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第三章

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 十月様探しは、あれ以来何度か見張るものの、それらしい人物を見ることはなかった。
 相変わらず願いを叶えてもらった人は、怪我をしたとか、身内に不幸があったとかで恐怖の対象として語られることが多く、そのたびに私の背中は丸まっていった。
「あ、加古」
「綺穂……やっほ」
 同じクラスでも、彼女との距離は極端に離れていく一方だった。二人が、というよりも、他人に支配されているような感覚。顔を合わせば最低限、微笑み合うだけで話をすることは減っていった。
「ねえ、逢坂くんに話しかけてみてよ」
 十月様の話題に交じって聞こえるようになった別の話題。
「無理。最近の逢坂くん雰囲気変わったっていうか」「でも好きだって言ってたじゃん」
 クラスメイトの女子が、ちらちらと逢坂くんに視線を投げ、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
 ブラック逢坂になってからというもの、気軽に声かけるのは先生ぐらいになっている。男子も女子もこぞって距離を置くようになった——いや、正確には逢坂くんが距離を置いているように見える。
 だからだろうか。登校したら、上履きがなくなっていたというのは。
 一度靴箱の扉を閉め、一呼吸置いては確かめるようにもう一度開けたものの、状況は何一つとして変わらない。
 上履きを盗んでいく人がいるなんて。
 ツルツルと滑るような感覚に違和感を覚えながらも、俯きがちになる視線を上に保つよう心掛けた。
 背中が丸まっているところを逢坂くんに目撃されたら罰金だ。教室へと足を踏み入れれば、数人が私の顔と足元を確認。
 ——あ、あの人達が犯人だ。
 前に逢坂くんにジャージを貸してほしいと群がっていた人たち。流行ものが好きで、いつもブランド品やメイクの話、彼氏について楽しそうに語っている。
 にやにやと目くばせをして笑い合うあたり、どうやら犯人がすでに特定出来た模様。そこには加古の姿もいた。
 誰とでも話が合わせられる彼女は、どこに所属するというのはなかったけれど、最近はあの人たちに専ら縛られているのかもしれない。
 加古が私の悪口を言っているようには思えないけれど、こうして距離が離れてしまうと、分からなくなってしまう。友達の定義というものが。
 大して気にしていないような素振りで席に座る。
 こんなとき、今までは気にも留めていなかった人の足元に目がいくようになるらしい。誰もが当たり前のように履いている上履きを見ると、自分だけ黒いソックスのままでいるのは何だか気が引けた。
 どこかに置かれているのか、捨てられているのか。
 今更探しに行こうにも席を立つのが恥ずかしいと思ってしまう私は小心者だ。上履きがないことが誰かにバレると思うと、ずんと腰が重くなる。ここまで歩いてきたというのに。
 朝のホームルーム開始の鐘が鳴る寸前、大きな欠伸をした逢坂くんが教室に入ってくるのが見えた。そのままこちらを見ることもなく着席し、机に伏せて寝る体制をとっている。視線を黒板横にある時間割へと移す。
 一時間目は体育と思い返しては無意識に机横の袋に手が伸びるものの、掛けられているはずだった体操着袋がなくなっている。
 どうやらこれも、あの犯人達によるものなのだろうか。
 上履きといい、体操着といい、なくなると困るようなものばかりが盗まれている。
 なくなると困らないものもあまりないけれど、それにしてもこの二点は私からするとかなりダメージが大きい。さすがにメンタルがやられる。豆腐のようなハートは今やぐちゃぐちゃだ。
 ここまで分かりやすい嫌がらせをされると、さすがに担任の先生にも言いづらい。
 いじめ、だと判断されると大ごとになってしまいそうで、教室でいじめ調査なんかをされるのも困りもの。
