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第35話 愚かな王者
しおりを挟む剣を取り上げられ、連れていかれたのは王宮の大広間でした。
苦い思い出──王太子に婚約破棄を言い渡された場所です。
広間の中には、大勢の貴族が集まっていました。
普段であれば領地にいるはずの北方の領主たちの姿もあります。
いったい、何が起こっているのでしょうか。
しんとした静寂のなか広間の奥へ進むと、そこにあったのは信じられない光景でした。
「思ったよりも、早かったな」
王太子・イスハーク様です。
足を組んだ姿勢のまま、私を見下ろしています。
そんなことよりも……。
──玉座に、腰掛けています。
王が崩御されたという知らせは受けていません。
なぜ、王太子であるイスハーク様が堂々と玉座に腰掛けているのか。
「予定よりも早く集まらねばならなかった貴族たちに、申し訳ないと思わないのか」
なんという物言い。
それに、いったい何の話をしているのでしょうか。
「私は、お母様が危篤と知らせを受けて急ぎ帰ってまいりました。これはいったい、どういうことなのでしょうか?」
「無礼者! 挨拶もなしにイスハーク様に話しかけるとは!」
玉座の隣、一段下の王妃の席から声を上げたのは妹のナフィーサでした。
「失礼いたしました。王太子殿下にご挨拶申し上げます」
胸に手を当てて頭を下げます。
帝国とは違う作法での挨拶も久しぶりですが、その感慨に浸っている場合でもありません。
「王太子殿下、お母様はどちらにいらっしゃるのですか?」
「ふんっ」
イスハーク様が鼻を鳴らして合図すると、玉座近くの扉からお母様が出て来ました。
状況が分からないのか戸惑ってはいますが、健康そうな様子に安堵の息が漏れました。
私と同じく衛士に囲まれています。
──下手を打てば、お母様に危害が及んでしまう。
「貴様をカルケントに呼び出すには、それなりの理由がなければならないからな。オルレアンの皇帝も、私の嘘に騙されるとは大したことはないな」
その言葉に、後ろに控えた騎士たちがグッと拳を握ったのが分かりました。
嘘ではないかと疑いながらも、それでも私を送り出してくださった皇帝陛下とテオドル皇子に対して、なんという無礼。
「では、その呼び出しの理由を教えていただけますか?」
「知れたことよ。オルレアン帝国との同盟は、今日をもって破棄する」
ざわめきが広がりました。
「まさか!」
「聞いていません!」
「どういうことですか?」
思わず、こめかみを抑えます。頭が痛いとは、まさにこのこと。
馬鹿だ阿呆だとは思っていましたが、まさかここまでとは。
「その決定を下す権限が、王太子殿下にあるとは思えませんが」
「父上は病気療養中だ。実質、私が王として政務を行なっている」
「王が不在の場合、国の重大事を決定する場合には王太子殿下が発議し、貴族たちの承認を得る必要があったと記憶しております」
「そのために、今日この場に集まっているのだ!」
「それぞれに適当な急用を伝え、領地を放り出して参集するように命じたということですか?」
「敵を欺くには、まず味方からと言うだろう?」
なんと言う阿呆。
怒りの表情で貴方を睨みつけている貴族たちの顔が、見えていないのでしょうか。
「下がりなさい。ただの公爵令嬢ごときが王太子殿下に楯突くとは」
ナフィーサが言いました。
美しいドレスを身に纏った美しい妹。
しかし、その表情──つりあがった眉、澱んだ瞳、歪んだ唇──だけが、ひどく醜い。
「それに王太子殿下の御前に上がるというのに、なんという粗末な姿でしょう。妹として情けない」
全力で馬を駆ってきた直後です。当然、着替える暇などありませんでした。
帝国で誂えた乗馬服はレースも刺繍もふんだんに使った立派なものではありますが、今は泥で汚れてしまっています。
ナフィーサから見れば、私などんな装いをしていても粗末に見えたかもしれませんが。
──私は、彼女のように美しくはないから。
言われた通り、広間の隅に下がりました。
当然、私たちを囲む衛士たちも一緒です。
