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第四章
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嵐はなかなかすぎてはくれなかった。
あれから三日。まるで嵐がこの街に──この学校にとどまっているような状態で、ずっと包み込んでいた。
「自転車が昨日飛ばされてさ。サドルが曲がってて」
雨量も瞬間風速も、稀に見る記録を叩きだしていた。櫻井さんの自転車もしばらくは乗れないらしい。修理出すのが面倒だとぼやいている。
朝から逢坂くんの姿は見なかった。今日は来ないのだろうか。空席となった場所はいつまで経っても今日は埋まりそうにない。
「お昼どこで食べる? 後輩迎えに行く?」
「冴島透? いいよ、いつも勝手に来るから」
「はは、もうちょっと優しくしてあげたらいいのに」
「優しくって言われても──」
ふいに、引っ張られるように視線が流れた。どうして窓の外を見たのか。どうしてそこに引きつけられたのか。
グラウンドに立つ白い人。その白だけがやけに目立っている。仄暗い世界に、土砂降りの中、誰かが立っている。傘もささずに、そこにずっと、立っている。
逢坂くんだと思った瞬間、教室を飛び出していた。櫻井さんの声が後方から聞こえたけれど、「ちょっとあの」という言葉しか出てこない。もう目は、足は、グラウンドへと向かっていた。
自分の傘を見つけるのももどかしくて、昇降口で一瞬戸惑った。けれどもすぐにお気に入りの青い傘を見つけて手に取る。傘を開き空の下を出れば、凄まじい雨音が傘を叩いた。
「逢坂くん!」
風も強く、傘をさしていても意味がない。制服はグラウンドに向かう途中ですっかりと濡れている。それでも走るのをやめられなかった。すぐに逢坂くんの元に行かなければならないという使命感に駆られていた。
白い背中はゆらりと振り返る。その目には生気というものが宿っていない。
「逢坂くん! 逢坂くん、しっかりして!」
近づく度に、ぬかるんだグラウンドの地面が足に吸い付くみたいに邪魔をする。
汚れるなんて、そんなのはもうどうだってよかった。ただ目の前にいる逢坂くんを取り戻さなければという気持ちだけが先走りするだけで。
「逢坂くん、どうして……」
自分の傘に逢坂くんをいれる。背の高い逢坂くんの頭を入れるように、腕を伸ばし、濡れないようにするのに、もうその目は私を見てはいない。
「……南雲」
風が吹く。雨が降る。土が邪魔。でも、そんなことよりも、明瞭に聞こえた逢坂くんの声にはっとする。意識はある。ちゃんと、そこに。私を見ているようで、見ていないその瞳の奥から、逢坂くんの気配がする。
「もう、だめかもしれない」
口が悪く、強気で、人を雑用扱いする人から出た言葉とは思えないほど、それはとても弱いものだった。
「……だめって、何が」
「南雲に会いに来たんだよ。どうして俺が、南雲の秘密をあの二人にばらしたのか、それを言いたくて」
「……待って、とりあえず中に入ろう。着替えて、温かいもの飲んで体を温めないと。風邪を引いちゃうから──」
「嫉妬したんだ、あのとき」
背中が冷たい。傘から滴り落ちる雫が、私と逢坂くんを濡らしていた。
傘の中にいる逢坂くんとは視線が合わない。もう、私が見えていないのかもしれない。
「南雲に告白したって言うから。だから、俺も南雲のこと、秘密を……知ってるって、特別だって、そう思わせたくて」
逢坂くんの髪が濡れている。まるでぜんぶ、逢坂くんの中にあるものを落としてしまうみたいに。
あの葉っぱのように、地面に落とされ、いつの間にか消えていくように。
逢坂くんの中にあるものが、少しずつ消されていこうとしている。
木が逢坂くんで、葉っぱが逢坂くんの記憶。
雨が降ると、葉っぱは少しずつ落とされていく。そのたびに逢坂くんが、自分の記憶を保てなくて、自分を見失ってしまう。
そんなの、させたくない。どうすればいいのだろう。どうすれば逢坂くんを保てるのだろう。
ずっと言われていたじゃないか。「俺を取り戻せ」と。ずっと、ずっと、SOSを出してくれていたじゃないか。
そのことに私は気付けないで、いつまでも時間があるものだと思い続けて、でもそんなことはあるはずがなくて。もう逢坂くんは限界だった。自分を保つことに限界を感じていた。そうじゃなきゃ、私書箱にあのノートを入れたりもしなかった。もうあのときから、あの日から、逢坂くんは私に助けを求めていたじゃないか。
「ごめんって、言いたかった。俺のわがままで南雲の秘密をばらして、ごめんって言うべきだった」
「違うよ、私が謝るべきだったんだよ。逢坂くんを取り戻さないといけなかったのに。ずっと繋ぎ止めておかないといけなかったのに。そんなことないの、違う。違うから。謝ることじゃないから。逢坂くん、悪いことじゃないから」
「──ごめん、南雲」
