バイバイ、セフレ。

月岡夜宵

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『浮かれたピエロは涙に濡れる』

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 俺が処女を捧げたのは、俺の処女を貰ってくれたのは、一式紫、その人。
 いつだって彼は、人の目を惹き付ける。ずっとなんて独占できた試しがない。知人がいればその場で会話が弾み、俺は蚊帳の外。会話に入ったってどうせつまんないことしか言えないだろう。けれど少し、いや、かなり寂しかった。自分と彼が住む世界の違いをまざまざと見せつけられるみたいで。

『ね、セフレになって』

 関係を続けたい醜い心が、われ知らず口から吐き出したのは、とんでもない提案だった。そのおかげで俺は、たわむれに彼をホテルへと呼び出し、彼に抱かれることができる。紫君からの呼び出しは未だに無い。偽りの関係。だけど抱かれている時だけは自分が特別な存在のように思えてたまらなくしあわせだった。長くは、続かなかったけど。

 夕刻。きまぐれに授業終りに彼を探した。会う予定などなかったけど、どうしても会いたくて居ても立っても居られなかった。一目でもいいから、彼を目に入れたくて。

 そういえば、と。昨夜のチャットで残っていた会話を引っ張り出す。

・・・
紫:ああ~、明日の〇〇の講義だっる。せっかく尚紀が暇だっていうのに。まさかの必修科目!! はぁ~、ツいてねぇぇぇ。
尚紀:ふふ、大変だね。終わったら慰めてあげよっか?
紫:ああああー、尚紀が優しい!
尚紀:大げさだなあ。
・・・

 チャットから使われた教室を予想し、もしかしたら、と彼が居る場所へ向かった。
 それが大きな間違いだったと知ったのは、運良く彼の声が耳に入った時。

「なあ。最近紫、付き合い悪いよな。どうしたんだよ」
「あー確かに」
「べつにいいだろ」
「よくねえし。お前いないと合コン釣れないじゃん」
「俺を餌にすんな。そして釣るとか言うのやめろ」
「なになにぃ、急にいい子ちゃんぶって」
「悪いかよ。そろそろ遊ぶ・・のはやめとく」
「どした?」

(え?)

 会話の内容のせいで、扉にかけた手が止まる。
 遊ぶのをやめる。話の内容が指すのは、

「付き合いたい人がいるんだ。だからもう、適当な相手と寝たりしない」

 それ以後の記憶がない。彼らはまだ話していた気もする。自分はおそらく引き返したのだろう。
 いつの間に自分の部屋に戻っていたのか、なんてどうでもいい。
 肝心なのは件の紫君の発言。

 ――適当な相手と寝ない。

 冷水を浴びた気分だった。つまり彼には、本命がいる?

 好きな人がいる相手のほうが後腐れないとか、彼の友人が語っていた話。俺も真に受けて、単なる性欲処理に過ぎないからとうそぶいた。俺に別に好きな人がいる? そんなのまやかしだ。この心は彼だけを意固地にみつめている。あの紫君だけが欲しかったのだから。あんな卑しい手段を用いてでも、彼の腕に抱かれたいと思うほどに、俺は焦がれている。そう、今も。
 己が口にした、上辺だけの虚飾。散々並べ立てた言葉たちが、心に突き刺さる。かえしがついているように、それを引き抜くことは容易ではない。
 初めて抱かれた行為の後、俺は言った。それは彼が尋ねていた答えでもあったし、聞かれもしないことを、予防線を張るように勝手にまくし立てた結果でもあった。

『都合のいい相手で処女を捨てたかったんだ』
『大丈夫。好きな相手がいるから、面倒なことはしない。約束する』
『お金。抱いてくれたお礼だよ』
『受け取ってよ。あんまさ、俺をみじめにしないでほしい』
『よかったらこれからも付き合って』

 好きな人の代わりに抱いてもらい発散している、という名目が。お粗末な喜劇のような、滑稽な終焉をみせる。彼に好きな人ができたから、俺はもう、抱いてもらうことはできない。単なる性処理など、もう不要なのだから。
 恨めしい心はずっと望んでいたのに。
 本当は心ゆくまで抱いてほしかった。

(俺だけを見てよ、紫君……!)

 他の誰も、その視界に入れないで、と心はひたすらわがままに吠える。

 金を払ってまで〝セフレ〟を続けていた愚かな自分。関係に縋って、浅ましく腰を振って。とんでもなく卑しい自分に吐き気がする。なんて醜い心だ。貪欲に彼だけを求める姿は、魔性のものとしか思えない。こんなことなら、素直に告白して、玉砕しておくべきだった。あんな夢のような幸せを知った後では、つらすぎるから。

 だから彼を解き放つには十分な言い訳が必要だった。
 二度と抱かれなくてもいい。それでも傍にはいたい。難しいかもしれないけど、できれば友達としては過ごしたい。せめで大学生の間だけでも。その一時の幸福を胸に、彼との綺麗な思い出とは縁を切ろう。だから今だけは許してほしい。卑怯な俺は、ありもしない可能性に縋る。

 友人という立ち位置ででも、彼のそばに残れると、この時はまだ信じていた。円満に別れる計画を立てているうちは。
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