広間には盟友とも呼べる貴族がいますから、彼らに事情を聞きたいのですが。それをさせぬように、見張られているようです。
お母様に話しかけることもできません。
「ごめんなさい。おかしなことに巻き込んでしまったわ。……この後も、たぶん迷惑をかけることになります」
私は、あの阿呆を止めなければなりません。
小さな声で謝罪すると、騎士たちはそれぞれ首を横に振ってくれました。
「今の我々は貴女の騎士です。最後まで、貴女をお守りします」
私のすぐ隣にいたバルターク卿が、そっと背を撫でてくださいました。
怒りで強張っていた肩の力が抜けていきます。
「貴女の思うようになさってください。それが、我々にとって一番正しい」
デラトルレ卿が耳打ちします。
「なんかよくわかんねえけど、あいつ馬鹿だ。後で殴る」
イヴァンの言いように、皆が笑っています。
「剣はありませんが、体術の心得もありますからご安心ください」
ドルーネン卿は袖をまくって準備を始めました。
「貴女の元婚約者というからどんな方かと思っていましたが、なんとも品のないお方だ。結婚しないで正解でした」
リッシュ卿は汚いものを見るような目でイスハーク様を見ています。
「我々がついています。ご安心ください」
シュナーベル卿も、私と同じようにイスハーク様を睨みつけています。
「みんな、ありがとう」
私の騎士たちが、背中を押してくれました。
──さあ。私の責任を果たしましょう。
そんなやりとりをしている間に、出席者の確認が終わったようです。
「承認に必要な人数が出席されていることを確認しました」
侍従が告げると、イスハーク様がニヤリと笑います。
「では、王太子イスハークの名において発議する。……読み上げろ」
「いえ、しかし……」
イスハーク様の隣には、青白い顔で手足を震わせている政務官がいました。
政務官が手元の書類と王太子とを交互に見ています。
その様子からは、彼自身がこの発議に納得していないことが伺えます。
「殺されたいのか?」
「ひっ」
「さっさと読み上げろ」
「……はっ」
政務官の声が震えています。
イスハーク様は、恐怖で家臣たちを従わせているのです。
それで王者になった気になっている。なんという愚かな行いでしょう。
「一つ、オルレアン帝国との同盟は破棄。一つ、ウォルトン王国からの要請を受け、北の街道をウォルトン王国軍ならびにその同盟国軍が通行することを許可する」
ウォルトン王国は我が国の北方に位置する国です。現在は翰帝国と同盟を結んでいるため、オルレアン帝国にとっては敵国。
その軍が北の街道を通行する目的は、オルレアン帝国への侵攻に違いありません。
それを、黙って通すと言っているのです。
「一つ、オルレアン帝国との交易を禁ず。……以上です」
同盟を結んで半年以上。すでにオルレアン帝国との交易で利益を得ている貴族が数多くいるというのに。その交易を禁ずとは。
反応は様々です。
怒鳴り声を上げる者もいれば、『英断だ』と喝采する者もいる。
このような無茶な発議が承認されるとでも思っているのでしょうか。
……いえ。ギリギリ、賛成多数なのでしょう。
阿呆でも王太子は王太子。抱える陣営の規模が大きい。
「では、賛成する者は挙手を」
パラパラと手が挙がります。
既に買収されている者もいるでしょうが、ウォルトン王国や翰帝国と友好を結んだ方が得をする者がいることも事実です。
「あと一家門……。アダラート公爵家の賛成があれば、この発議の承認が決定します」
震える声の政務官が、お母様を見ました。
現在のアダラート公爵家は当主不在。お母様が当主代行を務めています。
お母様は背筋をピンと伸ばして、ただただ事の成り行きを見つめていました。
事前に何かを知っていたわけではない様子ですが、冷静に事を見極めようとしているのです。
「……愚かな王太子よ。アダラート公爵家は、そのような発議には賛成いたしません」
──よく言ってくださった!
思わず、強く拳を握りしめました。
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