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第33話 瑠璃の瞳の皇子
しおりを挟む「今夜は存分に楽しもう」
皇帝陛下の短い挨拶の後、皇子たちがフロアに進み出ました。
最初の曲は皇子たちが踊ることが慣例となっているそうです。
「あら。マ……テオドル皇子殿下はお一人なのね」
他の皇子たちがそれぞれパートナーの手を引く中、マース伯爵……テオドル皇子だけが一人でフロアへ出てきました。
「テオドル皇子殿下は、これまで一度も踊られたことがありません。特定の女性と連れ立っているのを見たこともありませんわ」
私の呟きに、ジモーネ嬢が耳打ちで教えてくれました。
「女性嫌いなんだそうです」
「そう、なの、ね……?」
女性嫌い?
私の知っている『マース伯爵』は初対面なのに気安く話しかけてきたし、さらりとスマートに挨拶をこなしていました。
とても女性が嫌いなようには見えませんでしたが?
「シーリーン様、怒っていらっしゃるの?」
「そう見えますか?」
「はい。ちょっと、怖いです……」
「……そうですね。少し、怒っているのかもしれません」
なぜ、正体を隠していたのか。何か事情があるのでしょう。
それにしても、徹底して私にだけ正体を隠していたのです。
これまでの出来事を振り返れば、イヴァン以外の騎士たちはみな知っていたのでしょうね。
クロエとナタリーも、かつてはテオドル皇子の宮に勤めていたのだから当然知っていたはずです。ルキーノもしかり。
知っていて、私にだけ隠していたのです。
「あら?」
早く誰かに問いただしたいのにそれができない苛立ちを必死で抑えていると、エミリアナ嬢が声をあげました。
「こちらにいらっしゃるわ!」
同じくナターリエ嬢も興奮を孕んだ声で言います。
「どなたかを、お誘いになるんだわ……!」
顔を上げると、人垣が割れる様が見えました。
そこに出来上がった道を、マース伯爵……テオドル皇子がまっすぐに進んできます。
このあたりに、お誘いになりたい令嬢がいらっしゃるのですね。
他の方々に倣い、私も頭を下げながら身体を避けて道を譲りました。
ところが。
──ザワ、ザワ。
ざわめきに視線を巡らせると、マース伯爵……テオドル皇子は私の目の前で足を止めているではありませんか。
「シーリーン・アダラート公爵令嬢」
名を呼ばれて、顔を上げます。
すると、テオドル皇子が私の前で腰を折っていました。
「キャッ!」
「シーリーン様をお誘いに!?」
「まあ!」
周囲にざわめきと悲鳴が広がっていきます。
「私と、踊っていただけませんか?」
──ザワ、ザワ。
演奏するはずの音楽家たちまで、こちらを見ています。
まさに『固唾を飲んで見守っている』という表現がピタリと当てはまる状況です。
「……はい。よろこんで」
ダンスのお誘いは、断らないのがマナーです。
マース伯爵……テオドル皇子の手をとりました。
──ザワ、ザワ、ザワ、ザワ!
