33 / 43
復活の空は全てを包む
しおりを挟む
砂月は獣爪を、牙でガリガリ噛む。その周囲にはカラスが数羽、鷹と思しき猛禽類が一羽、さらには梟までいた。
今にも泣き出しそうな砂月の顔を見て、空那は尋ねる。
「おい、なにかあったのか?」
砂月は答えない。
少し強い口調で、空那は再度尋ねる。
「雪乃とアニス先輩は、どうしたって聞いてるっ!」
砂月は、目をゴシゴシと何度か擦ってから、言った。
「あいつが……勇者が……。ゆ、雪ねえが……囲まれて殴られてる。数が多すぎて、どうにもなんないみたい」
空那は息を飲む。
砂月は、震え声で続ける。
「あと小動物も、地下から出てきて、敵に追われてる。あれはもう……ダメかも。死んじゃうと思う」
聞くや否や、駆け出そうとする空那の前に、鷹が翼を広げて立ちふさがった。さらにはカラスが大量に飛んできて、行く手を阻むように集まった。
目の前に形成される鳥達のラインに、空那の足が止まる。
砂月が、妙に冷たい声で言う。
「ちょっと……どこ行くの。おにいちゃん」
「どこって、決まってんだろ!? 助けにいくんだよ!」
「その鳥達にも、勝てないのに?」
言われて、言葉に詰まる。
鷹が羽を広げて、高く鳴いた。鋭い爪を振り上げて、嘴を何度も突き出し、目で威嚇する。カラス達がギャアギャアと耳障りな声を出し、その場で足踏みする。梟がホーホーと鳴いて首をグルグルと回し、観察するように空那を見ている。
確かに、これは勝てそうにない。
もし強引に押し通っても、きっとボロボロになるだろう。それこそ助けになんて、行けないほどに。
空那は砂月を睨み、叫んだ。
「おい、砂月っ! どういうつもりだ! なんで邪魔すんだよ!? この鳥をどけろっ!」
しかし、砂月は無視したままだ。
空那は焦燥感で、気が狂いそうになる。
「さ、砂月……? だったら……俺と一緒に、助けに行ってくれ! ……頼む!」
空那は、まっすぐ頭を下げた。己の無力が、ただ悔しかった。
だが、砂月は動かない。
空那は顔を上げて、問いかける。
「なんでだよ!? 一緒に行きもしない、俺を行かせもしないって……? お前まさか、二人を見殺しにする気か!?」
砂月はしばらく黙った後で、絞り出すように答えた。
「……このまま、しばらく様子を見て……二人が死んだのを確認したら、おにいちゃんを連れて逃げる」
「な、なんだとぉ……っ! ふざけんなぁーッ!」
力いっぱい怒鳴る空那に、砂月は涙で滲む目を向け、さらに大きな声で怒鳴った。
「なによ、わからずやっ! アタシ、絶対にイヤ! どれだけ頼まれても、行かないからねっ! 行っても、ムダだもん!」
「無駄でもなんでも、頼むよ! この通りだから……なんとか、できないのか? なんなら、俺を囮にしてくれていい! ……そうだ! 俺を生贄にして、悪魔とか呼び出せないか!?」
必死で懇願する空那を睨み、砂月は足を踏み鳴らして言う。
「あのねっ!? アタシは、それがイヤだって言ってるのっ! 何度も言ってるけど、アタシの中じゃ、おにいちゃんが最優先なんだよ! 大体、おにいちゃんの命を使って、悪魔一匹呼び出したところで、どうにかなるような数じゃないじゃないわよ!」
「う、ぐぅ……っ」
砂月は、大きく息を吐いてから、残念そうに言う。
「はぁー……もう、無理だよ。負けたよ。アタシ達にできる事、なんもないよ……あんなにたくさんの敵、アタシじゃ倒しきれないもん。だから、ここでギリギリまで見届けて……最後は、逃げようよ。だって、二人で助けに行った所で……結果は変わらないもの」
そんな理屈、空那にだってわかってる。
雪乃が逃げ切れないほどの数なら、現実的に二人に打つ手はない。
危険を冒して助けに行って、全員殺される可能性のが高い。なにも、砂月はわがままを言っているわけではない。
空那は唇を強く噛んだ。
(わがまま言ってるのは……俺だ!)
