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第四章

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「捕まえたよ、十月様だって」
 新しく十月様に就任したという彼女は、櫻井さんと冴島透に両脇を抱えられ捕獲されていた。わなわなと震えるその姿を見て、同情心のようなものが沸く。
 逢坂くんとあれだけ張り込みを重ねても見つけられなかったというのに、二人が参加した途端にこうして出会えてしまうのだから偶然とはおそろしい。
 上履きの色は赤。一年生だ。
「あなたが十月様なの?」
 同じ場所へと戻された彼女は、私の問いかけにぎこちなくうなずいた。
「……ただ、お礼がしたくて」
「お礼?」
 今度は激しく首を縦に振り強調させる。
「……助けてもらったから、十月様に。それで……私もって」
 聞けば、彼女は一番最初に手紙を出したという女の子だった。家庭環境が辛く、学校でも馴染めず、このまま卒業まで過ごすことは耐えられないと思っていたらしい。そんなとき、私書箱に手紙を投函したのは、とある小説で似たような設定があったからという。
「ほんとうに返事がくるとは思ってなくて……話聞いてもらったら勇気が持てて、そしたら学校で友達ができたんです。家族とはうまくいってないけど……でも、あのとき手紙を出してよかったって思えました」
 それから新しくできた友達にこのことを話したこと。それがどんどん話が広がってしまったこと。十月様だと呼ばれるようになったこと。そして、十月様がいなくなってしまったこと。
「私のせいだって思いました。学校にこのことを広めたから消えてしまったんだって。じゃあ、私が十月様になるしかないって……でも、呪いとか、そういうのが広がり始めて……私、ただ手紙の返事をしただけなのに。私が始めなければ、こんなことにはならなかった。手紙の返事もやめようと思うんです。でも、私みたいに誰かが救われるならって思ったら、どうしても私書箱をのぞいてしまって」
 それは果たして彼女の責任だったのだろうか。私からすれば、それは彼女が負うべき責任でなかったように思う。それでも彼女は申し訳なさそうに顔を歪める。私が友達に言わなければ、こんなことにはならなかったのに。あの人は、人を呪ったりなんかしないのに、すごく優しい人なのに。
 そう涙ながらに語られたときは、自分が手紙の相手だったことを告げようか迷った。
 優しくもなんともない。ただ自分の欲を解消させるために、人助けという行為に酔っていただけだと。けれど言えなかった。
誰も、十月様が私だったってことを彼女に言わなかった。

「なんか十月様って、改めて考えるとすごいよね」
 その日の帰り。雨があがった空の下を四人で歩いていた。
 櫻井さんが感慨深げに言うものだから「え?」と思わず反応してしまう。
「いや、だってさ。ただの噂だと思ってたけど、実際誰かの手で誰かが救われたってことでしょ? それに影響力が大きくて、さっきの子みたいに良いも悪いも心に残していくんだから」
 もし、私があのまま十月様を続けていたら、彼女が責任を感じることはなかっただろう。友達に話したことすら罪悪感を抱かずに済んだのかもしれない。
「呪いとか、そういうのあると人は余計に信じるもんだから」
 冴島透が興味なさそうに言う。
「こういうのに限った話じゃないけど、噂ってあれこれ話が大きくなっていくもんじゃん。たまたま願いを叶えてもらったっていう人が交通事故にあえば、願いを叶えてもらったから呪われたんだって考えるんだろうし。目に見えないからこそ、あれこれ惑わされるんだよ」
 そうだね、その通りだよね。そう返しながら、それでも私が十月様をやらなければよかったんじゃないかという考えは拭えない。
 きっと二人は、私が初代十月様だったと知って、フォローしてくれようとしてくれている。言葉で救おうとしてくれている。その優しさが純粋にうれしかったし、受け止めたいと思った。
