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第四章 感情を爆発させていた

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 ここ最近になって見る夢は、決まって文化祭での劇のこと。須王が生み出したあのストーリーは、多くの観客を虜にしたわけではなかったが、一部の生徒には深く刺さったらしい。時田にはあの話のなにが良かったのか分からず、そんなことを隠すことなく須王に言うと「時田は正直だ」とさっぱり笑った。
「伝わる人に伝わればいいのさ。人間関係だってそうじゃないか。分かり合える人と分かり合えない人がいるのだから、だったら分かり合える人と一緒にいた方が人生楽しいだろう」
 誰とでも仲良く出来るように見えた彼だったが、実は誰よりも繊細で、人の気持ちを汲み取るのがうまかった。けれど、それと比例するかのように自分のことを語るかと言えばそうではない。須王はどこか頑なに自分の話を拒否するような一面を見せていた。
 過去よりも今、今よりも未来。それが須王の口癖で、その生き様には少しばかり影響された部分でもある。
 自分の気持ちに真っ直ぐで偽りがない。須王という人格が一本の芯として存在していることがよく分かる。だからこそ、そんな彼に惹かれる人間は多かったのだろうと時田は分析する。男女関係なく、毅然で悠然とした姿はいつ見ても惚れ惚れとした。突拍子もないことをするが、それも含めて、須王は周囲に愛されていた。
 自宅に戻り、一度丸めて捨てたあの紙を手に取る。須王のものと思われる犯行声明文は、今もごみ箱から救出され、部屋のオブジェなのか、ごみ同然の代物なのか、分からない立ち位置で今日も部屋にある。
 新聞の切り抜きで器用に並べられた文字。これは、昔から須王のこだわりの作品として成立していた。むしろ人気を博していたと言っても過言ではない。須王が時折校内にばら撒くのは時田の元に届いた犯行声明文ではなく、格言めいたもの。内容は〝今日も楽しく、明日はもっと楽しく〟だとか〝自分を見失うぐらいなら今の自分を捨てろ〟とか、その妙にキザな言葉が生徒には人気だった。
 須王のおかげで自分を取り戻せましたと涙ながらに訴える後輩だっていた。
 どこぞの教祖様じゃないんだから大袈裟だなと思っていたが、たしかにあの男は他人に影響を与えることができる器の大きい男だった。
 おかしな発言も、おかしな行動も日常茶飯事だったが、どこをとっても偽りはなに一つとしてなかった。夢は世界平和だと言ってのけてしまうところも、時田にはなかなか理解が出来なかったが、この男ならたしかに出来るかもしれないなんて思ったことだってある。
 卒業しても、この男は変わらないのだと思っていた。変わっていくことなく、政治家にでもなって世界を変えてくれてるんじゃないかと、そうどこかで信じていたけれど。
「……まだ出てこないのか」
 今もあの思想家は姿をくらましたまま現れることはない。
 久しぶりに会えば、こんな自分を変えてくれるかもしれないとどこかで期待していた。こんなだめだめな自分を、須王なら変えてくれるかもしれなんて思う自分は、ずいぶんと自惚れているのだろうか。
 こうして大人になっても思い出すのは、今となっては眩しすぎた高校生活。そしてその一部である文化祭シーズンがあまりにも濃厚だった。忘れられないものにしてくれたのは、どう考えても須王のおかげだった。あのとき須王がメンバーを引っ張ってくれなければ、きっと今になっても思い出したりなんかしなかった。
 当の本人は小野寺の子供の話があったりして別の意味で濃厚だった期間かもしれないが。
 ふと、あのときの台本に触れたくなり、押入れの奥にしまったいくつかのダンボールから古さを帯びた紙の束を出した。台本と分かりやすく大きな二文字が表紙に浮かんでいるが、その文字は新聞の切り抜きだ。よく見つけてこられたなと思う。こんな大きな文字。
 パラパラとめくると、須王から指摘された箇所に赤いペンが走り書きされている。俺の字だと認識ができる。うにゃうにゃとした読めない字。こうして見ると、なんだかんだ真面目に取り組んでいたのだなと気付かされる。高校生という多感な時期に、クラスメイトが作った台本を真剣にやっていた過去が残されている。
『常闇に浮かぶ三日月はまるで星空の元に立つ僕たちに、気まぐれなウィンクを向けているようだ』
 その一文を見て、あ、と声が落ちた。そうか、ここからだったのか。須王が書いた台本にそのたとえが載っていたのだと、時田はこのとき初めて気付く。ロマンティックな考えばかりを劇中に散らばせ、須王ワールドを全開に披露していた。
『フランスの革命家、ナポレオン・ボナパルトは言った。〝お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ〟と。ならば僕たちがこうして窮地に立たせられているということは、僕たちがこれまでおろそかにしてきた時間の償いなのではないか。ならばこれは因果応報というやつではないのか。僕たちが出会った渦は、たしかに世界をものみこむ強大な力を持っているかもしれないが、それでもなお立ち向かい、勇気を振り絞り、その渦にのまれない覚悟を持ってすれば、自ずと僕たちは助かるだろう』
 須王が考え出した台詞は、そのどれもがいきいきと輝いていた。大人になって読み返すと、どれだけ大事なことが書かれていたのだろうかと知ってしまう。子供だった自分には響かなかった言葉も、今にして読めば、それは須王からのメッセージとも受け取れる。
 高校生でこんなことを考えてしまえる須王は天才だったのだ。だからみんな、須王に惹かれた。渦のように、みんなを吸引し、そして離さなかった。
 懐かしさに浸っている中、途端に台詞を言いたい衝動に駆られ、喉に音をのせ室内で一人劇を披露した。台本片手に、役者を一瞬でも志したあのころの感情が勢いよく戻ってくる。
 やっぱり好きだった。演じることの興味を抱かせてくれたのは須王だった。
 あの男がいたから、自分は一瞬でも夢を抱くことが出来たのだと思える。たとえそれが叶わなかったとしても、今はもう程遠い人生を送っていたとしても、夢を見たことは間違いではなかった。
 たった一回、舞台の上に立つだけで何度も何度も練習をした。須王が珍しく怒ったり、柳が台詞を覚えられないと投げ出したり、あの真面目な二階堂が練習をボイコットしようとしていたり、小野寺が必死に仲介したり、あんこがいつまでもそれを笑いに変えてくれたり。
 楽しかった、あのころは、本当に。この六人なら劇でもなんでも出来ると思っていた。

〝須王大我を見つけ出せ。見つけられなければ一人殺す〟

 翌日、二通目の犯行声明文が届くまでは。
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