だから無理強いはできないし、なにも言い返せない。
それでも、納得はできなかった。
どうしても、どうしても、どうしても! ……例え一人でも、意味なんてなくても、助けに行きたかった。だから、なんとか隙を突いて鳥達を突破しようと、チラチラと視線を走らせる。
そんな空那を見て、砂月がまた、冷たい声で言った。
「ねえ……もう諦めよう。おにいちゃんだって、ホントはわかってたでしょ? 失敗したら、二人がこうなるってさ……?」
冷静に言われて、空那は顔をそらす。
そうだ。本当は、知っていた。
作戦を立てたのは、空那自身。
たった四人で、しかも現実的な戦力は三人。まとめて突っ込んでも、意味はない。どうにかするには、分散させるしかない。そして、バラバラになってしまえば……失敗したら、誰も助けられない。
空那の噛み締めた唇が、ブツリと音を立てて破れ、血が流れた。本当に情けなくて、悔しくて……堪らなかった。空那はかすれ声で言う。
「だって、そんなこと言ったって……このままじゃ、雪乃もアニス先輩も……死んじまうんだぞ」
死地に送り出したのは、自分なのに。責任があるのに。
なのに彼は、手伝えない。手伝うどころか、邪魔にしかならない。
こんな情けない自分の願いで動き、結果、見捨てられる二人が可哀想だった。
それこそ自分の命でどうにかなるなら、今すぐ差し出したっていいのに。だから、こうして頼んでいるのに……やはり、砂月は動かない。
だったらもう、彼にやれることは、ひとつしかなかった。
ゆっくりと、空那の膝が地につき、肩が、頭が下がる。
土下座だ。額が削れて脳みそが出るまで、地面に頭を擦りつけるのだ。
しかし、その頭が地面につく前に……すうっと、砂月の表情が消えた。
鷹が、カラスが、フクロウが、扉の前からバサリと飛び退る。
砂月の手がマントの中に消えて、
「どうしても行きたかったら、それ持って行けばいいわ」
そう言って地面に放られたのは、巨大な動物の骨で作られた、細身の杖だった。
「それには、アタシの魔力が込めてあるから。そう何度も使える物ではないけれど、殴れば奴らが弾け飛ぶ程度の威力はあるよ」
空那は、目の前の杖を握り締める。
(……これがあれば、二人の役に立てる!)
砂月が、とびきり冷たい声で言う。
「だけど、アタシは行かない……ここにいる。行きたければ、おにいちゃんひとりで、勝手に行けば?」
空那は立ち上がった。
「ああ……これで充分だよ。ありがとう、砂月!」
そう言って、砂月の顔を見て……愕然とする。
砂月は、泣いていた。
余裕の薄笑いを浮かべたまま、唇を震わせ、真っ赤な頬に、幾筋も涙を光らせて。
「別に? そ、そうよ……もとより、アタシは一人だもの。なんの不都合もないわよ」
声と共に、涙の粒がボロボロとこぼれて、地面に落ちる。
その瞬間……思い出してしまった。
そうだった。この人は、一人なのだ!
満ち足りて悪人になる奴など、世界の何処にもいない。
かつての魔王には裕福さも、親も、家族も、仲間も、特殊な力も、あるいは普通に生きていけるような環境も……すべてなかった。本当に、なにひとつ持ってなかった。ただ、孤独だった。
だから、救いを魔道に求めた。
求めて、求めて、求め続けた結果……いつの間にか、魔王と呼ばれていた。
持たないから欲しがる……それの、なにがいけなかった?
足りない奴は、永遠に足りないままで居ろというのか!
幸せな人達を横目に、死ぬまで耐えろというのか。
満たされない部分は、『なにか』で埋めなければいけない。
だけど何かを求めて、どれだけ人から奪っても、やっぱり足りなくて。
困り果て……そして、与える側になろうとした。
魔王による独裁。思想統制、究極の管理社会。ディストピアである。
それは決して、『正義』ではない。だけど、彼なりの精一杯の『愛』だった。愛だから、必死で積み上げた。がんばれた。血を吐いて走り、理想を求め続けた。
果てしなく歪んだ愛だった……だって彼の世界は、もとから歪んでいたのだから。
なのに勇者は、そんな魔王を、外側から一枚一枚、まるでタマネギでも剥くように、丸裸にしてしまった。それが正しい行いでも、あまりに残酷ではないか。
最後に、勇者と対峙した魔王は……なんと言ったか?
