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『砂』の夜

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 目の前に突きつけられる鋭い切っ先を、諦めにも似た気持ちで見上げていた。
 白銀に輝く兜の下から、朗々と声が響く。

「ここまでだな、魔王! 貴様の配下は、すべて倒した! もはや、貴様はたった一人だ! さあ、懺悔しろっ! 貴様が奪った数多の命に、不幸にした人々に! そして……セレーナに!」

 己の全てを出し尽くしたのに、この男には勝てなかった。
 ふと、古い文献を思い出す。それは、勇者の力を語る一説だ。

(感情の昂ぶりに応じて、戦闘力を無限に引き上げる勇者の力……まさか、これほどまでとはな……)

 ならば自分が負けたのは、この男の最も大切な物を、奪った報いかもしれない。

(しかし、そうだとしても……彼女を……彼女だけは、奪わざるを得なかった!)

 彼女は、己の命を賭してでも、欲しいと思える人だったから。
 一目見ただけで恋に落ちた。彼女のすべてを愛していた。どんな手段を使ってでも、欲しいと思った。
 そして……ようやく手に入れた時は、心の底から幸せを感じられた。

 指先から、己の身体が崩れていく。
 乾いた砂に変わっていくのがわかる……限界を超えて、魔力を使いすぎたのだ。
 ボサリ、右腕が砂と化して落ちた。
 まもなく、自分は死ぬのだ。
 配下も、魔力も、体力も、すべて使い果たした。
 積み上げた物を、集めた物を、すべて残らず無くしてしまった。

 空っぽだ。

 なにも持たずに、自分は死ぬ。
 乾ききった、空虚のままで、自分は死ぬ。
 なにもない。

(……いや、ひとつだけあるか)

 それは、自分の命だ。
 生まれた時から持っていて、間もなく無くなる自分の命だ。

「ふ……クックック……くふ……ひゃはははっ! あーっはっはっはぁ!」

 なんだかおかしくなって、大笑いしてしまった。
 勇者がこちらを見て、戸惑っている。

(いいだろう! 人生の終局まで格好をつけてやる! これから我が命を使い、最後の戦いを行う!)

 狂ったような笑いは、すぐに収まった。
 余裕の笑みを唇に浮かべ、立ち上がる。

「ふん……笑わせるな。配下はすべて倒しただと? もとより、我は一人。なんの不都合もない」

 魔方陣を展開し、呪術の文言を口にする。
 身体が何倍にも膨れ上がり、力が漲るのを感じる。

「くっ……ククク……勇者よっ! 貴様の力、まさに神の獣の如しだな! ならば、我も獣に変わろう! 我が生涯、最大最後の魔導を見るがいい!」

 眩い白が剣を振り上げ、切りかかってきた!

「貴様、なにをするつもりだ!?」

 残った左腕で受け止めて、余裕の薄笑いを浮かべながら、答えてやった。

「……これは、禁呪だ。もうすぐ我は、理性もなにもかもすべて失くした、本物の醜き魔獣に変わる! 止めなければ、世界すべてを喰らい尽くしてしまうぞ!」
「な、なんだと!?」
「ククク。どちらが生き残るにせよ、これが最後の言葉になるだろう……。よくぞ、よくぞここまで、我を追い詰めた……。勇者アルカよ……さらばだ!」
「くぅ……シェライゴスーっ!」

 眩い白の表情が、悔しげに歪む。
 ……おそらく、ここまでやっても彼には勝てないだろう……が、この顔を見れて、彼女を取られた溜飲も、少しは下がった!

「ふはははは! あはははは!
 ……ふっ、ふひ、あぎゃひ、ひひひぃ、ぎゃーっはっはぁー!」

 口から出る笑いは、もはや自分のものではない!
 頭の中が、ドス黒く染まっていく!
 底なしの狂気の風が吹き荒れる!
 知性が崩れて砂になり、苦痛と憎悪と破壊衝動に、己が支配されていくのがわかる!
 ……その時だ。ぼやける視界の片隅で、愛しい人を見た気がした。

(あれは……まさか……彼女……なのか!?)

 いいや、いるわけない!
 こんな所に、来るわけがない!
 だって彼女は、目の前の男に、奪い返されたのだから。
 そう、遠くなる意識の中で考える。

(もう……彼女は、この腕の中に……いないのだ。そうだ。彼女は……二度と……戻ら……な……い)

 …………すべて砕け、砂になった。戻らないし、戻れないのだ。


 暑苦しさとひどい息苦しさで、空那は目が覚めた。
 見ると、砂月の腕が首に巻きついている。

「がっ……ぐぅ!?」

 食い込む腕の苦しさに、空那は暴れる。
 とんでもない力だった! 本当に、そのまま死にそうだった!
 ようやく腕から逃れると、空那は掠れた声で抗議する。

「こ、殺す気か! この……」

 その言葉は、途中で止まる。
 砂月は、枕に半ば顔を埋め、薄く笑いながら泣いていた。
 起きているわけではない。完全に寝ている。
 なのに、泣いている。
 まるで心の底から滲み出てくる悲哀が、どうにも押さえ切れずに涙となって漏れ出ているようだ。

 その泣き顔を見て、空那の顔が強張る。涙でまみれた笑い顔が、あまりにも痛ましくて不憫ふびんだった。
 まどろみさえも安らぎを与えないなら……なにが、彼女を救えるのか?

 困った末に、空那はその頭をやさしく撫でる。
 砂月はその手を掴み、呟いた。

「……しないって……言ったよねぇ?」

 そして、ゆっくりと寝息を立て始める。
 空那は、これ以上は眠る気にもなれず、伸びをすると立ち上がり、冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを出して飲んだ。
 どうやら本当に少しだが、熟睡できたようだ。頭が、ずいぶん冴えた気がする。
 なんとなく、アニスのノートを取り出し、地図を広げる。

「いよいよ……始まっちまうんだな」

 そう。戦いが、始まる。
 空那は、静かに耳を澄ませた。
 ……少女たちの寝息が聞こえる。

(クソ……こんなにも、みんなが大切なのに! ……なんで、俺には……っ)

 彼女たちを、守りたいと思う。心の底から願っている。
 なのに、彼には特別な力が、ひとつもない。

 なにもないのだ。……今は、まだ。
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