エンドロールに贈る言葉

冬木雪男

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君は昨日まで生きていた

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 未だに夢に見る。マルスを喪った日のことを。


 綺麗な死体だった。生きていないのが不思議なくらいに。
 金の流れるような巻き毛はそのままに、吊目がちな赤目は今は閉じたまま。いつ目を開けても不自然じゃないほど、その屍は生前の彼と何一つ違いはなかった。ただ心臓が動かず、脈がなく、呼吸をしない。たったそれだけの違いで、彼は永久に目覚めない。それが不思議でしょうがなかった。


 俺は愛する人を亡くした。情けないことに、自分の目の前で。

 悪夢ならまだましだった。でもこれは紛れもない現実で、目を逸らすことは許されなかった。


 最後の冒険の日。ダンジョンに潜った俺達は完全に油断していた。上層階だからと和気あいあい、気楽な面子と冒険を適度に楽しんでいたのだ。それこそ、ちょっとした遠足気分だったとさえ言えよう。
 そこへ異常事態発生。本来ならば出現しないはずの高難易度の魔物。そいつが地形変動によって階層を突破して上がってきたのだ。四人一組のパーティー相手に蛇型モンスター、ロケイルスネーク一匹。圧倒的に格下の俺達は、本来ならばパーティーを三組程擁していくべき相手にそれでも果敢に挑んだ。
 逃げることを最優先に、それぞれの役割を果たしながら戦闘を続けていたが、やはり戦力差は大きく響いた。体力や魔力不足により疲労困憊の面々。そのなかでも前衛で技を繰り出し続けていたマルスの様子は酷かった。
 そんな様子だったから、彼にも隙が生まれていたのだろう。蛇方の尾があっという間に彼の首に巻きついた。強力な絞める攻撃に、最初こそマルスは抵抗していた。しかし呼吸困難からか、ぐったりと彼の腕が下りると、ぴくりとも動かなくなった。

 俺はその光景を蛇の頭と格闘しながら、垣間見た。一気に青ざめた。
 彼の意識が途絶えて動かなくなる。とんでもない恐怖だった。急いで救出しようと、蛇に狙いを付けて残りの全員が全力を出して向かった。舌を出して威嚇するロケイルスネーク。
 そこへ運よく応援が来た。俺達は途中参戦した彼らと共闘し、ロケイルスネークと戦った。ロケイルスネークは不利を悟ったのか、生傷が絶えないその姿で、逃げた。俺達は深追いしなかった。
 ロケイルスネークが放り出したマルスを確認すれば――意識がまるで無かった。青白い顔で紫の唇が彼の苦痛を表しているようにも思えた。
 すぐに救急搬送された。鎧の上から彼を背負う。だが、重さで早く運べない。ダンジョンでのんきに着替えなど出来ない。脱ぎ捨てることも考えたが、今は一刻でも時間が惜しい。力任せに階段を駆け上がった。彼を背負ったまま地上を目指し、明かりが見えた時はそれが希望にも思えた。
 しかし――その後マルスが目覚めることは無かった。


 彼、マルスの葬儀は簡単に執り行われた。ギルドを通し冒険に出向く冒険者ならば誰であっても死と隣り合わせの状況を覚悟している。そんな猛者は死因にも葬儀にも深く固執しないであろう。けれども俺が参加した儀式はあまりに簡素に思えた。墓穴に棺を埋めて石ころの墓標にそっと祈りを捧げるだけの段取り。ただそれだけ。冒険者時代には話を聞くこともあったが、いざ自分が立ち会うとなると物足りない。いや、足りないのは彼自身か。

 木で出来た棺には、一輪の花と共に彼が眠っていた。永遠に目覚めることのない眠りを。

 遺体を横から見下ろす形でのぞき込んだ。
これが彼との別れだと、はっきりと仲間にも告げられていた。

 彼の体を見ていると、そのうち動きだすんじゃないかと思った。俺を驚かせようと静止しているだけで、実は生きているんじゃないかと、冗談半分に思った。
 そしてそれが冗談ではないことを理解すると涙が溢れてきた。土気色の顔も冷たい肌も、呼吸をしない鼻と口に、上下しない胸。どれもが彼の死を物語っていた。
 どれだけ泣いても、何度悔やんでも、彼がもとに戻ることはない。それを分かっていても止められそうになかった。

 こんなことになるのなら、せめてきちんと告白をすればよかった。好いた相手を守りきれず、ひたすら後悔して生きるぐらいなら。
 そもそも知っていたら――なにに代えても助け出しただろう。

 彼の棺から離れてなお、未練は募るばかりで断ち切れない。
 名残惜しい気持ちから呆然と立ち尽くす。

 瞬きをする僅かな間に変化が。唇への微かな感触の後に、想い人の姿が光と共に出現したのだ。
 俺は驚愕することになった。目の前の光景に目を奪われてそこから離れられない。

「嘘…………だ、なんでお前、っ」

 死んだはずじゃ。

 奇跡でも起きたのか、はたまた白昼夢でも見ているのだろうか。そこには確かに彼がいた。彼がいたのだが、既にその足元から存在が薄れ始めている。彼も驚いたような顔をしているのがいやに現実的だった。

 とっさに俺は叫んだ。

「待て! いくな、頼む、俺の前から消えな、」

 儚い幻影を捕らえようと伸ばした手は、しかし空を切る。

『ごめん』

 そんな声がした。とても悲しそうな顔で。

 謝られるぐらいなら、一生俺を叱責してでもこの世に留まってほしい。それは俺の身勝手な願望だと分かっていながら望むしかなかった。
 幻影はゆっくりと光の粒ごと掻き消されていく。ついには胸元から上しかない。
 だというのに、彼は俺に笑いかけた。

 それを最後に彼はこの世から完全に消失した。


 あの日の奇跡を再現したくて、戦闘以外には興味もなかった怪しげな魔術を徹底的に調べた。彼と会えるならば些細な労力だった。しかし結果はどれも外れ。死んだ者を生き返らせる魔術などもあったが、大抵は禁忌扱いで実行すれば間違いなく犯罪者。お縄につくなどは不本意極まりない。しかしその程度で、自分の身柄と引き換えに愛する者を取り戻せるのならば望まないではなかった。ただし残念なのは、遺体が必要不可欠なことと、俺の魔力が圧倒的に足りないことであった。安らかに眠っているはずの彼の墓を荒らすのはもってのほかだった。
 金を積んで他の人間に頼む例も本には書かれていたが、ただでさえ胡散臭い手段を踏むものばかりで、成功するとは思えなかった。

 分かったことは、何と引き換えにしても人間一人の命とは釣り合わないということだ。


 マルス、君は今どこにいるんだ。

 この世界に彼がいない。それだけが救いようのない事実。
 一瞬見えた幻影も、唇の感触も、嘘でないなら、あのまま騙し続けてほしかった。


 こんな自分では誰も守れないと思いパーティーから離脱し、冒険者稼業は辞めた。不甲斐ない自分でも仲間達は引き留めてくれたが決意は固かった。なにせ冒険の目標そのものが無くなったのだから。


 あれから19年。
 今もあの日の出来事が目蓋に焼き付き、時折悪夢さえ見る。そして同時に彼の最期の笑顔を思い出す。ただそれは自分が生み出した幻像かもしれないが。
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