味方を、己の積み上げてきた様々な物を、片っ端から壊され、倒されて、剥ぎ取られ、その瓦礫の上で、また一人になってしまった魔王は……なんと言っていたか?
(あんなに大切な約束だったのに……どうして、忘れていたんだろう?)
空那の手から、杖が落ちた。
そして、ゆっくりと近づき……まるで、散らばった砂粒を搔き集めるように……優しく、彼女を抱く。
自然に言葉が出た。
「あなたを……決して、一人にしない」
唇が合わさった。そうするのが、正解な気がした。
瞬間、洪水のように、様々な思い出が去来する。
それは切なくて、苦しくて、悲しくて……今なら、わかる!
こんな思いを一人で抱えていたら、おかしくなるのも当然だった!
(ああ……俺、嘘を吐いていた! 俺の心にあるのは『愛』だけなんて……そんなの、嘘だ!)
何倍にも膨れ上がった『それ』が……心の枷を外して、ついに飛び出す!
(俺は、なんて卑怯なんだ……そうだ! こいつはずっと、心の奥底にあったんだ。いつの頃からか、もう忘れてしまったけれど……!)
どちらかなんて、選べなかった。片方なんて無理だった。
だから『そいつ』に枷をつけて、どこまでも深くに沈めてた。
必死で気づかない振りをした。どれだけ騒いでも、無視していた。
だけど、もう気づいてしまった!
(俺、ずっと……ずっと前から……砂月と雪乃に『恋』してる!)
溢れ出す恋心が切なくて、涙が流れる。触れ合う素肌が熱くなって、砂月の事が、ただひたすらに愛おしい。
そして、そんな大切な存在が腕の中にいるというのに……雪乃が側にいないことが……寂しくて悲しくて、堪らない。
(ちくしょう……! 『二人とも』欲しいだなんて……なんて身勝手で、なんて一方的で、なんて欲張りなんだろう!?)
……わかっていた。
こんなものが、『良い感情』であるわけないと、わかっていた!
だから、封印してたのだ!
だけどもう、破られてしまった。
自由にしてしまった。
暴れる恋心が、止められない。
今まで抑えられていた鬱憤を晴らすかのように、心の中を滅茶苦茶に痛めつけていく。
しかし、これが罰だというならば……なんて甘美な痛みなんだろうか。
空那は、砂月を力いっぱいに抱きしめながら言う。
「ごめん……ごめんな、砂月! こんなの、お前が耐えられるわけないよなっ!? そして……忘れていて、ごめんなさい……シェライゴス」
抱きしめられた砂月は、わんわん泣きながら空那にすがりついた。
「ううんっ、もぉ……もういい! もう、いいんだよう! だって、だってぇ……っ! よ、ようやく思い出してくれたんだもんっ! あ、あの約束をっ! やっと……やっとぉ! う、うわあーんっ!」
「あぁ……ああっ! でも、今は……っ!」
そうだ。今は、語り合う時ではない。
みんなを助けなくては……その力を、取り戻したのだから。
大切な大切な約束と一緒に、やっと思い出したのだ。
『それ』が、どこにあるのかを。呼び方を、動かし方を思い出す。
空那は、屋上の淵に立つ。
大きく両腕を広げると、天空に向かって人ならぬ声で、歌った。
それは長く複雑な数式を、声の高さと長さに当てはめた物だった。
歌声が空気を震わせて、空へと消えて行く……瞬間、人知を越えた法則が、空を彩る!
天空に銀色の波紋が、ゆっくりと広がる。
まるで夜空に、水銀の膜が浮かんでいるようだ。
雲が渦を巻き、月光が虹色に変化する。
それから不意に、ガラスが割れるような、澄んだ音が響いた。
そして、夜空に浮かぶ満月が、緑色に光った後……空に、巨大な船が現れた。
スキーズブラズニル。神々の遺産。
オーロラの帆をたなびかせ、無数の世界を行き来する、異次元戦艦だ。
同時に、船から数えきれないほどの光が走り、次々と地面に落ちていく。それは身の丈4メートル以上ある、巨大な鎧達だった。それらは地面に激突する前に足裏からプラズマを迸らせて、まるで重力を感じさせずに着地する。
鎧達は、アスファルトの上を、ゆっくりと歩き出した。
それはかつて、数万にも及ぶ不死身の悪魔を蹴散らした、無敵の『神の軍隊』だった。
……知に優れるだけで、『知将』とは呼ばれない。
軍を統べ、動かす力があるからこそ、『知将』なのである!
