めっちゃ強くて美形で忠義に篤い元騎士団長、イーサン=パーカーから手紙が来たよっ!

森月真冬

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イーサンズ・ファミリー

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 あの手紙が届いてから、二ヶ月が経った。
 ようやく暗号を解き、休みを申請し、王都から馬車で一週間かけて向かった先……地図で示された場所は、まさしくド田舎の森の中であった。
 暗号によると、イーサンは一日2回、この場所を通り、小川まで水を汲みに行ってるらしい。
 切り株があったので、そこに腰掛けて弁当を食べる。宿で持たされた、チーズと黒パンだ。
 腹も満たされ、日光浴をしていると、木の陰から声が掛かった。

「やあ、サビーネ! やっぱり、来てくれたか!」

 イーサンが、姿を現す。
 栗色の髪と女のような美形。背は高くたくましく、足取りは優雅。それなのに、動きに一切の隙がない。服装は素朴だが、清潔だ。そして強者だけが持つ、特有の気配……およそ一年半ぶりに見る彼の姿に、私もつい嬉しくなってしまう!
 駆け寄って、彼の右手を両手で取る。

「イーサンっ、久しぶりだな! ……少し、痩せたか?」

 言いつつ、彼の手を捻り上げ、同時に鋭い蹴りを放つ!
 イーサンは、力に逆らわずに回転し、蹴りを片手で受け止め、さらに脚払いまで仕掛けてきた!
 片足立ちの私は避けきれず、その場にステンと尻餅をつく。

「うあっ!? ……ううっ。イーサン=パーカー……さすがだ。騎士団を辞めてずいぶん経つのに、腕は鈍ってないようだな?」

 イーサンは、ニコニコと笑いながら快活かいかつに言う。

「ははは! まあね。訓練するのは、この身体の習慣になっている。今さら止めると、不調の原因になるんだ。できるだけ、元の生活を変えないこと……それが、長生きのコツだよ!」
「な、長生きだと……!? あなたの口から、そんな平和的な言葉が出るとはねっ!」
「ふふふ。僕は、あと六十年は生きるつもりだ。騎士団をやめたのも、そんな理由さ。争いは、長生きから縁遠い行為だからね」

 立ち上がり、尻の土を払いながら、信じられない思いでイーサンの顔を見た。

「王国のためなら、命を捨てるとまで豪語してた貴公がか……っ!? いやはや、丸くなったものだ!」

 イーサンは笑顔を崩さずに、木の陰から水の入った皮袋を持ち上げて、言う。

「今の俺が命をかけるのは、愛する妻と子を守る時だけだよ! ……なあ、サビーネ。でもさ、本当にいいのかい? 帰るなら、今のうちだぜ? というか、帰りなよ!」
「……ん? うえ……っ? か、帰れって……何を言ってる? あなたが、私を呼んだのだろう!?」
「ああ、そうさ! 俺が呼んだ! ……あれれ、おかしいな。少し、不調が出ている。……まあ、いい。別に、気になるほどじゃないだろ?」
「あ? まあ、そうだな。イーサン、あなたが元気そうで、安心した!」

 私とイーサンは、歩きながら話をする。
 イーサンが先導しながら言った。

「妻はね。遠いところから旅をして、この国に来たらしいんだ」
「遠いところ……? 山向こうのカルディナール共和国か? それともまさか、海の向こうのワダツミ国?」
「いいや、もっと遠くだよ」
「もっと遠くって……まさか、西のエルフの結界を越えてきたとか!?」
「ふふふ……どうかな? サビーネ……君もいずれ、知る時が来ると思う。僕はぜひ、そうなって欲しいと思ってる」
「ええーっ!? なんだ、それ! 今、教えて欲しいんだが……?」

 イーサンは、意味深に笑いながら歩き続ける。
 私は、その後を着いて行った。
 ほどなくして、イーサンはその歩みを止める。そして、言った。

「さあ、着いた! ここが、我が家だよ!」
「えっ……? ここが我が家って……!? これがぁ!?」

 目の前にあったのは、『洞窟』であった。
 イーサンは私の驚きを、真正面から受け止めて言う。

「そう、この洞窟だ。彼女、肌が弱くって。長く日差しを浴びると、皮膚がただれてしまうんだ」
「ふぅん……それは大変だ……」
「中は見た目より広いから、不便は感じない。それに、洞窟の中は涼しくて、意外と快適なんだぜ?」

 そう言って、イーサンは入っていく。
 岩場に穿うがたれた、横穴へと消えていく彼の背を見ながら、私は思った。

 洞窟に暮らす男……『ケイブマン』か……。

 これが、ストリウム王国の騎士団長まで勤めた男の末路かと思うと……私は、少しだけ悲しくなった。
 だが、イーサンが愛する妻子と共に、つつましくも満足のいく暮らしをして、小さな幸せを感じているなら……祝福してあげよう!
 この時の私はまだ、そんな風に考えていた。

