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第三章 完璧さに溺れていた
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高校時代、興味本位で買った煙草を、二階堂は校舎の裏で隠れて吸っていた。
人気者でいる窮屈感から解放されるための手段だった。煙草を吸うときだけは、自分は別に完璧でもなければまともな人間でいなくてもいいことが証明されているような気分で、だめだと分かっていながらも吸うことをやめられなかった。喘息を持っているこの体に、毒を注ぎこむことで快感を得ていたのかもしれない。出来ないものをするというのは二階堂の中で特別なことだった。
そんな場所を須王に見つかったときは、得体の知れない恐怖を感じた。
「これはまた、とんでもないものを見てしまった」
咎めるというよりは、面白いものを見た、というような顔をしていた須王が印象的だった。
二階堂の脳内は、この誤魔化しのきかない状況をどう打破しようか、そんなことばかりが駆け巡っていくというのに、手にある煙草だけはずっと紫煙を出していた。
「そうか、二階堂と煙草。これはこれでいい組み合わせだ。ギャップとはこういうことを言うのだろう」
生徒が行き交う校舎。その建物を背景に、須王は目を輝かせる。
「ぜひ、創作のネタとして使わせてもらいたい。ギャラは支払えないが、二階堂だと匂わせることは一切しないと約束しよう」
須王大我。変人。しかし生徒からの支持が厚い。
彼が創作者として名を馳せたいという夢を、交流がない二階堂でも知っていた。
「断るという選択肢はあるの?」
足元のコンクリートに煙草の先端を押し付ける。黒くなったそれは、いずれ消えてくれるだろう。二階堂の言葉に、須王は笑った。
「もちろん。断れたら諦めるさ。しかし二階堂。煙草というものはうまいのか?」
潔い。本当にきっぱりと忘れたような顔をしている。
「……そんなことはない。俺は、だけど。それに、俺は金魚だから、聞く相手を間違えてる」
「金魚?」
なぜここに魚が? そう続けたいであろう須王に二階堂は、もう吸えなくなった煙草へと視線を落とす。
「ふかし。煙を肺に入れてないんだ。そういうのを金魚。吸ってるように見えて吸ってない。喫煙者が見たらすぐに分かる。かっこわり、そう思われる対象」
吸ったところで肺に通すことなく、ただ吐いてしまうだけ。そう説明した二階堂に、須王は感心したように、へえ、と洩らした。
だから、わざわざ煙草を吸う必要が二階堂にはない。隠れて吸ったって正直意味があるようなものでもない。それでも吸ってしまいたいと思うのは、背徳感のようなものを覚えるからなのかもしれない。
「パクパク口を開けるから金魚か。煙草も金魚もまた無縁なのに面白い」
それでも須王は笑った。おかしなところに目をつけ「面白い」と笑う。掴めない男だという印象は、このときまともに会話を交えたときにすら変わらなかった。
「煙草を吸っている二階堂というのもまた絵にはなるが、しかし二階堂が教師たちに責められるというのはあまり見たくないもんだな」
きっと、そういうことがしたかったんだろうなと内心気づいていた。
誰も予想していなかったものをしてみたいという欲がおかしな方へ向かっていってしまだっただけのこと。なにかを覆したかったのかもしれない。完璧だと言われてしまうこの重圧をひっくり返したかったのかもしれない。
「……やめるよ、もう」
須王は多くを語らない。ただこの時、須王は二階堂に煙草をやめさせたかった。それだけは言葉にされなくとも伝わっていた。だから、須王が納得する回答を出した。それに対して、須王は満足そうに、よかった、と二階堂に言った。
本当のところは分からない。しかし、このときしっかりと煙草はやめたはずだった。
吸うようになったのは、また須王のことを強く思い出したときだけ。この匂いだけが、須王との繋がりだったように思えてしまう。たった一度のことが、二階堂の中で強烈だった。須王が自分を止めなければ、あのまま吸い続け、現場を見られ、最悪退学になっていたかもしれないと思うが、退学になっていれば今の会社に勤めることもなかったのだろうとも思う。だからと言ってあの出来事を後悔しているわけではない。須王との強い関わりは、あれぐらいしかなかった。あれぐらい、しか。
「変わらないですね、二階堂さんは」
煌びやかな世界に思考が戻される。その先にはあんこがいて赤いドレスのスパンコールが光を跳ねていた。
ああ、俺らはずいぶんと違う世界で生きているのだな、と高校時代を重ねてしまう。
あんこは見違えるほど綺麗になった。餡子などと言われていたあのころと違う。違うけど──。
「それに比べて、私はだめです。変われない。見た目だけ変わっても、中身は成長しないですから」
──モモ。その源氏名はたまたまだったのだろうかと、つい訊ねてしまいそうになる。ここに初めて来たときから、二階堂の心に引っかかったままのしこりが、今もまだ疼きだそうとしていた。
「なあ、あんこ」
「はい」
艶の唇がきゅっと上がる。この店にいるときに、あんこがよくする笑い方だ。その顔にぶつけてしまいそうになる。
──モモって、小野寺の名前も〝もも〟だったよな。
