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第四章

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「なぐもん、それって手紙?」
 休み時間。便せんを机にひらいたまま、何度も書き出しで迷っていると、櫻井さんが不思議そうにのぞいてきた。
「手紙? 誰に」
 そこに逢坂くんもやってきて、わらわら人が集まる。
「いや、その……誰にってわけでもなくて」
 ずっと書かなければいけないと思いながらも、こんな時期になってしまった。
「漂流郵便局に出すつもりで」
 二人の声が重なるように、漂流郵便局、と言葉をなぞられる。初めて知るような顔に、祖母から教えてもらったことをそのまま口にした。
「行き先を失った手紙が集まる不思議な郵便局」
 届けたくても届けることができない手紙が、そこにはたくさん届く。
「亡くなった人とか、連絡が取れない人、話すことはできるけど想いを伝えることができない人とか、そんな人への手紙が、その郵便局に届くんだって」
 どうしようもない気持ちを、伝えることができる特別な場所。
 胸にとどめておくことだけでなく、その場所に届くという話は、なんだかとても素敵だと思う。
 そこに、祖母は両親への手紙を書きなさいという。
 気持ちを整理することが大切だからと。でも、書きたい言葉なんて、一つも浮かばない。こうして便せんを目の前にしても、届けたい気持ちなんて湧かない。こんな娘は薄情だろうな。でも、父親は亡くなり、母親は生きているかどうかも分からない。二人は、私に最後の言葉さえ残していってはくれなかった。そんな人たちに、何を送れというのだろうか。
「面白いね」
「あ、……うん。櫻井さんも逢坂くんも伝えたい人がいれば、書いてみるのもいいと思うよ」
 そんなこと、私が言えた立場ではない。
 二人は、この便せんが誰宛てなのか聞くことはなかった。

 復活した十月様は、呪いをかけてくる神として今もなお噂されていて、最近では「誰々を呪ってくださいと言えば、その人に呪いをかけてくれるらしい」などというものが広がり始めていた。
 噂はどんどんひどくなっていく一方で、どこかで私が十月様だったことを知られれば、その責任はすべて私に降りかかってくるような気がして怖かった。
「十月様の件について始める前に──そこのお前ら、なんでここにいんの」
 十一月下旬。第二の十月様が現れたという話から数日経った今。放課後の教室には逢坂くんと、私と、それから櫻井さんと冴島透が残っていた。
「別にいいでしょ、なぐもんかばって私ハブられてるんだから」
「え、櫻井さんハブられてるの?」
「あーあ、あそこで庇わなきゃよかった」
 とかなんとか言いつつ、たいして気にしていないような素振りで自分の手元を見つめる。綺麗に塗られた透明な液体が、彼女の爪を美しく見せていた。
「……まあ、櫻井はいいとして、そっちは」
「俺はこの人に告白したんで」
「は? いつ?」
「それって関係あるんですか? ないですよね、そもそも告白したって言ってるんだから、気を遣ってくれませんか。先輩なんだから、そういうことできたらどうですか」
 逢坂くんに対してびっくりするほど反抗的な冴島透は「俺より年上なのに馬鹿なんですね」と高圧的な態度をとっていた。櫻井さんは「なぐもんっていつから両手に花なの?」と驚いている。
「……おい、このままこの男を置いておくのか」
「え? あー……どうしてもっていうから。ほら、十月様も見つけてくれるって」
「嘘に決まってんだろ」
「嘘だってどうして分かるんですか? そもそも逢坂先輩ってこの人と無条件でいられるって勘違いを──」
 二人の喧嘩は飽きることなくしばらく続いている。それを横目に、十月様をあれこれと考えてみた。あれから、噂は絶えず流れ続けているけれど、十月様と思わしき人物は出てこない。
「でも、十月様ってどうして呪われるって言われ始めたんだろう」
 新しく出た十月様は、願いを叶えてはくれるけれど、その代償として呪われるというものだった。それはどうしてなのだろうか。
「呪われたとか聞くけど、実際それってたまたまって言えばたまたまなんだよねえ」
 櫻井さんがささくれを処理しながら呟く。
「偶然が重なったってところなのかな」
 ふと、あの人のことを思い出す。妹の手術を成功させるためには、自分は呪われてもいいんだと言っていた、あの人のことを。あれからどうなったのだろう。手術は成功したのだろうか。
「あ、雨」
 冴島透が窓の外を見て反応する。流れるような短い糸が、無数に降り始めているのが見えた。
「まあ、とりあえず張り込みでもしたらいいんじゃない? なぐもんたちだって張り込みしてたんでしょう?」
「あ、うん。なかなか現れないけど」
「今日は現れるかもしれないじゃん。ほら、いこ」
 細く柔らかい手が、さりげなく私の手首を掴んでいく。
 もう、握られることなんてないと思っていた櫻井さんの手。その温もりを肌に直接感じながら、うれしくて振り返る。
「おうさ──」
 振り返った先では、逢坂くんがぼぅと外の景色を眺めている。室内の蛍光灯に照らされた顔が一瞬、怯えているように見えたのはなぜだろう。
「逢坂先輩、行きますよ」
 冴島透が渋々声をかけると「……うん」と意識を取り戻したようにいつもの顔へと戻っている。
 今、見た顔は一体なんだったのだろう。
 そんな疑問さえ、どうしてかぶつけることができなくて、櫻井さんに引っ張られるまま教室を出た。