 イーサンが、壁面にあるランプに火を灯す。薄明かりに照らされた内部は、確かにイーサンの言う通り、広くてひんやりしてて、快適そうな住居であった。
 壁には等間隔にフックが打ち込んであり、そこにランプやジョッキ、斧、水の入った皮袋なんかが吊り下げてある。彼の手製らしいテーブルと椅子が並び、壁にはカマドもあり、食料品も置いてある。
 なるほど。火を使うなら換気は必要だから、必然的に入り口近くになる。
 ここは、炊事場と玄関口を兼ねた場所なのだろう。
 洞窟は、入り口から十メートルほどの所で右に曲がっていて、奥の方までは見通せない。
 イーサンが、振り返って手を広げた。

「改めて……ようこそ、我が家へ! サビーネ、君を歓迎するよ!」

 それから洞窟の奥を覗き込み、申し訳なさそうに頭をかいて言う。

「すぐにでも、妻に会わせたい所なんだが……すまん。まだ、寝てるらしい」

 私は、椅子のひとつに腰掛けながら言う。

「いやいや、大丈夫。身体が弱いのだろう? だったら、気にしないで欲しい」

 イーサンは、壁に掛かっている陶器製のジョッキを二つ手に取り、そこにカメから、何か液体を注いだ。
 そして、ひとつを私の前に置く。

「まずは長旅、ご苦労さん。これでも飲んで、くつろいでくれ。腰の剣は、こちらで預かろう」

 私は、イーサンの求めに応じるままに、帯剣を外して彼に渡す。
 ジョッキを覗き込むと、濃くて黄色い液体が溜まっていた。発酵してガスが出てるのか、表面にフツフツと泡が立っている。

「……ん? これは、なんだ?」

 イーサンが私の剣を壁のフックに引っ掛けて、それから見せつけるように自分のジョッキを持ち上げ、口をつけた。

「リモンチェッロさ! ほら、一通目の手紙に書いただろ? 妻が作ったんだ……美味いぞ!」

 リモンチェッロとは、酒にハチミツとレモン、オレンジ等の柑橘かんきつ類を漬けて作った、甘い果実酒のことである。

 すすめられて、飲んでみる。
 その酒は、こってり甘くて良い匂いで、ほどよい酸味で、食道をトロトロと気持ちよく滑り降りていく。
 所々に果実らしき粒々があり、それが喉をもろもろと押し広げて、胃に重く溜まって、心地いい。
 一般的なリモンチェッロは皮しか使わないが、これは果肉まで入っているようだ。
 なのに、雑味やエグ味は感じらず、スッキリした後味だけが残る。

 ……確かにこれは……クセになる味だ!

 アルコールが吸収されたのか、だんだん身体が熱くなる。
 私は、夢中になって半分ほどを一気に飲み、それから言った。

「……こ、これはっ! 大変に美味だなっ!」
「だろ? 妻は昔、大勢の人にこれを振舞ふるまってたらしいんだ。けど、今は身体を壊してて、わずかしか作れないんだってさ」
「騎士団の仲間にも、ぜひ飲ませたい。少し、わけてもらえないか?」

 私の頼みに、イーサンは複雑な顔をする。

「そうしたいのは山々なんだが……すまない! こいつは、温度の変化に弱くてな。残念ながら、王都までは持ってけない」
「へえ……それは残念だなぁ」

 こんなに美味しければ、アンジェリカ様への、良いお土産になったかもしれないのに……肩を落とす私に、イーサンが笑いかける。

「でも、息子が大きくなったら、彼にもリモンチェッロのレシピを教えて、また大勢の人に飲ませたいって、妻は言ってる」
「あ! それは……とても良い案だと思うぞっ!」

 これほど美味い酒ならば、どこの酒場で売り出しても、すぐ評判になるだろう!
 それに、彼の息子を王都まで呼んで作らせれば、アンジェリカ様に献上する事もできる。
 まあ、それが何年後になるかは……わからないが……。

 その後、イーサンがカマドに火をいれ、ウサギ肉のシチューを作ってくれた。さらにテーブルの上には、キノコのピクルス、鹿肉の燻製、山菜のフリッターなど、素朴なツマミが所狭しと並ぶ。
 どれも美味くて、リモンチェッロにピッタリの味付けだ!
 私とイーサンは、上機嫌で杯を重ねた。

 饒舌じょうぜつになった私は、懐かしい思い出話や、騎士団の様子、王国内の雰囲気や、動きが活発になってきたモンスターの討伐計画に至るまで……アンジェリカ様との関係を除き、あらゆる事を彼に話した。
 イーサンは、すべての話に心行くまで付き合ってくれて、時には的確なアドバイスをくれた。
 私は、ジョッキの中の芳醇ほうじゅんなリモンチェッロを飲みながら、美しい女が赤ん坊を抱き、これを仕込んでる光景を想像し、心まで暖かくなっていた。

 本当に……来て、よかった!
 イーサンは、強くて美しくて尊敬できる、あの頃のイーサンのままだった!
 彼は、なんにも変わってなかった!

