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第五章

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 世界には、原因を突き止めたくても分からないものがある。
 どうしてこうなったのか。どれだけ考えても追及できないことはあって、答えなんてそもそもないのかもしれない。そういうものと、ずっと戦っていかなければいけないのかもしれない。
「逢坂は本日をもって、一足早く卒業を迎えた」
 十二月に入ろうとしていた矢先、担任の先生が放った言葉に、教室内がどよめいた。
土砂降りだったあの日。ごめんと言い残して、彼はもう学校に来ることはなかった。
 空席となった彼の席は、まるで最初から誰も使っていなかったかのように物がなくなっている。
「え、なんで?」「一足早くってどういうことだよ」「逢坂くん最近来てなかったよね?」
 質問ばかりが宙に浮かび、担任は一度小さく息を吐いて、いなくなってしまった逢坂くんについて触れた。
 櫻井さんからも聞かれた。どうして、と。でも、私は何も言えなかった。
 あの日から、私の時間はずっと止まっている。逢坂くんと最後に会った日から。

 橙色に染まる教室は、帰りのSTが終わってからもう一時間が経とうとしている。誰もいない教室で、未練がましく彼の席に触れていた。
 ここは、本当に太陽みたいな席だった。
 つい一か月前は、いつだって人がわらわらと集まり、笑顔が絶えず、温かかった。その一員になりたいと思ったことがあることを、逢坂くんは知っていただろうか。
 憧れていたその席。主を失ったその場所に、こっそりと腰かけては窓の外を眺める。
 逢坂くんもこの夕焼けを見ているのかな。
 もう空っぽになってしまった。この席も、きっと逢坂くん自身も。
 逢坂くんの意識は、もう呼びかけても、表には出られないところにいってしまったのかもしれない。だから、学校には通えなくなってしまったのかもしれない。
 あれから、一度だって雨は降らなくなってしまった。まるで逢坂くんを食い尽くすような雨は、彼がいなくなった途端に消えるのだから憎い。ずっと晴れてくれていれば、逢坂くんは今も、ここに座っていたのかもしれないのに。

 教室を出て、ふらりと第二校舎の三階へと向かった。
 十月。あの月、私が掃除の当番でなければ、逢坂くんと接点を持つことなんてなかった。ずっと数学係として、逢坂くんが偽っている顔に騙され続けていたのだろう。
 私書箱を見るのは、あのときの私の生き甲斐だった。誰かの役に立てているのなら、それはとても素晴らしいことだと思ったし、自分の欲を解消するためとはいえ、今考えると誰かがここで吐き出して楽になれるのなら、付き添いたいと思ったのも事実だ。
 もうずいぶんと来ていないような気がする。あのおさげの女の子と会ったのだって、そんなに日数は経っていないはずなのに。
 あれから十月様の噂はぱたりと聞かなくなった。あの子はもう、十月様として誰かに返信はしていないのかもしれない。
 懐かしいような気持ちで私書箱に手をのばした。中には二枚の紙が入れられていた。
 一枚は便せん。もう一枚はルーズリーフの切れ端。
 便せんから読むことにし、二つ折りにされていたそれを開く。

【妹を助けてくださりありがとうございました。手術は成功しました。妹も来年には学校に通えるそうです。十月様が、ただ祈ってくださいと書いてくれたから、毎日祈り続けた結果だと思ってます。本当にありがとうございました】
 
 達筆で、丁寧な文字が等間隔で並んでいた。
 ああ、手術は成功したのか。あの男子生徒のことが何度か頭に過っていたけれど、そうか、助かったならよかったと安堵する。
 きっと返信をしたのはおさげの女の子だ。自分が助けてもらったからと、十月様の代わりをしてくれた、あの優しい一年の女の子。だから、これは私書箱に戻すことにした。もうあの子が私書箱をのぞくことはないかもしれないけれど、もしのぞいたとき、これを見たらうれしいだろう。
 それから、ルーズリーフの切れ端も見ることにした。

【      】

 白紙だった。そこには何も、どんな言葉も、書かれてはいなかった。
 それなのに、これが逢坂くんだと思えてしまう。逢坂くんが残したものなんじゃないかって、彼なんじゃないかって、自分が必死すぎて笑えてしまう。
なんでもいいから、すべてを彼に繋げてしまいたくなる。ぜんぶ、ぜんぶ。
 涙がぼろぼろと輪郭を辿り、床へと落ちていく。
 好きだった、逢坂くんのことが。友達として。人として。
 ホワイトな逢坂くんよりも、素のブラックな方が。
 ——そう自分に言い聞かせた。何度も何度も何度も。
 好きだった、と。人として、と。そうじゃないと、私はもう感情が抑えられなかった。
 込み上げてくる想いに、もう自分に嘘などつけなかった。
 好きだった——きっと、これは恋だったのだと思う。
 空気のように必要な逢坂くんを想って、私は逢坂くんに恋焦がれていた。あまりにも切ない別れは、私たちの関係に終止符を打ったような気がした。
 私たちは、ただのクラスメイトと呼ぶには他人行儀で、友達と呼ぶには親し過ぎて、恋人なんて、そんなの柄じゃなくて。
 曖昧な関係性をずっと辿りながらいつの間にかすれ違っていた。
 もう、あの日々に戻ることはないとどこかで確信していた。
これはきっと彼なりの最後の悪足搔きだったように思える。
 いつの日か、逢坂くん言っていた。『どうせ覚えておくなら良いものだけを覚えてろ』と。
 逢坂くんはきっとそうしたかったのだろう。
 なくなってしまうなら、良い記憶だけを覚えておきたいと。あの時の私は、逢坂くんにあまりにも無知で、気付けなかったことを後悔しかしない。
 私たちにはタイムリミットがあった。別れの時間がこんなにも早く来るのなら、もっと行動しておけばよかった。自分ができることを、最大限努力して、未来を変えられたらよかった。
 もし、十月様が本当にいるのなら。願いを叶えてくれるというのなら。
 私は彼に願いたい。最初で最後の願いを、十月様に届けたい。
 この願いは、届くだろうか。叶えてくれるだろうか。
 秋はもう、終わってしまった。
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