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第二章

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「え、逢坂くん? そりゃあ一言で言ったら温厚かな」
「優しさの塊みたいな」
「困ってる人いたら絶対助けちゃうタイプだよね」
「おまけにあんなに顔が良かったら言うことなし」
「天然爽やか王子なんてあだ名もあるぐらい」
「逢坂くんと付き合えるなら世界中の女を敵にしても構わない」
 つまり、逢坂楓を評するならこんな言葉たちが至極当たり前のように使われる。まるでテンプレートでもあるのではないかと疑ってしまうほどに、誰に聞いても同じようなものが返ってくるのは当然だった。
 彼の隠されていた一面を知らなければ、私もまんまと逢坂ワールドに騙されていた一人だったに違いない。
「あああああ、見つかったんだよ、きょんちゃんがああ」
 突然雄叫びが廊下から聞こえてきた。どうやら保坂くんが登校してきたらしい。
 昨日、私書箱には財布の一件が入っていたわけではない。だから自分の力で見つけたのだろうと安心していると「十月様ってすごいよ」と話し出した。
「私書箱に入れようとしたら、なんかリュックの底が気になって。あれだけ探したのに、まさかあるわけねえよななんて思ってもう一回見たら、あったんだよ! ガムでノートと財布がくっついてて見えなくなってただけなんだよ」
 おおお、と周囲がどよめく。十月様すげえ、と盛り上がり始めるが、十月様は何もしていない。自分で見つけただけではないか。なぜそこに気付いてくれないんだ。モヤモヤしながら保坂くんたちを見ていると、誰かの熱烈な視線が気になった。
「南雲さん」
 どうやらここまでの一連の流れを、逢坂楓に見られていたらしい。あの男からすればさぞ滑稽に映っていただろう。
「……な、何でしょう」
「数学の先生が数学係呼んでて」
「え」
「困るよな、ほんと」
 その優しさしか滲み出ていないスマイルは一体どこから出てくるのか。七不思議の一つかもしれない。本性を知ってしまってからこれを見ると恐怖でしかない。
「あ、……ありがとう。えっと、行って参ります」
「俺も同じ係なんだから一緒に行くよ」
 なんだろう。「ペアなんだから一緒に行くに決まってんだろ馬鹿か」と心の声が聞こえたような気がする。
 目の前にいた加古は「係か、めんどうだねえ」とお気楽な口調で送り出してくる。
 さっきまで「受験勉強なんてしたくない無理」と嘆いていたというのに、スマホでパズルゲームをポチポチとしている。危機感はあまり感じられない。
 引きつる笑みを必死に隠しながら彼に従うように廊下に出れば、様々な方向から視線が向けられた。大半は女子生徒からによるものだけれど、その全てが隣の男に向けられている。つくづく人の目を奪ってしまうような主人公だ。
 異性から、あんなにも蕩けた視線を肌に感じているというのに、にこやかで優しそうな人柄を崩さないのは立派でしかない。
「確認だけど、喋ってないよな」
 そう、にこやかな笑みは決して崩されないが小声で喋る内容は毒そのもの。
「あれだけ脅されれば話せないよ」
「人聞きが悪い。言っとくけど、十月様だってことを知られたくないならおとなしくしとけよ」
「………」
 昨日の今日で、私に対しての言葉遣いがひどくなった。どうやら本物の逢坂くんというのは心が狭い人間らしい。いや、私に対してだけなのかもしれない。
「心配しなくとも誰にも話さないよ」
「どうだか、辻がいるだろ」
「加古? 話さないよ。こういう話好きだけど、すぐに広まっちゃうから」
 彼女に悪気はない。ただそういう話が好きだというだけ。
 加古はこの手の話に関して大好物だろうけれど、話した暁には一瞬で逢坂くんの性格の悪さが校内でしっかりと広まっているかもしれない。顔が広い彼女は、誰にでも伝えたくなってしまうのが特徴だ。
「それに、そもそも言わないって約束だから」