 けれど、私の頭の中には、十月様とそれから逢坂くんのことで支配されていた。
 さっき見た光景を、どう処理すればいいのか。
 それを察したのだろう。逢坂くんは私の肩を抱くと「ちょっと借りてくわ」と問答無用で二人から引き剝がしていった。
 冴島透が怒っていたように見えたけど、それでも私は逢坂くんの行動に抗えなかった。どうしても、あのときのことを知りたいって思ってしまったから。
「そんなあからさまに見られると困る」
 寒い時期になぜかコンビニでアイスを買ってきた逢坂くんは「食え」とソーダ味をくれた。
「こういう時は肉まんとか、ホットミルクとかココアとか、そういうのじゃないかな。十一月だし」
「人からもらったもんにケチつけんな」
「……そうだね。ありがとう」
「おう」
 冷えた風が肌を撫でていく。さっきまで雨が降っていたのだから気温も低い。
 そんな中、コンビニの前でアイスを頬張る高校生二人。
「雨が降ると、俺が消えていくんだよ」
 しゃりしゃりと、爽やかな味が口いっぱいに満ちていく。あれ、今、逢坂くんはなんて言ったのだろう。消えていくと、聞こえた気がする。
「消えてく、俺が」
 なぞるように、言い聞かすように、そう続けられた言葉。嘘ではなく、それが本当のトーンだから厄介だった。
「……消えるって、どういうこと?」
「自我解離症。自分がなくなっていく症状みたいな」
 初めて聞いた。そんな症状がこの世にあるなんて信じられなかった。
 アイスがどろりと指に流れてくる。こんなにも寒いのに、こんなにも冷たいのに、どうしてアイスは溶けるのだろう。どうして、逢坂くんはなんともない顔で言うのだろう。
「……どうして雨が降ると、逢坂くんの自我が消えちゃうの?」
「原因は分かってない。雨の音だとか、低気圧の問題とか、いろいろ所説あるらしい。でも実際のところは原因不明で終わってる」
 逢坂くんは続けた。
「雨が降ると、俺っていう人格がどこかに閉じ込められていく。昔からたまにあったけど、最近は酷くなってる」
「それって、二重人格みたなやつ? 頭の中に別の人格があって入れ替わるとか」
「ちがう。ロボットになってくようなもん」
 しゃり、しゃり。逢坂くんのアイスはどんどん消えていく。私のアイスも溶けていく。
「ロボット……」
 それは、前に彼とした会話の中で重なる。
 私が初めて逢坂くんに感情をぶつけたとき。かっとなった私に、俺のいうことを聞けなどといった彼に、私はロボットじゃないと言い返した。
 あのとき、逢坂くんの言葉にどこか違和感を抱いていたことを思い出す。
 きっと、彼がロボットと復唱したその言い方が、引っかかったのかもしれない。あのときの彼は、その言葉を自分に重ねていた。
「意識はある。あるけど、なんか遠くへ追いやられるような感じ。分かんねえと思うけど、傍から見たら、無になってるってことだと思う。俺の意思は表には出せないってこと」
「どうして雨が降ると消えるの?」
「知らない。でも雨が関係して俺の主導権も、勝手にどこかへ落とされる。だからそのうち俺だけど俺じゃなくなると思う」
 逢坂くんの話は難しかった。そういう症状があるんだという。詳しいことは教えてくれない。簡単なものしか教えてくれない。
 ふと、校舎にある木を思い出した。
 夏にはたくさん葉があったのに、雨が降るたびに振り落とされて、木だけが残っている。
 まるで、木が逢坂くんで、葉っぱが逢坂くんの記憶みたいだった。
 雨が降ると、秋はどんどん終わって、冬になる。
 逢坂くんもまた、逢坂くんじゃなくなっていく。
 あの日──逢坂くんの日記を見つけたあの日。
 あれは、自分を保つために書いてたものだったのかな。
「……どうして教えてくれたの?」
 隠していたんでしょう? そう言ったら、彼は笑った。「あんたが十月様だってこと俺がバラしたから、これでおあいこ」ぱくり、アイスはぜんぶ、なくなった。
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