ミニュイの祭日

月岡夜宵

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前章 星降る夜(ニュイ・エトワレ)

ハートに悪い距離感

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「なんだこれは」

 乳白色の液体をすくって手のひらにのせる。まさに人肌。温度もさることながら、指でなでたそのテクスチャもなめらかでちょうどいい。眼の前の光景に満足すると僕はすぐ後ろを振り返った。

 ぽちゃん、と指先から水滴の落ちる音がする。

「お風呂です!」

 開口一番、リュカ様はまゆをひそめて困惑しておられる。手前に広がるのは湯気の立つバスタブ。ではなく、幼児が浸かれそうなサイズのおけである。

 現在、僕はリュカ様を浴室に案内していた。午後の課題を終えて疲労の色が見えている3時休憩中に呼び出されれば、こんな顔にもなるかと思えばさもありなん。

「はー、いみわからん」

 睡眠障害のリュカ様を寝かしつけるためのとっておきのアイデア。とはいってもたまたまメイドさんたちが開いたまま忘れていた女性誌の受け売りなのだが。

「これでマッサージですよリュカ様!」
「湯の中で、か?」

 はい、と僕はもったいぶって付け加える。リュカ様は一応付き合ってくれるようで近場のいすで長い脚を組んだ。僕の説明に耳を傾ける彼に向けて説明していく。

「これからリュカ様には足湯に入っていただきます。その間に僕が足を中心にマッサージいたします。このお湯にはミモザの入浴剤をあらかじめ仕込んでおいたのでアロマテラピーの効果もあるんですよ。ダブルの癒やし効果がきっとリュカ様をまどろみの森に連れて行ってくれるでしょう!」

 ほおっと珍しくリュカ様から感嘆の声が。

「プレゼンとしては悪くないが――何かの受け売りだな?」
(なぜバレたし!?)
「口上に普段のお前が使うとは思えない表現が出ていたからな」

 リュカ様の審美眼を恐れつつそおっと彼の足に近づく。この前蹴られそうになったから機嫌を損ねぬよう慎重に。

「ずいぶんへっぴり腰……俺は暴れ馬かなのかなのか」

 的確に当てられたせいで体制を崩し、変な格好に腰がぴきりと痛んだ。ちゃっかり笑ってたリュカ様だが僕がうめいていると助け起こしてくれる。

「うがぁは、っ、痛っ……」
「大丈夫か!?」
「へ……へーきです。でもあの、響くのでちょっと……」
「ああ、手は最低限にしておこう」

 慎重に起き上がる僕を痛ましげにみるリュカ様。なんか空気が一気に重くなったぞ。

「魔女の一、」
「撃まではいかないかと。たぶん……」
「俺よりお前がマッサージを受けるべきではないか? 誰か呼ぶか」
「いえいえ滅相もない! 大丈夫、僕が、やります!!」

 鼻息荒く治ったと回復をアピールして立つ。こんなチャンスを不意にできるわけもなかった。なぜならあんまり機会のないおみ足を好き放題できるのだ。せっかくのこの役目は誰にも奪わせられないのだ!

「辛くなったら言うんだぞ」
「はい!」

 というわけで中腰がややきついなかマッサージを始めた。




「こうしてみるとリュカ様の脚はなかなか……」
「なんだそのよだれは」

 下半身を脱いで腰元にはバスタオルをかけたリュカ様が浴用のいすに座っていらっしゃる。音がしそうなほど生唾を飲み込んでいると、けげんな眼を向けられてしまった。咳き込んでよこしまな欲望をごまかす。

 濡れる前の手で脚に触れてみた。みずみずしい肌に、骨ばった関節、しまった筋肉にとうっとりとしてしまう。盛り上がった筋肉のたくましさが自分とは異なっていてドキドキしてしまう。おおおぉ、前髪を書き上げる姿も加えてさらにかっこいい。水も滴る色男とは、こういうことか。

「顔が赤いな」
「香りにやられただけです!」

 リュカ様が、くん、と鼻が動かす。

「たしかにいい香りがするな」

 ミモザのほのかな香りが空間に広がっていて、施術をするはずの僕にまで心地よい。しっとり感のある湯をかけながら労るように真心を込めて、ふれた。




「真っ昼間から湯浴みとはな贅沢な気分だな」
「脚だけですけどね」

 マッサージ中にもかかわらず、リュカ様がうなっている。書物でも思い出してなにか考え事でもしているのだろうか?