 私は昨日、彼と不思議な約束を交わした。窓の向こうを見ると、今日も雨が降っていた。そのまま昨日起こった出来事が、雨の音とともに戻ってくる。
『取り戻すって……何を失ったの?』
『それはそっちが見つけろ』
『逢坂くんの、その失ったものとやらを?』
『心配すんな、多分そんな簡単に見つけられるもんじゃない』
 無理難題を押し付けられているような気分になって、昨日一日考えていたが、答えに辿り着けそうにもなかった。
「おお、悪いな。呼び出して」
 職員室に入るなり生徒を容赦なく自分の駒として使うことで有名な数学の先生の声が響き渡る。
「いえ、どうしたんですか?」
「このプリントを三種類ずつ纏めておいてくれねぇかなと思ってさ」
「……ええ、構いませんけど」
 一瞬、逢坂くんご自慢のにこやかスマイルが崩れていった音がする。
 プリントの枚数からして、あの量は全クラス分なのではないだろうか。
 今日は帰れるかという一抹の不安が過りながらも、大人しくその要求を承諾することで職員室を退散。 
「頼む人間、間違えてるだろ」
 生徒の声で溢れかえる廊下を歩いていれば、隣から一言ポツリと放たれる。普段の逢坂くんが絶対に口にしない言葉。いまだに彼の裏の顔にはついていけない。王子様のようなキャラクターはどこに消えてしまったのか。
「私がやっておくよ」
「ああ、暇人代表だっけ」
「そこは関係ないと思うけど……」
 人付き合いで忙しい彼からすれば、私は暇を極めるような人間に見えるだろう。自虐ギャグを言ったつもりは一切ないけれど、友人が少ないのは事実だから強くも言い返せないあたり悲しい。
 ぶらりとぶら下がっている私の両手。人前を気にしてかプリントの束は全て彼が持ってくれていた。
 以前までの彼なら「男だから大丈夫」なんて、とびっきり甘いマスクでこちらを気遣ってくれていたのだろうけど、
「逢坂くん、少し持とうか?」
「は? 手柄を横取りすんなよ」
 彼には私がどう見えているのか、ときどき不安になる。そんなにも薄汚れた人間に見えるだろうか。──いや、まああながち間違いではないのだけれど。
「放課後までには必ず終わらせとけよ」
「これはさすがに……」
 戸惑う私の返答がお気に召さなかったのか「必ず仕上げろよ」とドスのきいた声で耳打ちをされる。逢坂くん、あんな声が出るのか、本当に見違えるように成長された。とんでもなく悪い意味で。
 大量のプリントは、結局彼が教室まで持ち運んでくれる結果となった。それを見ていた女子生徒たちに「逢坂くん、もしかして南雲さんの分までプリント持ってきたんじゃない?」とまた一つ好感度ポイントをあげている模様。
 そんな彼女たちに「数学係も大変だよ」なんてお得意の王子様スマイルを浮かべながら対応をし、その顔は私へと流れる。
「南雲さん、一緒に頑張ろうね」
 思ってもいないことを平然と言った彼は驚くほど性格が悪い。
 さっきまで脅していた人間が何を言っているんだと若干イラ立ちさえ覚えつつ「ううん、逢坂くん忙しいから私やるよ」と用意されていたかのような台詞を口にする。というか目でそう言えと命令されている。焦げ茶色の双眸が、私を脅していた。
 それからというもの、休み時間になる度にプリントをただひたすら仕分けてホッチキスで止めるという作業が始まった。昼休みですら、加古の新しく仕入れたジンクスとやらを聞きながら作業に没頭しなければならなかった。
 もう一人の数学係さんはなんだかんだ忙しく誰かの対応をしているようで「勉強を教えてほしい」なんてただの口実でしかないクラスメイトの女の子にも笑顔で対応していたし、男子生徒のくだらない下ネタにも合わせるように笑い、担任の先生からは他愛もない話に付き合っていたのを見かけた。いつ見ても、常に笑顔を絶やさない彼は、気持ち悪いほどに笑っていた。
 言われてみれば彼の印象は優しい笑みをいつだって浮かべていたような気がする。改めて彼の一日を観察してみて気付いたのはそんなこと。
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