騒めきと悲鳴が、さらにトーンを上げて広がっていきます。
「……音楽を」
呆れた様子の皇帝陛下の一言で、ようやく演奏が始まりました。
華やかなワルツです。
マース伯爵……テオドル皇子が、私の手を引いてフロアへ出ます。
他の皇族方も踊りながらこちらを見ています。器用なものですね。
──タンタンタン、タンタンタン、タンタンタン。
帝国へ移り住んできてから、何度も踏んだリズム。
「……そういえば、貴方とは一度も踊ったことがありませんでしたね」
私が夜会や舞踏会へ出席する時には、シュナーベル卿やイヴァンだけでなく、リッシュ卿やデラトルレ卿、ドルーネン卿にもエスコートしていただいたことがあります。
『マース伯爵』だけは、一度も誘っていただいたことがありませんでした。
「私、てっきりダンスが苦手なのだと思っていたのですよ」
「ははは。どちらかと言えば、得意な方です」
「そのようですね」
流れるようなステップ、優しいリード。
「一度でも一緒に踊れば、お若い令嬢は夢中になってしまうでしょうね。だから、どなたとも踊られないのですか?」
「まあ、そんなところです。……貴女は、夢中になりませんか?」
「私が? どうして?」
「貴女も『お若い令嬢』でしょう?」
「私と同じにしては、彼女たちに失礼よ」
「おや」
話しながら踊っていると、音楽はあっという間に終わってしまいました。
互いにお辞儀をすると、そのまま手を引かれます。
会場中の目線がマース伯爵……テオドル皇子に集まっていますが、そんなことはどこ吹く風といった様子。
案内されたのはテラスでした。
気を効かせた侍従が分厚いカーテンを下ろしてくれます。
ようやく喧騒から離れて、二人きりになることができました。
「殺されるかと思いました」
第一声は、マース伯爵……テオドル皇子のため息と共に吐き出されました。
「え?」
「貴女の騎士たちです。私を射殺さんばかりの視線でしたよ」
「……怒っているのは私ですわ」
ダンスや他の話題で話を逸らそうとしても、そうはいきません。
「どうして、私を騙していたのですか?」
「……座って話しませんか?」
手を引かれて、仕方なくベンチに腰掛けました。
「そんな顔をしないでください」
ブスッと、音が聞こえるような顔をしているかもしれません。
「怒っていますから」
「そうですね。怒られても仕方がありませんね」
謝っているのに、どうしてそんなに楽しそうなのですか。
「……そんな風に子供扱いしないでください」
「子供扱いではありませんよ。可愛らしいと思っているだけです」
「……また、そんなこと」
「可愛らしいです。とても」
また、手を握られました。
優しい手つきで、私の手の甲をそっとさすっています。
出会ったあの夜と、同じ仕草。
頬に熱が集まります。
『可愛らしい』と言いながら手を握るだなんて……。
ま、まるで私を口説いているようではありませんか!
……そんなことでは誤魔化されませんからね。
「理由を、教えてください」
「……私は、どうしても貴女を帝国にお連れしたかったのです」
そういえば、あの夜にも『マース伯爵』がおっしゃっていましたね。
『留学生としてお迎えするのはシーリーン・アダラート公爵令嬢でなければならない』と。その時はテオドル皇子の命令、という形でしたが。
「貴女が広い世界でどう生きるのか、見てみたかった」
「広い世界?」
「そうです」
瑠璃の瞳が、庭の木々を見つめています。
木々たちは瑞々しい緑の葉を広げて、夏の夜明けを待っています。
「誇り高き戦士である『獅子姫』は、確かに立派な方です。しかし、小さな王国で『公爵令嬢』という役割の中に押し込められていた」
『公爵令嬢』という役割……?
「公爵家の長子であるがゆえに強くあることを望まれ、その小さな体で戦場で戦わねばならなかった。しかし、どれだけ戦場で活躍したとしても、家督を継ぐことはない。将来は王妃として夫である王を支えて、次代の王を産む。そういう役割です」
そうです。
私はそのために生まれて、そのように育てられました。
「それが悪いということではありません。それも、一人の人間として立派な生き方でしょう」
「……私の、そうではない生き様を見てみたかった、と?」
「そうです。役割から解放されて自由を得た『獅子姫』が何を成すのか。公爵令嬢であるということも、女性であるということも、戦士であるということも……。誰かから与えられたあらゆるものを超えたところで、何を掴み取るのか」
私に向けられる真摯な眼差しに、胸が熱くなります。
「貴女は私が想像したよりもずっとずっと強く気高く、そして美しく花開いた」
そっと手を引かれました。
私とテオドル王子との距離が、グンと近づきます。
「……そして、私はあなたにかけられた呪いを解いて差し上げたかった」
「呪い?」
「ええ。……しかし、今の私では難しいようです」
呪い……。
そういえば、バルターク卿も同じことを言っていました。
いったい、なんのことでしょう。
「その呪いも、貴女自身の手で解かねばならないのでしょうね」
悲しげな表情で告げられたその言葉の意味が、この時の私には全く分かりませんでした。
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