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第二章

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「なーぐもん」
 櫻井さんの件に関して、流すことに決めたその日のうち。彼女の方からアクションがあった。
「あ……櫻井さん」
「写真なんだけど、あれ私のせいなんだ、ごめんね」
 校内にばら撒かれていた半目写真は同じクラスの人たちが仕方なくといった様子である程度剥がしてくれた。
 私も自分の写真なので色々と駆け回ったけれど、一番驚いたのはどの教室の黒板にもあの写真とあの文字が書かれていたこと。
 その労力と写真の現像代に費やした無駄なお金に驚きを隠せなかった。正直簡単に真似出来る範囲ではなく尊敬に値するレベル。
「昨日ね、SNSに写真アップしちゃって……まさかその写真がこんな風に悪用されるなんて」
 櫻井さんはあくまでこれは誰かの仕業だということで話を通したい様子。と言っても、彼女がやったという証拠はないから、もしかしたら彼女ではないのかもしれない。
「ううん、気にしないで。こういうこともない限り、私が注目されることはないから」
 強がったポジティブ発言に、彼女は「へ、へえ」とぎこちなく笑っていた。
 本当は言いたい。彼女に確かめたい。それでも本人を目の当たりにすると、真実をぐっと飲み込むしかなくて、流すと決めた以上は、もうあの件に触れるわけにはいかない。
 ——けれど本当は。
 やっぱり腹が立って仕方がないし、できれば「あなたの仕業でしょ」と全てを吐露してしまいたくなる。悲劇のヒロインぶるわけではない。ぐつぐつと煮えたぎる腹の中で、自分自身と格闘する。「流すと決めた」と囁く自分と「いや、やっぱり今問い詰めるべきだ」と激昂している自分もいる。
 けれど、もしかしたら、私はこうされるべき何かをしでかしたのかもしれない。
 何かしらの罰がくだった結果だと、この写真の騒動を見たときに思った。私は彼女に対して、こうされるべき行動を起こしていたのかもと思うと同時に、私だけが被害者ぶるのはよくないとも反省をした。
『俺が櫻井の告白を断った以降、俺と距離が近くなる女には嫌がらせ行為をしていたらしい』
 逢坂くんのあの台詞が、頭の中で流れていく。
 ……そうか、私はいつの間にか、彼女の逆鱗に触れていたのか。
 逢坂くんに近付くという行為そのものが、彼女は許せなかったのではないだろうか。

「本当にだっさいな、南雲綺穂」
 意気消沈の真っ只中、優しい言葉をかけてくれる人はいない。容赦なく毒を吐く人物なら約二名程心当たりがあるけれど。
 そう、逢坂くんを除けばこの男、生意気な少年、冴島透だ。
「……もう一度聞くけど、学校では話しかけないって決めてたよね?」
 彼は私と親戚同士だということを回りにひた隠しにしているらしい。
「親戚だなんて呪われている」と言い放った五歳のあの冴島透を今でも鮮明に覚えている。思い返せば、そんな小さな時からこの男は私を嫌っていた。
「話しかけたいわけねえよ」
「矛盾してない?」
「俺の視界に入るほうが悪くね?」
「視界から上手く取り除こうよ」
「勝手に入ってくる人間が悪いんだろうが!」
「えええ、逆ギレ」
 何故こうも年下に罵られ、逆切れをされなければならないのか。
 いつもならもう少し相手をしてあげるだけの余裕があるが、さすがに今は傷が癒えていないこともあり、精神がこれ以上削られるのを避けるためにその場から退散できれば良かったけど。
「あれやったの、櫻井って女だぞ」
 鉛のように重い足は、その言葉でぴたりと動くのをやめてしまった。
「……どうして」
「部活終わって教室に忘れ物取りに来たら、あの女が出てきたから。そしたらあの写真が貼られてた」