 僕は余計なことを思い出しているだろうその脚を羽のようなタッチでいたずらする。よほどくすぐったかったのかとがめる声が届いた。なお軽くさわっていると、鼻をつままれてしまう。ぷはあっと解放された鼻で息を吸うと香りがいっぱい鼻の中へ。あ、いや花畑の中へ行くようだった。



「……ぬくい」

 一所懸命に揉んでいると、リュカ様から眠そうな声が聞こえた。まぶたをこすって、我慢しきれなかったあくびを噛み殺している。

「これはわるくないな」
(むうう。もっとすなおにほめてくれたっていいのに)
「そうぶすくれるな」
「ぶすじゃないです!」
「だれもそんなこといってないだろ」

 あきれる主人は頬をふくらませてむっすりとする僕の手つきをみつめている。

 やけにまじまじと見られているのに気づけば、彼はいう。

「お前意外と手際が良いな」

 普段の仕事ぶりは手厳しいのにフットバスのマッサージで感心されても、さっきとは裏腹なことを思いつつ口の端がにやけてしまう。隠れて笑っていると手持ち無沙汰なのか、リュカ様が僕のつむじや髪をもてあそびだす。

「手がおしゃべりですねね、お邪魔ですよう、もう!」

 注意したそばから鼻先をつまつむリュカ様。

「ふぎゃ!? ふがふが、ふごごごご」
「なんかいってる」

 ――かわいいな?

 ド直球な褒め言葉にカっと脳天から一気に熱を帯びる。気まずくて顔を下げようとするとほっぺたをつままれてしまう。

「いひゃいれす」
「はは」

 笑うだけではなしてくれない相手はさらに、今度はほおをなでてくる。まろいなと感想までつけて。

 案の定、僕の体は壊れた首振り人形のようにガチガチになってしまう。




「全身がほかほかしてきた。足先なんかとんでもなく血行がいいぞ」

 興奮ぎみに感動しているリュカ様をながめて僕は満足である。得意げに鼻を擦ると急にたちくらみがした。リュカ様が僕の腰元に手を添えてくる。どうやら僕はのぼせてしまったらしかった。

「おまえは。だから無理をするなと……」
「えへへ……」
「よっぱらいみたいになってるじゃねーか……ったく。腰は痛くないか?」
「へーいれすう」

 浴室内が温かいせいだろうか、腰にひきつるような痛みはない。さすってくれるリュカ様の手が嬉しくて自分の方へもってくる。意味もなくにぎにぎしていると、リュカ様の耳が春の野イチゴのように染まっていく。

「疲れたろ。部屋でやすむぞ」

 リュカ様は僕を浴室から連れ出すそう――として、一度更衣室へ先に行き、ふらふらしていた僕を回収していく。

 霊具である扇風機の前に寝かされた僕は、いつにない感触で覚醒すると――お顔が近い!?

「前とは逆だな。俺のは硬いだろうが、我慢してくれ」
(お坊ちゃまの膝枕なんてしれたら僕は立場がありません! っていうかその前に! 好きな人がこの距離は、……いけない気分、に、……ありゃぁやああ?)

 ポンプのせいで口から飛び出そうになるほど、ばっくんばっくんと心臓がうるさ過ぎる。大きく鼓動するせいで胸がいっそ痛い。

「あー……動くな。こりゃ完全に湯当たりだな」

 支えられて顔面が急接近したせいか、鼻から赤い滴が流れ落ちた。寝ていると悪いから、と膝枕を堪能できたのは一瞬の出来事。でもかわりに、座位で抱きしめるように支えられた。背中側からするリュカ様の声になんだか安心感を覚える。鼻にテイッシュを当てたままの不甲斐ない格好だったが。

 マッサージといいもっとさわりたかった、が本心。でも、こうして夜中みたいにもたれかかるのもすきだなって今にして思う。

 きもちいいとふわふわの感覚に酔いしれて、僕の視界はやがて春の日だまりみたいにホワイトアウトしていくのだった。
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