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第四章 感情を爆発させていた

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 きっかけは、須王大我のシャツに蜂が入ったことだった。まさかそこから露呈する秘密があるなんて、柳は思いもしなかった。
「なんだよ、それ」
 あのとき、なにが間違っていたのだろうか。中庭で弁当を食おうと誘われた自分が悪かったのか、はたまた体の傷を指摘したことが悪かったのか、それともどちらもだったのか。あのときの柳は瞬時に判断など出来るはずもなく、シャツを脱いで上半身裸になった須王大我に対して言葉を失った。
 無数の青あざをどう飲み込めばいいのか。平たい体躯には似合わないその色は柳の冷静さを奪っていく。そんな柳とは対照的に、須王大我はからっと笑う。
「痣ってなかなか消えないもんだね」
 どこか諦めたような声だった。須王は力なく、柳とは反対の方向へと視線を向ける。
「でもさ、この傷があるからうまくいってることもあるんだ」
 その先を、須王は詮索しないでくれと柳に頼んだ。聞いても楽しくない話だから。俺は大丈夫なんだ。この痣で救われてることもあるから平気。そう一息で語ってしまうほど、須王の抱えている闇は深かった。誰にも踏み入れさせない領域が須王にある。そのことを、柳は知ってしまった。
喧嘩慣れしていれば、その傷が古傷なのか最近のものかぐらいは分かるが、須王大我の体にはどちらの傷もくっきりと残っていた。
 殴る殴られるの生活が当たり前だった柳にとって、一度はぐっと押し黙るものの、怪我とは無縁そうな男の体から、これだけの傷を見てしまえば飲み込んだ言葉は抑えられない。
「分かった。ただ、誰にやられたかだけ教えろ」
「なにも分かってないじゃないか。柳は物事を深刻に捉えてるだけだよ」
「誰かに脅されているんだろ」
「そんなことない。誰にも脅されてない」
「じゃあなんでこんなことになってんだよ」
「傷なんて人間、一つや二つあるものだろう。柳にだって傷はあるじゃないか」
「俺の傷とお前の傷とじゃ違う」
 もうすでにシャツを羽織ってしまった須王は、それから一切人前で体を見せることはしなかった。着替えはもちろん、どれだけ汚れようが濡れようが、まるでシャツが鎧だと言わんばかりに体を見せることはしなかった。
 あのとき須王がなにを抱えていたか柳には分からない。どれだけしつこく聞いたところであの男は教えようとはしなかったが、街の柄の悪い連中が絡んでいるという話は聞かなかった。あいつらに金でも脅されているのかと思ったがそうではないらしい。
 ならあの傷はどこで、どうやって、誰につけられたものだったのか。
 結局のところ、須王は卒業まで口をわろうとはしなかったし、卒業後は姿をくらますように居場所を告げることなく消えてしまった。
 須王のあのどでかい実家も更地になってしまった。あんな家がごっそりと消えるのかと、まっさらになった土地を見て唖然としてしまったのを今でもはっきりと覚えている。
 須王の家の中に入ったことはなかったが、家の前までよく須王を迎えに来ていたことがついこの間のようなのに、何度来たってそこにはなにもない膨大な敷地が広がっているだけだった。
  
「なんでなにも言わなかったんだよ」
 卒業式のとき、最後に見たあいつはいつも通りだった。翌日からこの街を出ることを言わず、当たり前のように「また明日」なんて言っておどけていた。
「柳さーん、すいやせん寝坊しましたー」
 ふと、現実へと引き戻されれば、目の前には当時の須王とは変わらない年代の少年がふざけた態度で出勤してきた。
そうか、もう俺は高校生ではないのか。
そんな当たり前のことに柳は気づかされながら、今の自分を取り戻す。
「次遅刻したらクビだって言ったよな」
「そうなんすけど、ばあちゃんが風邪引いて」
 祖母と二人暮らし。両親はいない。それが自分が雇った少年の環境。
 同情を誘うには十分だったが、仕事は仕事だと割り切る。「次はないからな」そう言うと、少年は「分かってます。一生しません」とお茶らけた。きっと明日も遅刻をするのだろう。
「そういえば柳さんっていつまで金髪なんすか?」
 最近ようやく敬語が使えるようになった少年。白いタオルを巻きながら、柳の髪へと視線を注ぐ。
「年齢的にアウトですよね。柳さん、いくつになるんでしたっけ」
「黙れ。金髪に年齢制限なんてねえんだよ」
「でもずっと金髪っすよね? ほかの先輩たちも、柳さんはずっと金髪だって言ってましたし、もう年なんですからあんま毛根いじめない方がいいですって。ハゲますよ」
「人の毛根心配する前に、自分の首が刎ねられないかだけ心配してろ」
 うぇと唸りながら、のそのそと準備をする少年を横目に、脱色を繰り返した自分の髪が窓ガラスに反射して映った。
 いつまで金髪、か。
 こんな馬鹿げた色も、須王の真似事にしか過ぎない。あの男が持っていた綺麗な金ではないが、この色にしていれば、なにか分かるかもしれないと未練がましく続けている。
 いつまでするのかなど柳本人が一番聞きたい。もしやめるとするならば──須王との決着がつくまでなのだろう。
 この色は、柳にとって正しい光だった。須王大我が持つ色が、柳にとっての正しさの象徴だったのだから。
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