 こんなにもあっさりと、彼女が犯人だと判明するとは思っていなかった。彼女ではないかとどこかで思ってしまっていたらしい。この期に及んで、そうじゃないと、胸が痛むはずがない。こうして決定的な台詞を言われると胸がどうしようもなく苦しくなる。
「そう……」
 彼女だと分かっていながらも、証拠はないのだから彼女ではないかもしれないと、どこか逃げてしまっていた。
そんな彼女が犯人だと他者から聞かされると、友達という定義は一体なんなのだろうと分からなくなる。
「当然、その写真は剥がしてくれたんだよね?」
「そのままにした。剥がすメリットなんて俺にはないもんで」
「冷た」
 精神が擦り減っていく。それを避けるために退散しようとしたというのに、足を止めてしまった自分が悪い。自業自得だろうか。
 櫻井さんには今まで通り接すると決め込んだはずなのに、いとも簡単にその姿勢が崩れようとしている。
 全然、流せない……覚悟が足りなかったんだ。
 やはり逃げているだけなのか。向き合わない事を選択してしまっているのでは………分からない。
「どうせあの男に構ってたからこうなってんじゃん」
「あの男って?」
「薄気味悪い逢坂楓」
 年上に対して何とも失礼な前置きだ。おまけにフルネームとは、この男には礼儀というものが存在していないのだろう。
「あんな散臭い奴に構ってるからこうなるんだよ」
「構ってるって……」
「よく話してるの知ってるし」
 そう言われるほど、人前で話す機会は少ないはずなのに。もしかして彼が知ってるということは周りにバレているとか。
 櫻井さんの嫌がらせも、きっと私が逢坂くんと話している場面を見たからに違いない。
「あんな男からはすぐ離れた方がいいんじゃね」
「なんでそんなこと……」
 煩わしいお洒落前髪から覗く彼の真っ黒な双眸。
「そんなんだから友達少ねえんだよ」
 逆切れからの八つ当たり。理不尽とはこういうことを言うのだろう。
「なんでわざわざ破滅の方向にいくんだよ」
「そんな方向にはいってないと思うけど……」
「昔から自分を犠牲にする。そうすればいいと思ってる」
「……そうかな」
「あのときだって──」
 サイレンが鳴る。過去になったはずのあの、くるくるとまわる赤いライト。
 記憶は、どこまでいっても頭に残り続ける。それは嫌な記憶であればあるほど、どこまでも私を追いかけ、離してはくれない。
「やめて!」
「……」
「あのときの話なんて、しないで」
 お願いだから、冴島透だけでも、あのときに戻らないで。あのときの話をしないで。あのときに、私を戻らせないで。
 お願いだから。
「……ごめん」
 珍しく謝った彼に、力なく首を振る。まだ、先に進めてない。何度も先に進もうとするのに、ぜんぜん進めない。私が悪い。ぜんぶ、私が悪いだけなのに。
「俺が言いたいのは、自分を犠牲にすんなって、それだけだから」
 分かってる。でも、自分を犠牲にしない生き方を私は知らない。どうすれば楽に呼吸ができるのか分からない。どれだけ過ごしても、前に進めそうにない。
 冴島透が離れていく。その足音が聞きながら、頭の中を空っぽにする。何度も深呼吸をして、落ち着けと自分に念じた。
「あいつ、あんたのことが好きなのか」
 そんなとき、後方からの投げかけにぴくりと耳が反応する。
 聞かれていただろうか。今の会話。いつからそこにいたのだろう。
「……逢坂くんは、盗み聞きが趣味だよね」
「あんたの話には微塵も興味がねぇよ」
 盗み聞きの常習犯なのではないかという疑いが拭えない。むしろ現行犯逮捕してもいいぐらいの話だと思う。
「話、聞こえた?」
「いや、なんかぼそぼそしか」
「じゃあ、どうして好きとかどうとかって話?」
「適当に言っただけ、盗み聞きじゃない」
 あくまで盗み聞きをしていたとは認めないらしい。盗み聞きをされていたとしても大した話をしていたわけでもないけれど。どうやら彼は私が気になって気になって仕方がないみたいだ。
