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第二章
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「今日はずっと浮かれてんな」
授業をすべて終え、放課後。第二校舎の三階に向かうと、気味が悪いとでもいうような顔で逢坂くんと鉢合わせた。
「どうしてここに?」
「別に用はないけど。むしろ用がないなら来たらだめなのか」
「そんなひねくれた返しをしなくても……」
「そういうあんたは今日も十月様か」
「あ、いや、そういうわけでもないんだけど」
「へえ、どうでもいいけど」
見下されたような、呆れたような、どちらともとれないようなニュアンスに苦い笑みが滲む。
「そういえば逢坂くん、あの約束のことだけど、もうすこしヒントをくれないかな」
「ヒントってなんだよ」
「俺を取り戻すってことは、逢坂くんのことを言ってるって認識であってる?」
「俺も知らない」
「どうして逢坂くんも知らないの」
「あんたがすることは俺を取り戻す、以上」
「謎が多すぎだよ、その事件」
途方に暮れるとはまさにこのことなのかもしれない。
「十月様なら容易いだろ」
「……私は神様じゃないよ」
たかが一ヶ月。たかが小さな悩みを、解決できる範囲で行動しただけ。ハンカチだって職員室前にあった落とし物箱に入っていたハンカチを私書箱に入れ、それが運良く本人の元に届いただけの話。
彼氏と喧嘩してることも、いじめられて悩んでいる話も、ただ私は話を聞いただけ。
たったそれだけのことが、あまりにも大きくなってしまって、それは自分が思っていた以上に広まってしまった。
「そもそも、なんでそんなことしたんだよ。私書箱に入ってる手紙なんて、悪戯なようなもんだろ」
「……悪戯に、見えなかったから」
「なんで?」
「辛いなんて、そんなの悪戯だと思いたくない」
あの日、私書箱と一緒に落ちた手紙には、自分も抱いたことのある感情が一心不乱に書き出されていた。疑いようもないほど、悲痛に満ちたもの。
「私にできることがあるなら……私だったら、こう言ってほしいなって思うことを、ただ書いて、私書箱に戻しただけ。そんなことを繰り返していたら、話が大きくなって」
「違う、そもそもなんで返そうと思ったんだよ。辛そうだから、自分にできることがあるなら、そう思う以前に、あんたはなんで誰かに何かを与えたいって思ったんだよ」
「それは……」
そう、ここまでは偽物の善意だ。彼はとっくに、それが本心ではないことを見破っている。あの日、彼のノートを私書箱で見つけた日から、彼は私の奥底に眠る欲を見抜いている。
「……価値のある人間だと、思いたかった」
できるだけ見ないようにしてきた過去の蓋が、勢いよく開いていく気分だった。
これまで私の人生は、ただ決められた道を歩くことしかなかった。
習い事も、通う学校も、それこそ食べる時間も寝る時間も、全て、両親によって管理されているような生活を送り続けた。
親に迷惑をかけないこと。それが大前提だった。
「私の親……特に父は、支配に溺れているような人だった。仕事ではうまくいかないことを、家族に強制するような感じかな。自分の言いなりになる人が必要だったんだと思う、生きていく上で」
「あんたは言いなりだったのか」
そうだね、とか細く出ていく。
「私と母の人生は、父によって設計されていた。将来も決められた人と結婚して、決められた人のために尽くさないといけない。そこに私の意思なんて、意見なんて、どうでもよかった」
『お前は何も考えずに与えられたものだけをこなしておけ』
父にそう言われ続けた。遊びたいと言った日には頬を叩かれ、夜ふかしでもしようものなら四六時中見張られるような生活が一週間続いた。
自由がなかった。生きたいように、やりたいように、それが私には許されていなかった。
「だから、誰かのために何かをしたいと思った。何もできないけれど、私にも何かできるんじゃないかって」
「それが十月様になった理由?」
「……十月様になったのは不本意だったけど」
特別なものになりたかったわけではない。ただ、自分にだって自分の価値を見出したかっただけ。何かができるんだって、証明したかっただけ。
「ただ、私の欲を満たしたかっただけ」
人のためだと言い聞かすことで、私が返す理由になりたかった。
なんの効力も持たない人間の言葉で、誰かが救われればいい。それはあまりにも──
「自分勝手だな」
彼に言われて、その通りだと笑いが出る。自分に呆れるためだけの笑い。
心から誰かのために動いたわけではない。あくまでも自分のため。それを逢坂くんはずっと、見抜いていた。
「……ほんとだよね」
「でも、あんたの言葉で勝手に救われた人間もいる」
私書箱の前で、逢坂くんは天井を仰いだ。
「それはあんたの責任じゃなくて、向こうの責任。救われた人間の責任だろ」
全部一緒に考えるな、と。そう続けた彼の言葉はあまりにも厳しかったけれど、あまりにも優しいものに聞こえた気がして。
「本心ではなかったとしても、救ったことには──神様みたいなことをしたんだから、それでいいんじゃねえの」
それだけで、よかったのかもしれない。変に罪悪感を抱くことなく、たったそれだけで、解決できたことだったのかもしれない。
「……逢坂くんって、まともなこと言えるんだね」
「喧嘩売ってるのか」