今にも泣き出しそうな砂月の顔を見て、空那は尋ねる。
「おい、なにかあったのか?」
砂月は答えない。
少し強い口調で、空那は再度尋ねる。
「雪乃とアニス先輩は、どうしたって聞いてるっ!」
砂月は、目をゴシゴシと何度か擦ってから、言った。
「あいつが……勇者が……。ゆ、雪ねえが……囲まれて殴られてる。数が多すぎて、どうにもなんないみたい」
空那は息を飲む。
砂月は、震え声で続ける。
「あと小動物も、地下から出てきて、敵に追われてる。あれはもう……ダメかも。死んじゃうと思う」
聞くや否や、駆け出そうとする空那の前に、鷹が翼を広げて立ちふさがった。さらにはカラスが大量に飛んできて、行く手を阻むように集まった。
目の前に形成される鳥達のラインに、空那の足が止まる。
砂月が、妙に冷たい声で言う。
「ちょっと……どこ行くの。おにいちゃん」
「どこって、決まってんだろ!? 助けにいくんだよ!」
「その鳥達にも、勝てないのに?」
言われて、言葉に詰まる。
鷹が羽を広げて、高く鳴いた。鋭い爪を振り上げて、嘴を何度も突き出し、目で威嚇する。カラス達がギャアギャアと耳障りな声を出し、その場で足踏みする。梟がホーホーと鳴いて首をグルグルと回し、観察するように空那を見ている。
確かに、これは勝てそうにない。
もし強引に押し通っても、きっとボロボロになるだろう。それこそ助けになんて、行けないほどに。
空那は砂月を睨み、叫んだ。
「おい、砂月っ! どういうつもりだ! なんで邪魔すんだよ!? この鳥をどけろっ!」
しかし、砂月は無視したままだ。
空那は焦燥感で、気が狂いそうになる。
「さ、砂月……? だったら……俺と一緒に、助けに行ってくれ! ……頼む!」
空那は、まっすぐ頭を下げた。己の無力が、ただ悔しかった。
だが、砂月は動かない。
空那は顔を上げて、問いかける。
「なんでだよ!? 一緒に行きもしない、俺を行かせもしないって……? お前まさか、二人を見殺しにする気か!?」
砂月はしばらく黙った後で、絞り出すように答えた。
「……このまま、しばらく様子を見て……二人が死んだのを確認したら、おにいちゃんを連れて逃げる」
「な、なんだとぉ……っ! ふざけんなぁーッ!」
力いっぱい怒鳴る空那に、砂月は涙で滲む目を向け、さらに大きな声で怒鳴った。
「なによ、わからずやっ! アタシ、絶対にイヤ! どれだけ頼まれても、行かないからねっ! 行っても、ムダだもん!」
「無駄でもなんでも、頼むよ! この通りだから……なんとか、できないのか? なんなら、俺を囮にしてくれていい! ……そうだ! 俺を生贄にして、悪魔とか呼び出せないか!?」
必死で懇願する空那を睨み、砂月は足を踏み鳴らして言う。
「あのねっ!? アタシは、それがイヤだって言ってるのっ! 何度も言ってるけど、アタシの中じゃ、おにいちゃんが最優先なんだよ! 大体、おにいちゃんの命を使って、悪魔一匹呼び出したところで、どうにかなるような数じゃないじゃないわよ!」
「う、ぐぅ……っ」
砂月は、大きく息を吐いてから、残念そうに言う。
「はぁー……もう、無理だよ。負けたよ。アタシ達にできる事、なんもないよ……あんなにたくさんの敵、アタシじゃ倒しきれないもん。だから、ここでギリギリまで見届けて……最後は、逃げようよ。だって、二人で助けに行った所で……結果は変わらないもの」
そんな理屈、空那にだってわかってる。
雪乃が逃げ切れないほどの数なら、現実的に二人に打つ手はない。
危険を冒して助けに行って、全員殺される可能性のが高い。なにも、砂月はわがままを言っているわけではない。
空那は唇を強く噛んだ。
(わがまま言ってるのは……俺だ!)