 ふう、と切り替えるようにして、対逢坂くんモードの自分を作り出す。
「そっか、逢坂くんってツンデレなんだ」
「どこをどう切り取ってそうなる」
「それよりも、彼が私を好きだとか盛大な勘違いをされた逢坂くん」
「俺の話を片付けるな、そして話を聞け」
「あの彼は、私を生理的に受け付けないとでも言うぐらいのレベルで嫌いだと公言してくる男だよ。そんな彼が私を好きなんて本当もう逢坂くんの視力が心配になるよ。眼科にでも行く?」
「真に受けるな」
「それよりも逢坂くん」
「だから片付けるなって」
「あの約束のことだけど、やっぱり考えてみても分かりそうにないよ」
「……約束?」
「いやいや、逢坂くんから言ってたのに。俺を取り戻せって」
「……ああ、それか。思い出した」
「え、忘れてたの?」
 まさか当の本人が忘れているなんて、あまりにも衝撃で素直に驚いてしまう。
「じゃあ、私の座右の銘を教えてあげる」
「いや、どうでもいい情報挟んでくるなよ」
「一度しか言わないから……準備はいい?」
「そんな念入りな前置き必要か」
「ずばり、刎頸之友」
「……なに? ふん?」
「ふ、ん、け、い、の、と、も」
 口の形を分かりやすいようオーバーに動かし、最後の”も”を言った時点でドヤ顔を添えてみせる。結果的には「なんだそれ」と呆れられたものの、想定していた展開だったので次に出てくる言葉は決まっている。
「有名な四字熟語だよ。意味は〝お互いのためなら首をはねられても悔いのない、堅い友情で結ばれた友〟という素敵過ぎる熱い魂が込められている言葉で」
「真澄とはそういう関係なのか」
「いや、加古にそんな想いを抱いたら重たいだろうから、加古は例外」
「おかしいだろ、それ。友達じゃないのか」
 友達だけれど、互いに思っている友達の定義は違うような気がする。どこから浮気に入るか、と同じようなもの。私の友達の定義に当てはめてしまうと、加古はきっと離れていく。だから、一般的な、それでいて加古に迷惑にならないような定義をいつも守ろうと心がけていた。
「私の友情に耐えられる人っていないと思うから。それなら最初から相手だったり、みんなが思ってるような友達のイメージ像を理解しておいた方が楽なんだよ」
「あんたって変わってると思ってたけど、想像以上だな」
「そうだと思う。首をはねられたって悔いがないなんて、そんな友情に惹かれる自分を客観的に見ると、いたいなって思うから」
「そもそも物騒だしな」
「私の座右の銘を一言で……!」
 物騒という言葉でぶった切ってくるあたり、私はこの人とそのような関係になれることはまずないだろうなと確信する。
「なら逢坂くんの座右の銘を教えてよ」
「そんなもん考えた事ねえよ」
「大事だよ、座右の銘は。持った方がいい」
「あんたに言われると持つ気失せる」
「親しき中にも礼儀ありという言葉はご存知で……?」
「親しい? 俺とあんたが?」
「たしかに」
 言われてみれば逢坂くんとの関係はなんなのだろうか。クラスメイトと呼ぶには何だかしっくりこないし、かと言って友達というのも違うような。
「逢坂くんと私は、ずばり他人以上友達未満ってところかな」
「それ自分で言ってて悲しくねぇのか」
「ぜんぜん」
 逢坂くんの弱みを握っているから上下関係が本来ならあるはずだけれど、いつも有利なのは彼の方。おかしい。どう考えてもおかしな話だ。
「とりあえず、自販機でお茶を二分以内に買ってこい」
「雑用……?」
「返事は」
「いや、だってそれってパシ──」
「あー不本意だけど、十月様だってことばらしても」
「行かせていただきます!」
 いいよ、いいよ。これが俗に言うパシリだとしても、それでいい。何故だか、とてもしっくりきてしまうのだから。いつの間にか、私は逢坂くんの雑用係に任命されていたようだった。
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