 そうなることだけは避けようと、伸びた手を引っ込めてはそのまま静かに座っておくことにした。数人の女子生徒がこちらに視線を向けては悪意ある談笑を口にしているのが全身を突き刺していく。
「──ざまあみろって感じ」
こんな時、耳は過剰にそちらの声を聞き取ろうとしてしまうから厄介だ。 

 体育は見学を申し出ることにした。
「体調が優れないです」と先生に嘘を伝え、初めて授業をサボった。
 グラウンドから離れ、校舎の壁に凭れかかるよう体重を預ける。
 男子はどうやら体育館でバスケらしいけれど、逢坂くんはきちんと受けているのだろうか。こんな時、男子メンバーとは上手くやれているのか心配になる。
 それに比べて私は、加古と離れ、ついには嫌がらせまで受ける始末だ。
 目を瞑り、落ち着かせるよう何度か小さく深呼吸。気持ちの良い風が静かに流れているのを感じていると「何してんの」と、ハスキーボイスが特徴の声が降ってきた。
 窓から顔を出すようにこちらを見降ろすその目は、私が苦手とする彼の瞳で思わず眉間に皺を寄せる。
「冴島透」
「何でフルネームなんだよ」
「なんとなく」
 私を大嫌いだと公言する割には、なにかと話しかけてくる。普通嫌いな相手には口を利きたくないと思うはずなのに。
 よくよく見れば透き通るような肌。こんなにもまじまじと彼を見たことがなかったからか、かなり意外。ずいぶんと恵まれた容姿をしていらっしゃる。
「で、何してんの」
 やたら私のことが知りたいらしく、やけに突っ込んだ内容を聞いてくる。「ご覧の通り見学中」と素っ気なく返す。
「なんで見学?」
「……お腹痛くて」
「ふーん」
 大して興味がなさそうなそのリアクションに「ならなんで聞いてきたの」と言い返してしまいたいのを、ぐっと堪えた。
 彼も彼で授業中だというのに何故廊下を歩いているのか。一階の廊下を歩いているということは職員室か保健室か、はたまた今登校したのか、可能性はいくらでもある。知りたいようなことでもなかったのでスルーを選択。
「いじめられてんの?」
 あまり触れられたくない話に、思わず過剰に肩が反応する。泳いだ視線の中で「どうして?」と彼に投げかける。今の流れではあまりにも唐突過ぎて、彼が何故そんなようなことを聞いてきたのか理解ができない。
「これ」
 そう言っては頭上から何やら布状のものが振ってくるのが見え、ぎゅっと目を瞑る。
 咄嗟に出た手の上に落ちてきたそれはかなり柔らかく、痛みを感じることなく受け取ることができた。見覚えしかないそれは、ついさっき一人でないと焦った体操着の袋。
「これ……どこに?」
「ごみ捨て場に落ちてた」
「あ……そっか」
「捨てた?」
「……いや」
「そ」
 捨てられたのか、と彼は続けた。
 まさかこれがごみ捨て場で放置されていたなんて信じたくなくて、抉られたような心臓はチクチクと痛みを広げる。
「拾ってくれてありがとう」
「別に」
「ちなみに、どうしてごみ捨て場に?」
「暇つぶし出来そうな所を探してる最中に通った」
「暇つぶしって……」
 真面目に授業は受けていないのだろうか。半ば呆れつつも、こんなにも彼と長く話したのは初めてでどこか新鮮。
 いつも私に悪意を含んだ言葉をぐさぐさと刺してきたというのに、今日はそんな言動が見受けられない。同情でもされているのだろうか。
「今日は暴言吐いてこないんだ」
「何それ」
「いつもひどいこと言われるから」
「いつもじゃない」
 俺を何だと思ってんだよ、と。冷ややかな視線を送られ顔を逸らす。
 彼には悪いイメージしかないものだから今更こうして普通に接しられると困ってしまう。
 遠くでテニスを楽しむ生徒の声が聞こえる。それがグラウンドからだと気付いたとき、どうして私だけここにいるんだろうかと疑問に思えてしまった。
「体操着見つかったんだから参加すれば?」
「体調悪いって言ってあるから」
「別にいいでしょそんなの」
「さすがに、今更出て行けるだけの勇気はないよ」
「ふーん」
「ふーんって口癖だね」
「ねえ」
「ん?」
「俺、好きだよ」
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