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第二章 餡子だと呼ばれた少女

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 十年前、文化祭の実行委員メンバーとして各教室から六人が選出されることになった。
 立候補でも推薦でも、とりあえず六人集まればいい中で、時田のクラスだけはなかなか六人が揃うことはなかった。
 一人も名乗りでない中、担任がいよいよ強行突破に入ったのは、実行委員メンバー締め切り当日のことだった。
「メンバーはあみだくじで決める。ここにきてもう異論は認めないからな」
 今思えば公平性があったかいささか疑問ではあったが、そのあみだくじとしてあの六人が選ばれてしまった。
 名前が呼ばれた瞬間、時田の脳内には絶望の二文字が浮かんだ。最悪だとそのときばかりは自分の不運さを呪ったものだが、直後に小野寺望萌が呼ばれたことによって、絶望から歓喜へと言葉が変換されたのは言うまでもない。一目惚れをしてから三年が経ったころの、淡い初恋。これで彼女と共通の話題が出来たと時田は喜びを隠しきれないでいた。
 しかし、すぐに打ち消そうとした。自分が誰かを好きになる資格はないと言い聞かせた。他人に惹かれるなんて言語道断で、自分は幸せになるべき人間ではないということを時田は理解していた。理解していたからこそ、それでもなお、人を好きになってしまう心理を恨んだ。
 ひとまず小野寺望萌のことは一旦脇に置いておくにしても、普段接点を持たない六人が集結するというのは、それはそれはぎこちなく、それでいてまとまりが一切なかった。
 実行委員として選ばれるということは、この学校で伝統行事になりつつある〝舞台上での出し物〟をしなければいけないということであり、それは絶対だった。
 三年生だけに課せられる最後の試練。
 舞台を使うならなんでもいい。
 ダンス、歌、コント、披露するものはなんでもよかったというのに、時田たちはなぜか劇をすることになってしまった。
「なんで劇なんだよ」
 不服をこれでもかと滲ませた柳に、須王はけろりと笑ってみせた。
「楽しそうじゃないか」
 須王とはそういう男だった。自分を楽観的に見せることが圧倒的に上手い。須王が考えていることには、もっと深みがあったはずだけれど、須王は決してそれを見せない。共通言語だけを話すような要領で「楽しい」という言葉で片付けた。須王は、寡黙ではないが、ここぞという時にほど、言葉数が少なくなる傾向がある。あえて言葉にしないようなことが多かったのだと思う。多くを語らない、それが須王。
 正式なリーダーはいなかったが、誰かと問われれば、五人揃って須王を見ただろう。本人が名乗り出なくとも、時田たちにとってのリーダーは須王だった。
 人の心を読むのがうまいため世渡り上手で、須王大我を嫌う人間はいなかったし、あの人気者であった二階堂と同じ──いや、それ以上に人から愛されていた。
 メンバー内の立ち位置として、須王大我はまとめつつもかき乱していくような訳の分からないポジションにつき、二階堂はそれをなんとか修正させようとしていた。しかし柳がまた別の角度から壊し、小野寺望萌が仲裁に入ると言ったことが毎日のように続いた。
 あんこはそれを見守りながら時折くすくすと楽しそうにしていたが、同じように黙って見ていた時田は、極力関わらないようにしようと心がけていた。
 面倒くさそうなメンバーだな、というのが時田の第一印象だった。
 それでも、迫りくる文化祭のために劇の準備をし、変な結束が生まれ始め、そこに魅力を感じていたのも事実だ。
 文化祭当日、発表した劇は思いのほか受け入れられていた。正確には、全く受け入れられないものだと思っていた時田の予想を反して、それなりに心に響く人がいたのだということに時田は驚いていた。疎らな拍手の中で涙を流していた生徒が視界に入ったときは、もらい泣きをしてしまいそうになった。あの人にはなにかが届いたのか、と時田は漠然と舞台上から思っていた。
 この日、初めて時田は高校生活が楽しいと思えた。空っぽだった自分の人生にも、こんな日がくるのだなと珍しく余韻に浸り、文化祭が続いている校舎を背に空を仰いだ。
「そんな所にいたら、屋上から飛び降りようとしてる男子学生と、それを止めに来たクラスメイトっていうシーンが始まりそうだ」
 自ら命を絶とうと決めていたのは、実はずいぶん前のことだった。
 十代の時田は、何度も何度も、死にたいと考えていた。自分のやりたいことを、ことごとく拒否される生活。時田家にとって、両親の──特に父親の言うことは絶対であった。教師になりなさい。それ以外の職を選ぶというのなら、親子の関係を絶つ。そう突き付けられてもなお、時田は抗い続けた。自分は自分の人生があり、未来を選ぶ権利ぐらいはあると。そう主張する時田に父親は平手打ちを続けた。言うことを聞かないなら暴力で言うことを聞かせるしかない。そう信じて疑わなかった父親が、虐待の容疑をかけられ逮捕されたことは記憶に新しい。
 自身の生徒にも、時田の父親は手をあげていた。教育だと言い張り、逆らう生徒には容赦なく体裁を加えた。そうしてもいい立場なんだと父親は言っていた。教師という立場は正しいのだと。そんな父親が、生徒の親に通報され、逮捕された。二か月前のことだった。
 当時の時田は教室でも浮いていた。まともにコミュニケーションが取れず、友達一人ろくに作れない。そんな中での父親の逮捕。クラスメイトたちからは好奇の視線を送られるだけで、なおさら距離を置かれることになった。家にもマスコミの人間が連日押し寄せた。男女の声が飛び交いフラッシュがたかれる。ネットでは、父親とその家族が吊し上げられるように非難を浴びていた。死にたかった。単純に、死にたいと思った。
 やはり間違っていたんだと。暴力を正当化するあの思考はおかしかったんだと。そう言って父親を責めたかった。今まで耐えてきたものを全部吐き出してしまいたかった。それでも、そうしなかった。とにかく存在を消してしまいたかった。自分から、あの忌まわしい父親の影をそぎ落としてしまいたかったのだ。
 父親がいなくなり、時田の本音はただ一言。清々したということだけだった。
 実の親に対して思うことではなかったかもしれない。しかし、そう思ってしまえるだけの解放感を味わった。もう、あの苦しみに戻ることはないと、そう信じた。
 それでも、明るみになった罪というものは決して消えることはない。ネットでも現実でも、時田に向けられるのは、同情という名の生易しいものではなく、犯罪者というレッテルだった。犯罪を犯した男の家族。世間の目はあまりにも冷たかった。
 父親がいなくなった今でも、父親に苦しめられるという現実を、時田は身をもって体感した。そして世界に絶望した。生きている限り、こんなことが続いていくことを。自分に幸せなど訪れないことを。
 そんな中で、文化祭の実行委員に選ばれた。五人は、意外にも時田を受け入れた。本番のあの劇が受け入れられたように、時田を犯罪者として扱う人間は誰一人としていなかった。
 卒業前、どこかのタイミングで死んでやろうと思っていたが、なかなかタイミングを見つけることができず、ならばいっそ、一番楽しかった日にここから飛び降りようと思ったところを須王に見つかってしまった。
「それとも、まだ劇の続きでもしているのか?」
 須王は冷静だった。これから行われようとしていることを全て悟っていたとしても、表情だけは変えなかった。
「……もし、そうだとしたら?」
 賑やかな声が校舎から響いてくる。楽しい会は屋上でのやり取りとは関係なく続いている。
「そうだとしたら? 付き合うに決まってるさ。たとえそれが、どんな劇になろうともね」
須王はまっすぐ貫くように時田を見ていた。その鋭さに息をのんでしまうぐらい、時田は一瞬身動きが取れなくなってしまった。
 生温い風が頬を撫でていき、その風がまるで須王大我の表情を柔らかくしたように見える。
「まあしかし、飛び降りるというのは、思っている以上に被害が大きい。飛び降りた本人のことなど知りはしないが、それを目撃することになった、つまりは残された人間たちがあまりに不憫に思うよ。その後の人生、トラウマなくして生きていけるんだろうか。その日の惨劇を忘れる日がくるだろうか。もっとも、飛び降りた人間というのは、他人のことを考えられないぐらいに追い詰められているものだから、悲劇を生まないためにも、僕は飛び降ようとしている人間の話を聞きたいと思うよ。たとえば、今の時田のようにね。おや、なんだか俺にしては喋り過ぎていないかい?」
 饒舌に、淀みなく続けた須王は、しかしね、と更に言葉を続けた。
「どう考えても、時田には似合わない。そんな劇に登場してくるような人間じゃない」
 はっきりと、躊躇うことなく言い切った須王の芯の強さに、時田は呆気に取られていた。須王はおそらく勘付いていたに違いない。時田がここで死を選ぼうとしていたことが。必死に引き止めるわけでも、説教を垂れるわけでもない。ただ、いつもの調子で、他愛ない話の延長のように話した須王に、時田はこの世界にとどめてもらった。
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