れ、丸い小さな青空が現れました。
さらに穴を広げると、一面雪に覆われた銀世界が広がります。

「やっぱりお日様っていいなあ。生き返ったみたい」
 久しぶりの晴れでした。 
今日は白様も楽なようで、みんなで窓辺で日向ぼっこをしています。
 その時突然シロ様が喋り出しました。

「鋼……私謝らないと。十六夜のことをあなたに頼んだのはわたしの間違いだった。
 あなたがオオジロのこと好きで、だから硯のようになりたくて、頑張っているのに私は気づいてたのよ」

 鋼さんがオオジロ様のことを好きだった?
 初めて聞く話でした。
二人は本当に仲が良かったという萩さんの話が思い出されます。

「昔の話です。何にも知らない産まれたての頃の。
だって、オオジロは硯しか見てない。
死んだ人と争ったって勝ち目は無いのは分かってたんですよ」

「だから、あなたの気持ちを他の人に向けたくて、十六夜のことをあなたが好きになってくれればと思ってあんな無理を頼んだの。
思った通りに、十六夜はあなたが大好きになった。 
でも、あなたの気持ちは変わらなかった。それで十六夜はあんなことに。
心を弄ぶような事をして、私……ずっと後悔していたのよ」

「白様。十六夜が死ぬまで、僕も自分が誰を本当に好きなのかわからなかったんです。そして今、僕の心にいるのは十六夜だけです。
 だから十六夜の願いを叶えてやらなかったのを今は後悔しています。
 自分の心の辛さに負けて、十六夜が命をかけて僕に届けようとしていた、あの人の名前を知るチャンスを失ってしまったんですから」

 いつもより鋼の影が濃い。鋼はとても疲れているように見えました。
 それなのにこう言ったのです。

「さあ、もう十分日向ぼっこしたし、他の人に席を譲りましょう。これからはシロ様は僕の中に入って春を待ってください。その方が暖かい」

「そうさせてもらうわ。私も歳をとったのよ」

 白様は、鋼の中に入ると、他の人に日向ぼっこの席を譲って降りて行きました。
後に続く五つ窪みの心には、先をいく大きな鋼の体がなぜか小さく感じられました。
 五つ窪みの足取りは重くなり、階段の途中で立ち止まりました。

「なんで鋼さんばっかり辛い目に遭うんだよ。
辛いのに黙って我慢して、いつも他人のことばかり気にして……
なのに報われなくて。
 どうしてあの人は僕達をこんな目に合わせるの?
あの人の望む正しい世界じゃないから? 
じゃあ正しい世界って、いったいどんななんだ!」

 我慢しきれず、涙が一雫五つ窪みの中に流れました。
それを雪ちゃんが掬い取ります。

「ねえ、五つ窪み。私が死ぬ時は、五つ窪みの中で死なせてね」
「やめて! そんなこと言っちゃだめだ」

「いいえ、十六夜さんがやれなかったことを私がするの。
私、必ずあなたにあの人の名前を届けるから。
そしてこの世界を、あの人の望む“正しい世界”にして。
みんなを苦しめる冬を消してね、約束よ」



 十章 終わりなき冬~そして世界の終わり 

 「白様、寝てばかりだね」
 寒さが続き、白様は弱っていました。ときどき寝言で黒様の名前呼んでいます。
 今年の冬を越す自信がない――そう言っていた言葉が現実になろうとしていました。


 満月が四回過ぎ、鋼が百二十個の印をつけた頃でした。
 寒さが特にきつかった夜明け、パシーン、パシーンと森から音がしました。
木の裂ける音でした。お日様が四番目の窓の板の隙間から射していました。

「鋼さん、晴れたよ」
 五つ窪みが叫びます。久しぶりの太陽です。

「あれれ? 太陽が三つもある。寒すぎて割れちゃった、太陽も死んじゃうの?」
 五つ窪みの中で、布の隙間から外を覗いた雪ちゃんが驚いて叫びました。

「いや! あれは幻日だ。小さな氷の粒が、薄い雲に広がって屈折してできる。寒さが底をついたとき出やすいんだ。日も長くなってきた、もうこれ以上は寒くならない。後、二月ほどで雪が融けて暖かくなる。春が来るんだ!」
 鋼が勝ち誇ったように叫びました。

「ほんとなの鋼さん、挨拶の声が融けるの聞ける?」

「あー……ま、まあね。でももうじき、雪は融けだすはずだよ」
 そう言って、鋼は鉄のペンで壁に百二十一本目の印を付けました。


 けれども、それは間違いでした。その夜からまた降り出した大雪は、決して止むことなく降り続いたのです。


 ◇


 一番上の五番目の窓板と当てた布の隙間から微かに漏れる明るさだけが、昼と夜の違いを知らせ、鋼の付ける鉄のペンの削る壁の印だけが、時の経ったのを教えてくれます。
 あれから鋼のつける印は百八十を超えました。
でも、まだ春は来ません。交わされる言葉もなく、みんな身を寄せ合って春を待っていました。

 しんとした夜でした。最後の一本の蝋燭が燃えていました。
五つ窪みが作った、お祭りの蝋燭の燃え残りを、いくつも繋いで作ったツギハギだらけの一本でした。
 そんなたった一本の小さな明かりがみんなの心を少しだけ暖めてくれていました。

「いつになったら、冬は終わるの?もう百八十日、満月六回分春を待ったのに。
なぜ冬なんてあるんだろう。
鋼さん、あの人は一体どうして僕たちをこんな目に合わせるの?」

 寝ているみんなを起こさぬように、小さな声で五つ窪みは鋼に聞きました。
 五つ窪みの言葉に鋼が答えます。

「前にクロ様と話し合ったことがある。
 僕たちは冬になると動けなくなる。そうすると、悲しくて涙が溢れ出す。
涙に心が融けて、考えるのはあの人のことだ。
何故、我々はあの人と離れてしまったのか?『もう一度逢いたい』と。
それが冬の意味かもしれないと、黒様は言っていた」

「あの人のことを考えさせる為に冬があるっていうの?」
 五つ窪みは驚きました。

「冬は考え事にはいい季節だ。
全てのエネルギーを、体の動きではなく、心に、考えることに集中できる。
心がかぎりなく螺旋を描き旋回する。
 その先に至るのは『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』
 我々は踊りながら言う。「来て下さい」と。
あの人は言う「帰っておいで」と。
 なぜ我々は離れ離れになったのか。
なぜ一緒であるべきものが、離れ離れなのか?解けない謎なんだ。
 だから、白様とオオジロは謎を解く為に、あの踊りを守ろうとしていたんだよ」

「冬が消えるのは、あの人ともう一度会えた時なのね。
だからその時全ての踊り子はいらなくなって、死ぬ。その日はいつかしら」
雪ちゃんがポツンと言いました。


 最後の蝋燭が燃え尽きました。
 火山の薄明かりの中、ただ雪の積もるサラサラという音だけが遠くに聞こえるのでした。



 二百以上の印が付いたある日、洞窟の中が急に暗くなりました。
 昼のはずなのに、いつも火山の炎が明るく照らす洞窟が何故か暗いのです。

「火山の火が消えた。おい、温泉が冷えはじめてるぞ!」
 わずかな松明の光の中で、誰かが悲鳴を上げました。

 まさか、火山が火を噴くのを止める日が来るとは、誰も思わなかったのです! 


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