だから無理強いはできないし、なにも言い返せない。
それでも、納得はできなかった。
どうしても、どうしても、どうしても! ……例え一人でも、意味なんてなくても、助けに行きたかった。だから、なんとか隙を突いて鳥達を突破しようと、チラチラと視線を走らせる。
そんな空那を見て、砂月がまた、冷たい声で言った。
「ねえ……もう諦めよう。おにいちゃんだって、ホントはわかってたでしょ? 失敗したら、二人がこうなるってさ……?」
冷静に言われて、空那は顔をそらす。
そうだ。本当は、知っていた。
作戦を立てたのは、空那自身。
たった四人で、しかも現実的な戦力は三人。まとめて突っ込んでも、意味はない。どうにかするには、分散させるしかない。そして、バラバラになってしまえば……失敗したら、誰も助けられない。
空那の噛み締めた唇が、ブツリと音を立てて破れ、血が流れた。本当に情けなくて、悔しくて……堪らなかった。空那はかすれ声で言う。
「だって、そんなこと言ったって……このままじゃ、雪乃もアニス先輩も……死んじまうんだぞ」
死地に送り出したのは、自分なのに。責任があるのに。
なのに彼は、手伝えない。手伝うどころか、邪魔にしかならない。
こんな情けない自分の願いで動き、結果、見捨てられる二人が可哀想だった。
それこそ自分の命でどうにかなるなら、今すぐ差し出したっていいのに。だから、こうして頼んでいるのに……やはり、砂月は動かない。
だったらもう、彼にやれることは、ひとつしかなかった。
ゆっくりと、空那の膝が地につき、肩が、頭が下がる。
土下座だ。額が削れて脳みそが出るまで、地面に頭を擦りつけるのだ。
しかし、その頭が地面につく前に……すうっと、砂月の表情が消えた。
鷹が、カラスが、フクロウが、扉の前からバサリと飛び退る。
砂月の手がマントの中に消えて、
「どうしても行きたかったら、それ持って行けばいいわ」
そう言って地面に放られたのは、巨大な動物の骨で作られた、細身の杖だった。
「それには、アタシの魔力が込めてあるから。そう何度も使える物ではないけれど、殴れば奴らが弾け飛ぶ程度の威力はあるよ」
空那は、目の前の杖を握り締める。
(……これがあれば、二人の役に立てる!)
砂月が、とびきり冷たい声で言う。
「だけど、アタシは行かない……ここにいる。行きたければ、おにいちゃんひとりで、勝手に行けば?」
空那は立ち上がった。
「ああ……これで充分だよ。ありがとう、砂月!」
そう言って、砂月の顔を見て……愕然とする。
砂月は、泣いていた。
余裕の薄笑いを浮かべたまま、唇を震わせ、真っ赤な頬に、幾筋も涙を光らせて。
「別に? そ、そうよ……もとより、アタシは一人だもの。なんの不都合もないわよ」
声と共に、涙の粒がボロボロとこぼれて、地面に落ちる。
その瞬間……思い出してしまった。
そうだった。この人は、一人なのだ!
満ち足りて悪人になる奴など、世界の何処にもいない。
かつての魔王には裕福さも、親も、家族も、仲間も、特殊な力も、あるいは普通に生きていけるような環境も……すべてなかった。本当に、なにひとつ持ってなかった。ただ、孤独だった。
だから、救いを魔道に求めた。
求めて、求めて、求め続けた結果……いつの間にか、魔王と呼ばれていた。
持たないから欲しがる……それの、なにがいけなかった?
足りない奴は、永遠に足りないままで居ろというのか!
幸せな人達を横目に、死ぬまで耐えろというのか。
満たされない部分は、『なにか』で埋めなければいけない。
だけど何かを求めて、どれだけ人から奪っても、やっぱり足りなくて。
困り果て……そして、与える側になろうとした。
魔王による独裁。思想統制、究極の管理社会。ディストピアである。
それは決して、『正義』ではない。だけど、彼なりの精一杯の『愛』だった。愛だから、必死で積み上げた。がんばれた。血を吐いて走り、理想を求め続けた。
果てしなく歪んだ愛だった……だって彼の世界は、もとから歪んでいたのだから。
なのに勇者は、そんな魔王を、外側から一枚一枚、まるでタマネギでも剥くように、丸裸にしてしまった。それが正しい行いでも、あまりに残酷ではないか。
最後に、勇者と対峙した魔王は……なんと言ったか?
味方を、己の積み上げてきた様々な物を、片っ端から壊され、倒されて、剥ぎ取られ、その瓦礫の上で、また一人になってしまった魔王は……なんと言っていたか?