 私は、心底ホッとする。
 ふと気づくと、すでに夕方になっていた。
 入り口からは、血のように真っ赤な日が差し込んでいる。
 この洞窟……入った時は少し寒いと思ったが、今のアルコールで火照った身体には、気持ちのいい涼しさである。

 ああ! なんて、いい日なんだろう!?
 心から幸せを感じる!
 パーカー夫妻の未来に、末永く幸あらんことを!
 乾杯っ!

 ……と、その時。洞窟の奥で、何かが動く気配がした。
 イーサンが立ち上がる。

「おっと……妻が起きたかな?」

 ウトウトしかけていた私は、その声に顔を上げる。

「え……? やっと、奥方殿に会えるのか?」

 イーサンが、大きく頷いた。

「ああ、サビーネ。ようやく、君に会わせることができるよ。僕の、愛する妻に……」

 ずるり……びちゃん、ずるり……びちゃん。

 洞窟の奥から、濡れたシーツを引きずって、歩くような音が響いた。
 角を曲がって、イーサンの妻が姿を現す。
 ほの暗いランプの光に照らされた『妻』を見て、酔っ払った私の頭は、混乱した。

「……うあ?」

 それは、黄褐色のロバに似た生き物だった。
 しかし、脚の数がおかしい……明らかに多い。六本ある。
 全身の皮膚は、噴火口に似た三角の発疹ほっしんに覆われ、そこから体液を流し、テカテカと光っている。
 長い首の先には、丸くて大きな口しかない。中は、鋭い棘のような牙がビッシリ並んでいた。
 口の淵を彩る、妙に艶かしいピンク色の唇からは、三本の昆虫の脚が生え、その先端にはキラキラと透き通った、水晶玉に似た球体が……ギョロリ! それが動き、本能的に悟った。

 あ、あれは目玉だ……私を見ている!

 一気に酔いが覚める。
 嫌悪感で全身の皮膚が粟立あわだち、血が凍った!
 こんな醜悪なモンスター、見たことない!
 あれはきっと、おぞましいものだ!
 決して触れてはいけないものだ!
 地獄よりもなお遠い場所からやってきた、邪悪の化身だ!
 震える足に力を込めて、精一杯に怒気を込めて叫ぶ!

「お、お、お、おのれ、化け物ぉっ! 成敗してくれる!」

 怖気おぞけを振り払うように、即座に剣を抜こうと構える……が、ない!? 先ほど、イーサンに渡してしまったからだ!
 ずるり、びちゃ……ずるり、大きな怪物の陰から、小さな怪物が現れる。
 笑顔のイーサンが、呆れ声で叫んだ。

「おいおい、サビーネ……化け物はひどいなぁ! ほら、こっちが俺の息子だよ! ……どうだい、可愛いだろう!?」

 イーサンは、その小さな化け物を愛しげに抱き上げる。服が体液で濡れるが、お構いなしだ。そして、得意げなイーサンと怪物たちが……近づいてくる!
 パニックを起こした私は、テーブルにあったジョッキを投げつけた!

「う、うわあーっ! うわあああーっ!? 来るなっ! 来るなぁああっ!」

 陶製のジョッキがクルクル回って宙を飛ぶ。イーサンが怪物を守るように、慌てて己の頭を突き出した。額に当たり、バカン! ジョッキは音を立てて割れる。中に残ってたリモンチェッロが、辺りに舞い散った。
 イーサンは、頭からダラダラと血を流しながら、やれやれと首を振る。

「あーあ……もったいない! せっかく、妻が『作って』くれたのに……悪いけど、もう一杯、もらえるかい?」

 そう言いながら、イーサンは、壁に掛かっている新しいジョッキを手に取り、化け物の前に掲げて……艶かしい唇が、丸い口が、牙が……震える。そして、

 おごっ! おぐうおえぇ……おごう、おごぅ、おごう!

 奇妙な悲鳴を奏でながら、化け物はその口から黄色い粘液を吐き出す!
 ビチャビチャと床に液体が飛び散り、甘くてかぐわしい匂いが……ああ、なんてことだ! この匂いはっ!

 ……ジョッキに入っていたのは、アレだったのか!?

 化け物が吐き出す粘液の中では、正体不明の小さなオタマジャクシめいた生き物が、大量にピチピチ跳ね回る。床にできた黄色い水溜りに、無数の波紋ができては消える。
 イーサンが、ジョッキの中身をグイグイ飲み干す。

「んぐっ……んっ! ぷふぁーっ! う、うまい!」

 それを見ながら、私もゲロを吐き出した!
 そうしなければ、体の中の隅々まで汚されるような気がしたのだ!
 ……いいやっ! すでにけがれてしまった! 飲み込んでしまった!?

「うあーっ! あああーっ! ぎゃあぁーっ!」

 私は号泣しながら洞窟を走り出て、夜の森を駆け出した! ……後ろでイーサンが、狂ったように哄笑してた気がする。
 途中、何度か木にぶつかり、ひどい痛みを感じたのは覚えてる。
 そのうち、目の前が真っ暗になって……そして私は、街道沿いで、ボロボロになって倒れていた。
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