逢坂くんと二人、謎の約束で結ばれた私たちが、ここにいるというのはどれぐらいの奇跡なのだろうか。そもそも奇跡なんて、この世にあるのだろうか。
授業をすべて終え、放課後。第二校舎の三階に向かうと、気味が悪いとでもいうような顔で逢坂くんと鉢合わせた。
「どうしてここに?」
「別に用はないけど。むしろ用がないなら来たらだめなのか」
「そんなひねくれた返しをしなくても……」
「そういうあんたは今日も十月様か」
「あ、いや、そういうわけでもないんだけど」
「へえ、どうでもいいけど」
見下されたような、呆れたような、どちらともとれないようなニュアンスに苦い笑みが滲む。
「そういえば逢坂くん、あの約束のことだけど、もうすこしヒントをくれないかな」
「ヒントってなんだよ」
「俺を取り戻すってことは、逢坂くんのことを言ってるって認識であってる?」
「俺も知らない」
「どうして逢坂くんも知らないの」
「あんたがすることは俺を取り戻す、以上」
「謎が多すぎだよ、その事件」
途方に暮れるとはまさにこのことなのかもしれない。
「十月様なら容易いだろ」
「……私は神様じゃないよ」
たかが一ヶ月。たかが小さな悩みを、解決できる範囲で行動しただけ。ハンカチだって職員室前にあった落とし物箱に入っていたハンカチを私書箱に入れ、それが運良く本人の元に届いただけの話。
彼氏と喧嘩してることも、いじめられて悩んでいる話も、ただ私は話を聞いただけ。
たったそれだけのことが、あまりにも大きくなってしまって、それは自分が思っていた以上に広まってしまった。
「そもそも、なんでそんなことしたんだよ。私書箱に入ってる手紙なんて、悪戯なようなもんだろ」
「……悪戯に、見えなかったから」
「なんで?」
「辛いなんて、そんなの悪戯だと思いたくない」
あの日、私書箱と一緒に落ちた手紙には、自分も抱いたことのある感情が一心不乱に書き出されていた。疑いようもないほど、悲痛に満ちたもの。
「私にできることがあるなら……私だったら、こう言ってほしいなって思うことを、ただ書いて、私書箱に戻しただけ。そんなことを繰り返していたら、話が大きくなって」
「違う、そもそもなんで返そうと思ったんだよ。辛そうだから、自分にできることがあるなら、そう思う以前に、あんたはなんで誰かに何かを与えたいって思ったんだよ」
「それは……」
そう、ここまでは偽物の善意だ。彼はとっくに、それが本心ではないことを見破っている。あの日、彼のノートを私書箱で見つけた日から、彼は私の奥底に眠る欲を見抜いている。
「……価値のある人間だと、思いたかった」
できるだけ見ないようにしてきた過去の蓋が、勢いよく開いていく気分だった。
これまで私の人生は、ただ決められた道を歩くことしかなかった。
習い事も、通う学校も、それこそ食べる時間も寝る時間も、全て、両親によって管理されているような生活を送り続けた。
親に迷惑をかけないこと。それが大前提だった。
「私の親……特に父は、支配に溺れているような人だった。仕事ではうまくいかないことを、家族に強制するような感じかな。自分の言いなりになる人が必要だったんだと思う、生きていく上で」
「あんたは言いなりだったのか」
そうだね、とか細く出ていく。
「私と母の人生は、父によって設計されていた。将来も決められた人と結婚して、決められた人のために尽くさないといけない。そこに私の意思なんて、意見なんて、どうでもよかった」
『お前は何も考えずに与えられたものだけをこなしておけ』
父にそう言われ続けた。遊びたいと言った日には頬を叩かれ、夜ふかしでもしようものなら四六時中見張られるような生活が一週間続いた。
自由がなかった。生きたいように、やりたいように、それが私には許されていなかった。
「だから、誰かのために何かをしたいと思った。何もできないけれど、私にも何かできるんじゃないかって」
「それが十月様になった理由?」
「……十月様になったのは不本意だったけど」
特別なものになりたかったわけではない。ただ、自分にだって自分の価値を見出したかっただけ。何かができるんだって、証明したかっただけ。
「ただ、私の欲を満たしたかっただけ」
人のためだと言い聞かすことで、私が返す理由になりたかった。
なんの効力も持たない人間の言葉で、誰かが救われればいい。それはあまりにも──
「自分勝手だな」
彼に言われて、その通りだと笑いが出る。自分に呆れるためだけの笑い。
心から誰かのために動いたわけではない。あくまでも自分のため。それを逢坂くんはずっと、見抜いていた。
「……ほんとだよね」
「でも、あんたの言葉で勝手に救われた人間もいる」
私書箱の前で、逢坂くんは天井を仰いだ。
「それはあんたの責任じゃなくて、向こうの責任。救われた人間の責任だろ」
全部一緒に考えるな、と。そう続けた彼の言葉はあまりにも厳しかったけれど、あまりにも優しいものに聞こえた気がして。
「本心ではなかったとしても、救ったことには──神様みたいなことをしたんだから、それでいいんじゃねえの」
それだけで、よかったのかもしれない。変に罪悪感を抱くことなく、たったそれだけで、解決できたことだったのかもしれない。
「……逢坂くんって、まともなこと言えるんだね」
「喧嘩売ってるのか」
逢坂くんと二人、謎の約束で結ばれた私たちが、ここにいるというのはどれぐらいの奇跡なのだろうか。そもそも奇跡なんて、この世にあるのだろうか。
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