ミニュイの祭日

冬木雪男

文字の大きさ
上 下
1 / 11
前章 ニュイ・エトワレ~星降る夜~

おやすみなさい

しおりを挟む
「おやすみなさい」

 僕はそう、口にした。

 そういえば、いつからこの言葉を隣で口にしていないんだったか。思い返せば部屋が別れた後だったかもしれない。

 ――僕らが線引された、部屋の移動から。

 ひとりっきりの誰もいない部屋に言葉だけが滑り落ちた。そしたら余計に部屋の中の静けさが胸にのしかかってどうしようもない。
 返事のない孤独に苛まれ、僕はたった今吐いた言葉を取り消そうとゆるく頭を振った。

 僕の心はおだやか、とは言えないのだ。なぜなら冬日の木枯らしみたいな――そんな寂しさばかりが吹き込んで仕方なくって。
 だからか必要のない「おやすみ」がふいにこぼれだしてしまったのだった。吐き出した今となっては後悔しかないが。

 子供部屋の延長みたいな僕の私室。よれたぬいぐるみやさび付いたおもちゃが、箱いっぱいに詰まって、行き場をなくしている。それは僕が未だに捨てきれない未練の現れなのかもしれなかった。

(もういいや、寝よ)

 考えるのも面倒くさくなってさっさとベッドに潜り込む。毛布をたぐり寄せ、布団の中にすっぽりくるまれるとようやく安心した。

 *

「っ――」

 夜半、薄暗い闇の中、音がした。
 でもそれが何かは分からなかった。もう一度耳を澄ませてみるが二度目は聞こえてこないようだ。

 気のせいかな?

 それとももしかして――……と壁の向こうに目をやる。少し考えてみたけどやっぱり自分の考えはありえないとまるごと否定する。

 薄い掛け布団を頭まですっぽり被る。音のことなんて忘れてしまえと言い聞かせて再び眠りにつく。

 ――まさかこんな夜中に僕が彼に呼ばれるなんてありえないじゃないか、と。さっきよりも気落ちしたまま。

 シーツだろうがカーテンだろうが頭まで被るとほっとするから幼少期はすぐ眠れた。おかげですこぶる寝付きのいいお子様だったのだ。
 なのに肌寒い春先の今日は、春眠暁を覚えずという風には寝られそうにもない。

(なんだかうまく眠れないや)

 冷たい床をぺたぺたと歩いてわずかなマットの上で体を落ち着ける。

(せめて眠くなるまで……)

 眠ろうと目を瞑る。ところが一度消えた眠気はやってくる気配がない。
 朝まであと何時間眠れるだろうかと時計を確認しようにも文字盤を見るための灯りすら手元にはない。諦めて毛布から出した手を引っ込める。

(困ったなあ)

 仕方なく疲れ切った体を無理に起こしてぞりと這い出た。
しおりを挟む

処理中です...