上 下
4 / 34
第一章 行方不明者からの犯行声明文

(3)

しおりを挟む
 翌日、普段乗りなれない電車にごとごと揺られながら、時田は小野寺との待ち合わせ場所に向かっていた。
 指定されたのは、小野寺望萌の地元にある喫茶店、よしだ。
 店内の扉をぐっと押せば、からんからんと控えめに鐘が鳴る。数人の店員が「いらっしゃいませ」と声をあげ、もうすでに到着しているというマドンナの姿を探した。
「ごめんね、わざわざこっちまで来てもらっちゃって」
 緊張と興奮が抑えきれない中、小野寺望萌を最初に見つけたときは、十年前とは若干ズレのようなものを覚えた。
 上京したと聞いていた彼女が地元に帰ってきていることには驚いた。小野寺望萌の実家はかなり奥まった場所で、平気で田んぼが広がる長閑な場所だった。「早く地元を出て行きたい」と言っていた台詞をよく聞いたような気がする。
「いや、うん、ぜんぜん」
 視線が泳いだのは、なにせコミュニケーションが以前にも増して落ちていることが原因ではない。
 彼女の横にあるベビーカーと、その中で静かに眠る赤子の存在に驚いたからだ。
 マドンナに子供がいた、というのは時田の中ではかなりショッキングだった。ぐっぱい、俺のマドンナ。ようこそ、人妻。
 ベビーカーに視線を注いでしまっていたことがバレたのか、小野寺望萌は苦笑を滲ませた。
「本当は親に預かってもらおうと思ってたんだけど、ちょっと都合が合わなくて。しばらくは落ち着いて話せると思う」
 そ、そっか、としどろもどろになりながら返しながら、四人掛けのテーブルの椅子を引いた。
 あわよくば、この再会で自分の初恋が実ったりしないだろうかという期待を存分に踏みにじられながら、冷静を装う。小野寺はあのころとがらりと変わっていた。
 モデルを目指して上京した彼女だったが、鳴かず飛ばずの生活が続き、付き合っていた彼氏との間に子供を授かった、らしい。マドンナの口から流れるまま婚姻届を役所に提出したのだと聞かされ、頭の中は墨汁のような黒いインクが落とされていた。結婚の二文字は、時田にとって大打撃でしかない。彼女はこうも続けた。「出産直後に旦那の海外出張が決まって仕方なく地元へと戻ったの」と。
「もうここに戻ってくることなんてないと思っていたんだけどね」
 そう言った彼女の横顔は、時田が知っているマドンナではなく、母性に溢れた母親の顔つきだった。頼んでいた珈琲は店員が持つトレイにのせられやってきた。話はようやく本題へと入った。
「須王くんのことだけど、時田くん以外にも高校のときのメンバーに連絡を取ってみたの。そしたら、皆にも届いているみたいで」
「え……皆にも?」
 高校のときのメンバーと聞いて、時田の頭の中の墨汁は薄まっていった。懐かしい。一時期はよくあの六人で過ごしていたことが今では不思議に思う。
やなぎくんに、二階堂にかいどうくん、それから杏子あんこちゃんにも届いていたみたい。でも肝心の須王くんとは連絡が取れなくて」
「よくみんなの連絡先知ってたね」
 十年の間に何度か機種変をし、そのたびに連絡先が消えていった。その中でも小野寺望萌の連絡先だけは消したくないと、未練がましくメモ帳に残し続けてきたものだ。
 昔は胸元まで伸ばされていた黒髪が、今では顔のラインでばっさりと切られている。微笑むその顔は十年前とは変わっていない。しかし歳を取ったということは否めない。十年という歳月は短くはない。
「柳くんが知ってて。みんなに連絡取ってくれたの」
 くるくると、アイスティーのグラスにストローを混ぜていた小野寺望萌が涼やかな声で言った。
 柳か、なんだか意外だな、と時田は思った。頭の中で出てきた柳は柄が悪く、番長というあだ名をほしいままに手にしたような男だったからだ。その印象は、ある日を境にぱったりと消えたが、時田の中では今もなお入学当初のヤンキー姿が根強く残っていた。
「柳くんもさすがに須王くんの連絡先にはたどり着けなかったみたい」
 記憶の残像である柳から、目の前にいるマドンナへと視線を戻す。
「そうなんだ。須王に関してはSNSでも見ないから」
 全員に連絡を取ろうと思えば、実のところ時田でも取れた。なにせ須王大我と小野寺望萌以外はSNSで繋がっていたからだ。
 それでも時田のアカウントはリア充を眺めるだけのつまらないものから更新されていない。呟けるだけの生活が送れていないのだから、リア充に混ざってバイトの愚痴を吐けるわけではなかった。
「須王くん、昔から携帯持たなかったもんね。実家もないみたいだし」
「え……あのでかい家が?」
 須王大我の実家は、無駄にでかく、敷地内に本家とは別に分家の家が三軒あるようなお坊ちゃまだった。
 その実家が、ごっそりと更地になっているらしいと小野寺望萌から聞かされたときには、空いた口が塞がらず、一瞬視点が定まらなかった。
「不動産屋が狙ってるみたいだから売れないことはないらしいんだけど、でもずっと更地なんだって」
 須王大我の家族に居場所を聞くという手段もないらしい。
 聞けば卒業後、須王大我に会った人間は誰一人としていないことや、今どこで何をしているのか知らないとまできた。
「須王くんから手紙が届いたって、不思議だよね」
 小野寺望萌の呟きに時田は同じようなトーンで曖昧な返事をした。なぜだかここに来て、くらくらと眩暈のようなものを覚え始めている。久しぶりに人とまともに会話をしたせいなのか、はたまた目の前にいるマドンナの熱にあてられたからか。おそらく後者が最も近いような気はしているけれど。
「時田くんは須王くんのことでなにか知ってることはある?」
 長く黒々とした睫毛の下からのぞく大きな瞳。その綺麗な網膜に自分が映し出されているのかと思うと、時田の眩暈はより一層強く増した。
「あ……いや、ぜんぜん。須王とは高校の卒業式以来会ってないから」
 彼女の目の光が一瞬にして爆ぜて消えたように時田は感じた。役立たずだと思われただろうか。そんな時田の不安をよそに「みんなそんな感じだもんね」と彼女は寂しそうに笑った。
 同日、それぞれの家のポストに投函されていたあの手紙。あれはたしかに須王大我がよくやっていた犯行声明文の真似事と酷似している。
 しかし本人の姿がないとなると疑問が重なる。
 なぜ今になって須王大我はこんな手紙を寄越してきたのだろうか。十年という歳月を経て当時のメンバーに訴えたかったことはなんなのか。
 ──そして。
「須王くん、どうしてみんなの住所がわかったと思う?」
 なぜ、教えてもいない住所に須王から手紙が届いたのか。消印がないということは、直接投函されているということが、時田の心にしっかりと疑問として植えつけられる。
 須王大我はおそらく時田の家に来たのだ。それは紛れもない事実だというのに肝心の姿はどこにもないことが、謎をより一層深めていった。
しおりを挟む

処理中です...