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第六章 やり直したかった

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 五人でいつも集合していた駅に、あんこが客から借りているという劇があった。小さな劇場だが、趣があり、目新しいものとはかけ離れたこの空間が時田は好きだった。
ただの一般人がそんな場所を好きなのように借りられるというのは夢のような出来事で、あんこのコネがなければ使えるような場所でもなかった。
 また六人で集まってあの劇がしたい。あの劇をすれば、須王だって姿を現してくれるんじゃないかと、そう信じて疑わなかったのに。
「時田、お前おせえよ」
 眉間に皺を寄せた柳の、少し不機嫌そうな声が響く。時田以外のメンバーはすでに揃っていたようで、二階堂が柳に「まあ時田も遅れることぐらいあるよ」となだめている。
 そんな当たり前の光景が、今では色をなくした世界のように見えてしまう。
「おい、遅刻野郎。そんなとこで突っ立ってないで準備しろよ。俺だってこう見えて暇じゃねえんだからな。今日だって仕事を切り上げて──」
「須王が死んだって、嘘、だよね?」
 柳の言葉を最後まで聞くには限界だった。降り注がれる言葉が全て、偽りのものとして聞こえてしまう。
 その場にいる全員が息をのむような音を出した。それぞれが、それぞれの顔を浮かべ、あれだけ喋っていた柳でさえ今では目を見開いている。
「……時田、なんで須王が死んだって」
 初めて二階堂が狼狽えている姿を見た。おそるおそる口に出したであろうその問いかけに、ぐっとこらえる。
「昨日、田畑に会ったんだ。話してるうちに須王の話になって、この劇のことを話したら言ったんだ。〝須王、もう死んだじゃん〟って」
 呼吸が出来なくて、消化しきれない不安が体の全てを支配していた。田畑の言葉をどれだけ理解しようとしてもかみ砕くことなど出来るはずもなかった。
「田畑がおかしなこと言うんだよ。須王は死んだって、須王の葬式にお前ら全員参加してたじゃんかって。お前もそこにいたじゃんって。須王が行方不明ってどういうことだよって」
 須王は消えたはずだった。姿を現さず、怪文書だけをあのときのメンバーにまき散らして、すっかりと息をひそめている。今だってどこかに生きているはずだというのに、須王は一度も時田たちの前に姿を現したことはない。
「僕、須王の葬式なんて知らない。そんな記憶ない。須王は、ただ姿を消してるだけで、こうしてみんな、須王をおびき寄せるために練習だってしてて……」
 誰も、そんなことを言わなかった。須王が死んでるなんて。須王は今も生きているような口ぶりで、全員が話していたじゃないか。それなのに、須王が死んだ? 須王はもうこの世界にはいない?
「田畑疲れてんのかな、残業多いって言ってたし、疲れてそんなこと言ってたのかな。そうだよな……だってそうじゃないと──」
 本当に須王が死んだことになってしまう。
 須王は生きているはずなのに。死んだはずはないのに。今だってこうして、須王が出てくるのを今か今かと待ち望んでいるはずなのに。
 柳も二階堂もあんこも望萌も、誰一人として口を開かない。田畑の話を否定しない。ここに来れば正しい反応がもらえると思っていた。田畑疲れてんだなって笑ってくれると思っていた。
 全員の瞳が、時田から外されている。時田を見ようとしない。時田を見ない。その話がまるで、真実だと認めるかのように。
「……なんで、なんで誰も否定しないんだ」
 焦り、不安、恐怖。それら全てを誰も、吹き飛ばそうとはしない。残されるのは、須王がいなくなったという事実だけ。自分たちの前からではなく、この世界から、いなくなったというだけ。
「須王が死んだなんて……須王の葬式なんて、僕は行ったはずが──」
「行ったんだよ」
時田の叫びを打ち消したのは、小野寺だった。そこに偽りはどこにもないような目で、時田を見つめている。
「私たち全員で須王くんのお葬式に、須王くんの最期に、会いに行ったんだよ」
 望萌の言葉はやさしい雨のようだと思っていた。当たっても痛くない、やさしい水。けれど今は、鋭い矢を持った針のように、時田の心を痛めつけていく。
「その場所に、時田くんだっていたんだよ」