「で、あの私書箱が問題なのね」
 たしかめるように顔を廊下へと出す櫻井さんの後ろ姿に「うん」とうなずく。
 どんよりとした空気が校舎を不気味に演出していた。
「さむ。もういいんじゃない? 今日現れないって」
 両腕をさするような仕草で冴島透が顔を顰める。そういえば昔から寒さには弱かったっけなんて思いながらも「まあ、もう少しだけ」となだめる。
「でも、最初はやさしい十月様だったのに、復活したら悪い十月様になったんだろ」
「そりゃあ、中の人間が変わってるからだろ」
 櫻井さんの疑問に、逢坂くんがあっけらかんと答えた。その先、なんて続こうとしているのか分かってしまって、「お、逢坂くん⁈」と止めようとしたけれど、
「最初は南雲だったんだから」
 制止も虚しく、その秘密はいとも簡単に暴かれてしまった。
「え……なぐもんが十月様?」
 ぱちくりと、まるで出された答えがのみこめないような表情の櫻井さんと目が合う。冴島透も声こそ出さないが、目を見開いて聞いている。
「今更隠すことないだろ。それに今は違うわけだし」
「い、いやあ、だって……」
 今まで黙ってくれていたのに、なぜ急にこんなことになってるのか。
「え、ちょ、ちょっと待って、なぐもんって……そういう力あるの?」
「な、ないよ! 超能力とかないから……ただ普通にお悩み相談みたいな感じで話を聞いてただけで」
「でも、願いが叶ったって人もいて──」
「ちょっと待って」
 小声でそうストップをかけたのは意外にも冴島透だった。この男のことだから、私が十月様なんて認めないとかなんとか、いちゃもんをつけてくるのかと思えば、その視線は例の廊下へと向けられている。
「あれ、もしかして私書箱のぞいてるんじゃない?」
 みんなしてこぞって顔を出せば、廊下には黒髪おさげの女生徒が私書箱の中身を見ている。
「え、うそ、現れちゃった感じ?」
「でも前回は、ああやって覗いてた男子生徒が、実はお願いしに来ただけだったってこともあったから……たぶんあの子もそっちなんじゃ」
「おい、紙を抜き出してるぞ」
 逢坂くんが言うように、女生徒は私書箱から何枚かの紙を躊躇うことなく引き出した。
「十月様じゃん! ねえ、ちょっと!」
「え? ちょっ、櫻井さん⁉」
 何を思ったのか勢いよく飛び出していった櫻井さんに、女生徒がびくりと体を震わせたのが見える。それから、まるで悪事の最中を見つかったと言わんばかりの顔で、私たちがいる方向とは真逆へと走り出していく。
「なんで逃げんの! 待ってよ」
 冴島透も、二人のあとを追っていく。あれだけ帰りたがっていたのに、こういうときは張り切るタイプらしい。
「逢坂くん、私たちも一緒に……」
 と、彼がいた場所へと視線を向ければ、薄暗く、誰もいない階段の踊り場で座り込む逢坂くんの姿。
 慌てて駆け寄ろうとすれば、その足は竦んだように動かなくなる。
 ゆらりと蠢いたその姿は、私がよく知っているようで知らない人物に見えて、思わず呼吸を忘れるほどの衝撃を受けた。
「……逢坂くん?」
 彼の名を口にすると、その丸まった姿はのそりと顔を上げる。
 ──誰だろう、というのが彼に対して混沌としていた。
 ほんの少し前までは賑やかだったこの廊下も、あの二人がいなくなると嘘のように静まり返り、一つ一つの音がクリアに聞こえる。
「どう、したの?」
 どくどくと、心臓が鳴っていた。まるで怖いものをたしかめるような、そんな複雑な心境。こんな感情を逢坂くんに抱くことなんて間違っているはずなのに。
 逢坂くんは額を強く抑えていた。呼吸もどこか浅い。
「雨……」
「え?」
「……保て、ない」
 苦しそうに放たれる言葉たちは、一体何を示しているのか。
 そういえばさっきも、教室で雨を眺めていた。怯えたようなあの横顔をはっきりと思い出す。
「逢坂くん」
 なんて声をかければいいのか、その答えが探しながら彼の名前を呼ぶ。すると、険しい顔つきから一転、我に返ったような表情へと切り替わる。
「……南雲」
 どうしてか、その顔は安堵したように見えて言葉が続かなかった。
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