それが、逢坂くんとして、逢坂くんの口から聞いた最後の言葉だった。
あれから三日。まるで嵐がこの街に──この学校にとどまっているような状態で、ずっと包み込んでいた。
「自転車が昨日飛ばされてさ。サドルが曲がってて」
雨量も瞬間風速も、稀に見る記録を叩きだしていた。櫻井さんの自転車もしばらくは乗れないらしい。修理出すのが面倒だとぼやいている。
朝から逢坂くんの姿は見なかった。今日は来ないのだろうか。空席となった場所はいつまで経っても今日は埋まりそうにない。
「お昼どこで食べる? 後輩迎えに行く?」
「冴島透? いいよ、いつも勝手に来るから」
「はは、もうちょっと優しくしてあげたらいいのに」
「優しくって言われても──」
ふいに、引っ張られるように視線が流れた。どうして窓の外を見たのか。どうしてそこに引きつけられたのか。
グラウンドに立つ白い人。その白だけがやけに目立っている。仄暗い世界に、土砂降りの中、誰かが立っている。傘もささずに、そこにずっと、立っている。
逢坂くんだと思った瞬間、教室を飛び出していた。櫻井さんの声が後方から聞こえたけれど、「ちょっとあの」という言葉しか出てこない。もう目は、足は、グラウンドへと向かっていた。
自分の傘を見つけるのももどかしくて、昇降口で一瞬戸惑った。けれどもすぐにお気に入りの青い傘を見つけて手に取る。傘を開き空の下を出れば、凄まじい雨音が傘を叩いた。
「逢坂くん!」
風も強く、傘をさしていても意味がない。制服はグラウンドに向かう途中ですっかりと濡れている。それでも走るのをやめられなかった。すぐに逢坂くんの元に行かなければならないという使命感に駆られていた。
白い背中はゆらりと振り返る。その目には生気というものが宿っていない。
「逢坂くん! 逢坂くん、しっかりして!」
近づく度に、ぬかるんだグラウンドの地面が足に吸い付くみたいに邪魔をする。
汚れるなんて、そんなのはもうどうだってよかった。ただ目の前にいる逢坂くんを取り戻さなければという気持ちだけが先走りするだけで。
「逢坂くん、どうして……」
自分の傘に逢坂くんをいれる。背の高い逢坂くんの頭を入れるように、腕を伸ばし、濡れないようにするのに、もうその目は私を見てはいない。
「……南雲」
風が吹く。雨が降る。土が邪魔。でも、そんなことよりも、明瞭に聞こえた逢坂くんの声にはっとする。意識はある。ちゃんと、そこに。私を見ているようで、見ていないその瞳の奥から、逢坂くんの気配がする。
「もう、だめかもしれない」
口が悪く、強気で、人を雑用扱いする人から出た言葉とは思えないほど、それはとても弱いものだった。
「……だめって、何が」
「南雲に会いに来たんだよ。どうして俺が、南雲の秘密をあの二人にばらしたのか、それを言いたくて」
「……待って、とりあえず中に入ろう。着替えて、温かいもの飲んで体を温めないと。風邪を引いちゃうから──」
「嫉妬したんだ、あのとき」
背中が冷たい。傘から滴り落ちる雫が、私と逢坂くんを濡らしていた。
傘の中にいる逢坂くんとは視線が合わない。もう、私が見えていないのかもしれない。
「南雲に告白したって言うから。だから、俺も南雲のこと、秘密を……知ってるって、特別だって、そう思わせたくて」
逢坂くんの髪が濡れている。まるでぜんぶ、逢坂くんの中にあるものを落としてしまうみたいに。
あの葉っぱのように、地面に落とされ、いつの間にか消えていくように。
逢坂くんの中にあるものが、少しずつ消されていこうとしている。
木が逢坂くんで、葉っぱが逢坂くんの記憶。
雨が降ると、葉っぱは少しずつ落とされていく。そのたびに逢坂くんが、自分の記憶を保てなくて、自分を見失ってしまう。
そんなの、させたくない。どうすればいいのだろう。どうすれば逢坂くんを保てるのだろう。
ずっと言われていたじゃないか。「俺を取り戻せ」と。ずっと、ずっと、SOSを出してくれていたじゃないか。
そのことに私は気付けないで、いつまでも時間があるものだと思い続けて、でもそんなことはあるはずがなくて。もう逢坂くんは限界だった。自分を保つことに限界を感じていた。そうじゃなきゃ、私書箱にあのノートを入れたりもしなかった。もうあのときから、あの日から、逢坂くんは私に助けを求めていたじゃないか。
「ごめんって、言いたかった。俺のわがままで南雲の秘密をばらして、ごめんって言うべきだった」
「違うよ、私が謝るべきだったんだよ。逢坂くんを取り戻さないといけなかったのに。ずっと繋ぎ止めておかないといけなかったのに。そんなことないの、違う。違うから。謝ることじゃないから。逢坂くん、悪いことじゃないから」
「──ごめん、南雲」
それが、逢坂くんとして、逢坂くんの口から聞いた最後の言葉だった。
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