 一番信じたいと思う人の声が、今はまるで信じられるわけがなかった。小野寺はなにを俺に言い聞かせているのだろう。こんなおかしな話はないというのに。ほかのメンバーだって、誰も小野寺の話を否定したりはしないなんておかしい。
「……そんなわけ、そんなわけ、ない。僕は、須王の葬式には」
「もうやめようよ! こんなのだめだよ!」
 声を荒げたのは肩を震わせたあんこだった。綺麗なメイクが施された顔には、涙がぼろぼろと溢れている。
「こんなの、時田くんに言うべきじゃないよ……」
 泣きじゃくるあんこを見るのは初めてで、どこからが真実なのか、もう頭では分からなくなっていた。心臓がどくどくと胸を叩き、その鼓動は時田を深い闇へと引きずりおろしていく音に聞こえる。
「時田、小野寺の言う通りだ。俺らは、須王の葬式に行って、あいつの死に顔を見てる。時田はそれを忘れてる。本当に、ずっと」
 真っ直ぐな言葉で、躊躇いがない二階堂の言葉に、時田は首を振った。
「忘れてるって……なんで。忘れてなんか」
 須王は今も生きている。あの須王が死ぬわけない。今もどこかで楽しいことを求めて彷徨っているはずで、自分たちのことをどこかで見ているはずで、劇をしよと言えば「そんな楽しいことはないね」と笑って参加するはずだった。それが自分たちが描いた未来だった。
「……皆、口裏合わせてドッキリとかしようとしてる? 僕のこと騙してる? 須王が死んだってことも嘘でしょ。あの男が死ぬはずない。最後のお別れって、僕はそんなのした覚えだってない。もしそうだったとしても忘れるはずもない。須王はただ面白がって出てこないだけで、今もどこかで僕らのことを見てるから……だから、僕らがそんな嘘ついたらだめだろ……死んだなんて、冗談で言ったら」
 笑ってくれ、頼むから。ドッキリでしたと笑ってくれ。そうしたらまだ、許せるから。ふざけたこと言うなって怒るかもしれないけど許せるから。だから、頼むから笑ってくれないと。
「僕のこと騙してるだけだろ? 須王が死ぬわけ──」
「死んだんだよ! 須王は!」
 怒りに満ちた柳の声は殺気だっていた。時田を鋭い眼差しで捉え、その大きな体躯でずかずかと歩み寄り、それから豪快に時田の両肩を掴んで揺らす。
「思い出せ時田! 須王は死んだ! 俺らは須王の葬式に出た! 須王はもういない! いないんだよ!」
 体が、脳が、ぐらぐら揺れた。顔を真っ赤にして、言葉の鞭を叩きつけ柳は怒る。
「須王はいない! 死んだ!」
「なんで……」
「なあ、時田。いい加減にしてくれよ。いつまでこんなの続けるんだよ。おかしいと思っただろ。あんな手紙が届いて、小野寺と会ったその日の帰りに俺と偶然電車で会うなんて、そんなの普通に考えておかしかっただろ。あんなもん偶然でもなんでもねえ。俺らが最初からそうしてたことで、偶然を装ってただけで、最初から俺たちはこうして集まるはずだった」
 柳と偶然電車で会った。それを俺は偶然で片付けていた。こんなこともあるんだなと、あまりにも外に出ないから、こういうことはあるのかもしれないなと思ってしまっていた。
「最初から、最初から決まってたって……」
 今までのは、自分が知らないところで最初から計画されていたことだと言うのか。うまくいきすぎているとは思っていた。でも、でも──。
「須王がいないはずはないよ……」
たとえ自分たちがこうして集まったのが計画されていたことだったとしても、須王がいなくなったことなんて信じられない。視界が滲む。違う、違う、違う、須王は生きてる。生きてるはずなんだ。須王がいないわけ──。
『時田、ありがとな』
 一瞬、脳裏に浮かんだ須王の顔。笑って、金髪の頭をさらさらと揺らした須王が、時田に向けた言葉。
「……死んだ、須王が……死んだ」
 瞳から流れていった涙が頬を伝った。
 ああ、そうだ、須王は死んだじゃないか。あの笑顔を向けて、ありがとうと自分に向けて、須王は死んでいったじゃないか。
「なんで……僕らは十年前を最後に……!」
「いつまで十年前のつもりなんだよ!」
 柳の声が時田の鼓膜を痛いほど震わせていく。
 死んでいった。須王は、死んでいった。
「どうして……!」
「そんなの俺らが一番聞きたいんだよ!」
 柳がまた怒る。小野寺が柳の腕を解こうとする。「もうやめて」とあんこが叫ぶ。二階堂も「それ以上はだめだ」と制す。それでも柳は言った。
「お前が須王を殺したんだろ!」
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