出かけた言葉を、ぐっと引っ込めた。小野寺望萌。その名前を、どうしてあんこは自分につけたのだろうか。言い出せなかったそれは、あんこが作った酒で流し込んだ。
人気者でいる窮屈感から解放されるための手段だった。煙草を吸うときだけは、自分は別に完璧でもなければまともな人間でいなくてもいいことが証明されているような気分で、だめだと分かっていながらも吸うことをやめられなかった。喘息を持っているこの体に、毒を注ぎこむことで快感を得ていたのかもしれない。出来ないものをするというのは二階堂の中で特別なことだった。
そんな場所を須王に見つかったときは、得体の知れない恐怖を感じた。
「これはまた、とんでもないものを見てしまった」
咎めるというよりは、面白いものを見た、というような顔をしていた須王が印象的だった。
二階堂の脳内は、この誤魔化しのきかない状況をどう打破しようか、そんなことばかりが駆け巡っていくというのに、手にある煙草だけはずっと紫煙を出していた。
「そうか、二階堂と煙草。これはこれでいい組み合わせだ。ギャップとはこういうことを言うのだろう」
生徒が行き交う校舎。その建物を背景に、須王は目を輝かせる。
「ぜひ、創作のネタとして使わせてもらいたい。ギャラは支払えないが、二階堂だと匂わせることは一切しないと約束しよう」
須王大我。変人。しかし生徒からの支持が厚い。
彼が創作者として名を馳せたいという夢を、交流がない二階堂でも知っていた。
「断るという選択肢はあるの?」
足元のコンクリートに煙草の先端を押し付ける。黒くなったそれは、いずれ消えてくれるだろう。二階堂の言葉に、須王は笑った。
「もちろん。断れたら諦めるさ。しかし二階堂。煙草というものはうまいのか?」
潔い。本当にきっぱりと忘れたような顔をしている。
「……そんなことはない。俺は、だけど。それに、俺は金魚だから、聞く相手を間違えてる」
「金魚?」
なぜここに魚が? そう続けたいであろう須王に二階堂は、もう吸えなくなった煙草へと視線を落とす。
「ふかし。煙を肺に入れてないんだ。そういうのを金魚。吸ってるように見えて吸ってない。喫煙者が見たらすぐに分かる。かっこわり、そう思われる対象」
吸ったところで肺に通すことなく、ただ吐いてしまうだけ。そう説明した二階堂に、須王は感心したように、へえ、と洩らした。
だから、わざわざ煙草を吸う必要が二階堂にはない。隠れて吸ったって正直意味があるようなものでもない。それでも吸ってしまいたいと思うのは、背徳感のようなものを覚えるからなのかもしれない。
「パクパク口を開けるから金魚か。煙草も金魚もまた無縁なのに面白い」
それでも須王は笑った。おかしなところに目をつけ「面白い」と笑う。掴めない男だという印象は、このときまともに会話を交えたときにすら変わらなかった。
「煙草を吸っている二階堂というのもまた絵にはなるが、しかし二階堂が教師たちに責められるというのはあまり見たくないもんだな」
きっと、そういうことがしたかったんだろうなと内心気づいていた。
誰も予想していなかったものをしてみたいという欲がおかしな方へ向かっていってしまだっただけのこと。なにかを覆したかったのかもしれない。完璧だと言われてしまうこの重圧をひっくり返したかったのかもしれない。
「……やめるよ、もう」
須王は多くを語らない。ただこの時、須王は二階堂に煙草をやめさせたかった。それだけは言葉にされなくとも伝わっていた。だから、須王が納得する回答を出した。それに対して、須王は満足そうに、よかった、と二階堂に言った。
本当のところは分からない。しかし、このときしっかりと煙草はやめたはずだった。
吸うようになったのは、また須王のことを強く思い出したときだけ。この匂いだけが、須王との繋がりだったように思えてしまう。たった一度のことが、二階堂の中で強烈だった。須王が自分を止めなければ、あのまま吸い続け、現場を見られ、最悪退学になっていたかもしれないと思うが、退学になっていれば今の会社に勤めることもなかったのだろうとも思う。だからと言ってあの出来事を後悔しているわけではない。須王との強い関わりは、あれぐらいしかなかった。あれぐらい、しか。
「変わらないですね、二階堂さんは」
煌びやかな世界に思考が戻される。その先にはあんこがいて赤いドレスのスパンコールが光を跳ねていた。
ああ、俺らはずいぶんと違う世界で生きているのだな、と高校時代を重ねてしまう。
あんこは見違えるほど綺麗になった。餡子などと言われていたあのころと違う。違うけど──。
「それに比べて、私はだめです。変われない。見た目だけ変わっても、中身は成長しないですから」
──モモ。その源氏名はたまたまだったのだろうかと、つい訊ねてしまいそうになる。ここに初めて来たときから、二階堂の心に引っかかったままのしこりが、今もまだ疼きだそうとしていた。
「なあ、あんこ」
「はい」
艶の唇がきゅっと上がる。この店にいるときに、あんこがよくする笑い方だ。その顔にぶつけてしまいそうになる。
──モモって、小野寺の名前も〝もも〟だったよな。
出かけた言葉を、ぐっと引っ込めた。小野寺望萌。その名前を、どうしてあんこは自分につけたのだろうか。言い出せなかったそれは、あんこが作った酒で流し込んだ。
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