(あんなに大切な約束だったのに……どうして、忘れていたんだろう?)
空那の手から、杖が落ちた。
そして、ゆっくりと近づき……まるで、散らばった砂粒を搔き集めるように……優しく、彼女を抱く。
自然に言葉が出た。
「あなたを……決して、一人にしない」
唇が合わさった。そうするのが、正解な気がした。
瞬間、洪水のように、様々な思い出が去来する。
それは切なくて、苦しくて、悲しくて……今なら、わかる!
こんな思いを一人で抱えていたら、おかしくなるのも当然だった!
(ああ……俺、嘘を吐いていた! 俺の心にあるのは『愛』だけなんて……そんなの、嘘だ!)
何倍にも膨れ上がった『それ』が……心の枷を外して、ついに飛び出す!
(俺は、なんて卑怯なんだ……そうだ! こいつはずっと、心の奥底にあったんだ。いつの頃からか、もう忘れてしまったけれど……!)
どちらかなんて、選べなかった。片方なんて無理だった。
だから『そいつ』に枷をつけて、どこまでも深くに沈めてた。
必死で気づかない振りをした。どれだけ騒いでも、無視していた。
だけど、もう気づいてしまった!
(俺、ずっと……ずっと前から……砂月と雪乃に『恋』してる!)
溢れ出す恋心が切なくて、涙が流れる。触れ合う素肌が熱くなって、砂月の事が、ただひたすらに愛おしい。
そして、そんな大切な存在が腕の中にいるというのに……雪乃が側にいないことが……寂しくて悲しくて、堪らない。
(ちくしょう……! 『二人とも』欲しいだなんて……なんて身勝手で、なんて一方的で、なんて欲張りなんだろう!?)
……わかっていた。
こんなものが、『良い感情』であるわけないと、わかっていた!
だから、封印してたのだ!
だけどもう、破られてしまった。
自由にしてしまった。
暴れる恋心が、止められない。
今まで抑えられていた鬱憤を晴らすかのように、心の中を滅茶苦茶に痛めつけていく。
しかし、これが罰だというならば……なんて甘美な痛みなんだろうか。
空那は、砂月を力いっぱいに抱きしめながら言う。
「ごめん……ごめんな、砂月! こんなの、お前が耐えられるわけないよなっ!? そして……忘れていて、ごめんなさい……シェライゴス」
抱きしめられた砂月は、わんわん泣きながら空那にすがりついた。
「ううんっ、もぉ……もういい! もう、いいんだよう! だって、だってぇ……っ! よ、ようやく思い出してくれたんだもんっ! あ、あの約束をっ! やっと……やっとぉ! う、うわあーんっ!」
「あぁ……ああっ! でも、今は……っ!」
そうだ。今は、語り合う時ではない。
みんなを助けなくては……その力を、取り戻したのだから。
大切な大切な約束と一緒に、やっと思い出したのだ。
『それ』が、どこにあるのかを。呼び方を、動かし方を思い出す。
空那は、屋上の淵に立つ。
大きく両腕を広げると、天空に向かって人ならぬ声で、歌った。
それは長く複雑な数式を、声の高さと長さに当てはめた物だった。
歌声が空気を震わせて、空へと消えて行く……瞬間、人知を越えた法則が、空を彩る!
天空に銀色の波紋が、ゆっくりと広がる。
まるで夜空に、水銀の膜が浮かんでいるようだ。
雲が渦を巻き、月光が虹色に変化する。
それから不意に、ガラスが割れるような、澄んだ音が響いた。
そして、夜空に浮かぶ満月が、緑色に光った後……空に、巨大な船が現れた。
スキーズブラズニル。神々の遺産。
オーロラの帆をたなびかせ、無数の世界を行き来する、異次元戦艦だ。
同時に、船から数えきれないほどの光が走り、次々と地面に落ちていく。それは身の丈4メートル以上ある、巨大な鎧達だった。それらは地面に激突する前に足裏からプラズマを迸らせて、まるで重力を感じさせずに着地する。
鎧達は、アスファルトの上を、ゆっくりと歩き出した。
それはかつて、数万にも及ぶ不死身の悪魔を蹴散らした、無敵の『神の軍隊』だった。
……知に優れるだけで、『知将』とは呼ばれない。
軍を統べ、動かす力があるからこそ、『知将』なのである!
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる