上 下
5 / 34
第一章 行方不明者からの犯行声明文

(4)

しおりを挟む
 おぎゃあと、可愛いのか可愛くないのか分からない小野寺の赤子が泣き出したことで解散ということになった。
 帰り際、時田が「赤子の名前は?」と尋ねると「赤子って」と小野寺望萌は目を細めた。その笑い方は昔、時田が好きだった小野寺の笑い方で、ずきりと心が痛むのを気付かないフリとして蓋をした。
 これで人妻なのだから残念だ。その赤子は時田ではない別の男の遺伝子が入った赤子なのだ。そう思うとなんだかやるせない感情に支配されてしまう。
さち。覚えやすい名前でしょ」
 流行ものが好きだった小野寺望萌の娘は、キラキラネームとは程遠い名前だった。
「でも幸って漢字使うのは親にめちゃくちゃ反対されたの。語源が手錠とか手かせを表す像形文字だとか言って、縁起が悪いんだって。幸って漢字がついてるのに、不幸になったらかわいそうだとかも言われたなあ。でもそんなのどうでもいいって思うんだよね。幸せにしてあげたいから幸ってつけた、それだけでいいでしょって。語源とか像形とか知らないよ、私は幸がいいってごねた」
 そうあっけらかんと笑う彼女に、しなやかだった印象がピンと芯が通ったようなイメージに変わった。幸か。うん、いい名前だなと思う。きっと彼女の子供だったら、どんな名前でも忘れなかった自信があると、時田は内心自負していた。たしかに幸は覚えやすい。無論、自分がその名前を口にすることはないだろうなとも確信していた。
 
 小野寺望萌と久しぶりの再会を果たした帰り道、電車内で柳康太と再会したのはあまりにも偶然だった。
「時田?」
 同じ車両に乗り合わせていた柳を見た瞬間、一瞬ひっと心臓が縮んだ。高校時代、一度殴られかけたことがあったのを思い出し反射的に体が強張る。当時と変わらず機嫌の悪そうな顔には、時田をじろじろと睨みつけるぎょろりとした目があった。時田は昔からこの目が苦手だった。
「……柳?」
 おそるおそるその名前を口にすれば、柳は少しだけ表情を柔らかくした。
「なんだ、長く顔を見てなくても時田は時田だってわかるもんだな」
 対等に話せたことは過去になく、いつだって柳は高圧的だった。誰と話すにもそのぎょろっとした目を光らせ、睨み、そして相手をひるませてしまう。柳に恐れを抱く者が多かった中で、須王大我だけは違ったなと、あのさらりとした金髪頭を思い出す。
 一匹狼だった柳が、あるときを境に須王大我と行動を共にするようになっていた。きっかけがなんだったのかは知らない。だが、誰にも心を開かなかった柳にとって、須王大我は特別だったのだろう。
 豪快で乱暴な柳と、気品溢れる須王大我は対照的に映っていた。変わった組み合わせだなと当時思ったことが鮮明に蘇っていた。
「こんなとこで時田に会うなんてな」
「ほんとに……なんでここに?」
 小野寺望萌と別れた帰り、まさか柳に会うなんて思いもしない。今日は思わぬサプライズで驚かされる日になっているらしい。
「俺は仕事の帰り。平日は毎日乗ってる。お前は?」
 久しぶりに乗った電車に柳。しかも市街へ向かう道中での柳。まさかの柳。
「僕は小野寺と会った帰り」
「ああ、須王絡みの件か」
 全てを明かさずとも、柳には筒抜けだったようだ。時田は曖昧に頷くと、柳は「俺も呼び出された」と言った。
「全員で集まれる日にしようつったのに。あの小野寺の野郎」
 昔は赤だった派手髪は、今や須王大我を彷彿とさせる金へと変化を遂げていた。鬱陶しそうな前髪とセットされていない後ろの髪は肩に触れている。さっき会ったばかりの小野寺よりある長髪だ。おまけに顎髭と作業服という井出立ちは、柳が持ち合わせる威圧感を濃厚にさせていた。
 高校の時と比べてガタイもでかくなっている。幾分か大きくなった分は、時田の減っていった体重分かもしれない。そこそこよかった肉付きも、ここ数年でずいぶんと落ちていった。
「心配だと思うよ、連絡取れない同級生から手紙届いたら」
「連絡ねえ」
「須王だけ連絡取れないのはおかしいよ」
 高校時代は犯行声明文にハマっていた須王大我は、新聞部の部長と仲良くなるくらいには親交を深めていた。犯行声明文で使う新聞も、新聞部からの提供だった。
 あのころとやっていることは変わらないが、今回に関してはなぜ十年ぶりに届いたのかということ。しかも本人がポストに投函しているというのに、その本人とは誰とも連絡がつかない。須王大我の実家だってなくなってしまったらしい。どこに消えたというのだろうか、あの奇人を極めた須王大我という男は。
「須王と連絡取れないって聞いて、どう思った?」
 がたん、がたん、と一定のリズムを刻む車内で柳に聞かれ、え、と反応に遅れた。背後の夕日を一身に浴びるその姿は柳によく似合っていた。
「どうって……不思議だなあって」
「不思議って……もっとほかにあんだろ。なんで連絡取れないのか、なんであんな手紙届くのかとか」
「いや、気になることは多いけど……なんで十年ぶりなのかなとか」
 十年だ。卒業してから、もう十年という歳月が流れようとしている。
 こんなタイミングで須王大我から手紙が届くなんて、時田からすれば不思議以外のなにものでもなかった。
「十年、か」
 柳はぼやくように呟いた。時田と同じように、その歳月にどこか浸っているのかもしれない。
 高校生だったあのころ、十年後の自分はもっと立派な大人になっているのだと思っていた。
 名の知れたいい会社に出社し、スーツなんかも着こなして、どこぞの大手会社と取引なんかして。金も稼いで、貯金もがっぽり、老後も安心、なんて未来を想像していた。
 それが今ではしがないコンビニアルバイターだ。フリーター歴は言うまでもない。貯金もなく、来月の家賃でさえ、バイト一日休んだら払えないような生活が続いている。
 こんな将来が待ち受けているなど思いもしなかった。もっとちゃんとした大人になっているのだと信じて疑わなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何の変哲もない違和感

遊楽部八雲
ミステリー
日常に潜む違和感を多彩なジャンル、表現で描く恐怖の非日常! 日本SFのパイオニア、星新一を彷彿とさせる独特な言い回し、秀逸な結末でお送りする至高の傑作短編集!!

春の残骸

葛原そしお
ミステリー
 赤星杏奈。彼女と出会ったのは、私──西塚小夜子──が中学生の時だった。彼女は学年一の秀才、優等生で、誰よりも美しかった。最後に彼女を見たのは十年前、高校一年生の時。それ以来、彼女と会うことはなく、彼女のことを思い出すこともなくなっていった。  しかし偶然地元に帰省した際、彼女の近況を知ることとなる。精神を病み、実家に引きこもっているとのこと。そこで私は見る影もなくなった現在の彼女と再会し、悲惨な状況に身を置く彼女を引き取ることに決める。  共同生活を始めて一ヶ月、落ち着いてきたころ、私は奇妙な夢を見た。それは過去の、中学二年の始業式の夢で、当時の彼女が現れた。私は思わず彼女に告白してしまった。それはただの夢だと思っていたが、本来知らないはずの彼女のアドレスや、身に覚えのない記憶が私の中にあった。  あの夢は私が忘れていた記憶なのか。あるいは夢の中の行動が過去を変え、現実を改変するのか。そしてなぜこんな夢を見るのか、現象が起きたのか。そしてこの現象に、私の死が関わっているらしい。  私はその謎を解くことに興味はない。ただ彼女を、杏奈を救うために、この現象を利用することに決めた。

全5章 読者への挑戦付き、謎解き推理小説 「密室の謎と奇妙な時計」

葉羽
ミステリー
神藤葉羽(しんどう はね)は、ある日、推理小説を読みふけっているところへ幼馴染の望月彩由美(もちづき あゆみ)からのメッセージを受け取る。彩由美は、学校の友人から奇妙な事件の噂を聞きつけたらしく、葉羽に相談を持ちかける。 学校の裏手にある古い洋館で起こった謎の死亡事件——被害者は密室の中で発見され、すべての窓と扉は内側から施錠されていた。現場の証拠や死亡時刻は明確だが、決定的なアリバイを持つ人物が疑われている。葉羽は彩由美と共に事件に首を突っ込むが、そこには不可解な「時計」の存在が絡んでいた。

お家に帰る

原口源太郎
ミステリー
裕福な家庭の小学三年生、山口源太郎はその名前からよくいじめられている。その源太郎がある日、誘拐犯たちにさらわれた。山奥の小屋に監禁された源太郎は、翌日に自分が殺されてしまうと知る。部屋を脱出し、家を目指して山を下りる。

名探偵あやのん(仮)

オヂサン
ミステリー
これはSAISONというアイドルグループのメンバーである「林あやの」さんと、その愛猫「タワシ」をモデルにした創作ナゾトキです。なお登場人物の「小島ルナ」も前述のSAISONのメンバー(正確には小島瑠那さん)です。 元々稚拙な文章の上、そもそもがこのSAISONというグループ、2人の人となりや関係性を知ってる方に向けての作品なので、そこを知らない方は余計に???な描写があったり、様々な説明が不足に感じるとは思いますがご容赦下さい。 なお、作中に出てくるマルシェというコンカフェもキャストも完全なフィクションです(実際には小島瑠那さんは『じぇるめ』というキチンとしたコンカフェを経営してらっしゃいます)。

交換殺人って難しい

流々(るる)
ミステリー
【第4回ホラー・ミステリー小説大賞 奨励賞】 ブラック上司、パワハラ、闇サイト。『犯人』は誰だ。 積もり積もったストレスのはけ口として訪れていた闇サイト。 そこで甘美な禁断の言葉を投げかけられる。 「交換殺人」 その四文字の魔的な魅力に抗えず、やがて……。 そして、届いた一通の封筒。そこから疑心の渦が巻き起こっていく。 最後に笑うのは? (全三十六話+序章・終章) ※言葉の暴力が表現されています。ご注意ください。 ※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

夢喰人ーユメクイビトー

レイト.
ミステリー
あなたは、怖い夢や悲しかった時の夢を食べてくれる「夢喰人」と言う怪人が存在したら「夢」を食べてもらいますかーー? 誰しもが一度は体験した事がある「悪夢」。 大抵の人は、悪夢を見ることがあっても「怖い夢だったな…」「災厄だ…」と言った形であまり気にも留めていない。ましてや、どんな夢だったのかも覚えていない事もある。 その一方で、悪夢に魘される人も多い。現実で悲惨な光景をみたり、体験をしたりと言った経緯で毎晩のように魘され生活に支障が生じる人も中にはいる。 そんな悪夢に魘される人の前に現れ夢を食べてくれる怪人「夢喰人」ーー。 高校二年の田中 優希は、夢喰人の噂を親友の工藤 和也に教えてもらった。 そんな、怪人なんてよくある怪談や都市伝説の類だと思っていた。 優希にはなぜ和也がそんな噂を教えてくれたのか心当たりがある。 親友だから、世間話、暇つぶし程度に言った事ではない。 和也は「夢喰人」を探しているからだ。 和也は、小さい頃からたまに同じ悪夢を見ることがある。 高校二年生になってからそれは、頻度を増し和也を苦しめていた。和也の兄 工藤 正は、和也達と川遊びをしてる最中に不幸なことに川に流されて亡くなってしまった。それっきり、和也はトラウマを抱え悪夢を見るようになってしまった。 悲惨なトラウマを忘れる事はできない、でもいつまでも悪夢に魘される必要なんてないと思う優希は、和也の手助けができないか考えていた。 優希自身も、とある夢に悩まされているから気持ちがわかる。 そうな、事を心に思いながらーー。 そんな、ある日 突然 和也は悪夢を見なくなった。原因はわからないがこれで魘される事はないと少し何処か引っかかる感じがしたが安心した。 しかし、和也は一部の兄に関する記憶が改変されていた。 本当の彼を知っているのは、優希だけになってしまう。どうして、記憶までもが改変されているのかと疑問を浮かべていた。 ある事を、思い出してしまう。 夢を食ってくれる怪人「夢喰人」の事をけれども優希は、空想上の怪人なんているはずがないと考えていた。 一学年上の先輩 長澤 綾野が悪夢に魘されている事を知るまでは・・・。

処理中です...