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第32話 美しいのは
しおりを挟む「今夜のアクセサリーは、こちらがよろしいかと思います」
クロエが差し出したのは、大きな青色の宝石が連なる首飾りです。
美しく磨かれ、巧みにカットされた瑠璃がキラキラと輝いています。
「テオドル皇子殿下からの贈り物ですから」
「そうね。今夜こそは、きっとお会いできるものね」
今夜は社交シーズンを締めくくる皇帝主催の大舞踏会。
当然、皇族の方々も全員出席なさいます。
「そういえば、どなたにエスコートをお任せするか、決まりましたか?」
尋ねたのはナタリーです。
「ええ」
帝国では、舞踏会や夜会にはパートナーと入場するのがマナーとされています。通常は夫か婚約者、いなければ兄弟や父親。それもいなければ、同性の姉妹や母親と入場します。
女性が一人で社交の場に出ることは『はしたない』とされているからです。
「マース伯爵に、シュナーベル卿、イヴァン。それからリッシュ卿と……」
「デラトルレ卿は近衛騎士ですけど、お嬢様のエスコートのために休みをもぎ取ったと話していましたね」
私がどなたをパートナーに選ぶのか、クロエとナタリーは興奮気味に話しています。
「あとはドルーネン卿、それにバルターク卿も立候補されているんですよね?」
「ええ。『ぜひ、エスコートさせてほしい』とお手紙をいただいたわ」
バルターク卿との婚約はなかったことになりましたが、友人としてお手紙のやりとりを続けています。
彼は自ら騎士団を辞し、お父様の罪を公にされました。
お父様は逮捕。つい先日、終身刑を言い渡されたところです。
真実を知りながら黙っていたという理由で自らも罰を受けることを望んだバルターク卿でしたが、彼には無罪判決が下りました。
『父親の罪を告白することを決心するまでに時間を要したことは、情状酌量の余地が十分にある。むしろ、自らの手で真実を明らかにしたことは騎士として、息子として立派であった』と、皇帝陛下からのお口添えがあったそうです。
現在は再び第三騎士団に戻っています。侯爵家の後継問題については今までよりも複雑になってしまいましたが、それについては『できる限りの手を尽くしたい』と手紙に綴られていました。
彼ならば、きっとやり遂げるでしょう。
皇宮に到着すると、いつもの騎士たちが私を待ち構えていました。
思わず、苦笑いがこぼれます。
「私でなくても、貴方たちにエスコートされたい令嬢はたくさんいらっしゃるでしょう?」
事実、多くの令嬢たちが私たちをチラチラと見ています。
「彼女らが見ているのは、我々ではなく貴女ですよ」
リッシュ卿が言うと、他の面々も頷きました。
「そうかしら?」
「そうですとも」
バルターク卿が力強く頷きました。
他の面々もそうだそうだと頷いています。
「そういえば、マース伯爵は?」
彼の姿だけが見えません。
「先に行っていらっしゃいますよ」
「そう」
そんな話をしている内に、会場に到着しました。
大きな扉の前で一人ずつ名前を確認し、扉の向こうでは侍従が高らかにその名を告げています。
それを待つ貴族の姿はまばらで、私が到着したのは随分と後の方だったことが分かります。
そうなるように、ゆっくり来たのですけど。
「それでは、そろそろ教えていただけますか?」
デラトルレ卿です。
「今夜は、誰をパートナーになさいますか?」
六人の顔を順に見ました。私の大切な騎士たちです。
今夜は、誰か一人を選ぶべきなのでしょう。
──ですが。
「結構よ」
「はい?」
六人分の声に、思わず笑いが漏れました。
「今日まで私を助けてくれて、本当にありがとう。私は人質としてやってきた『哀れな公爵令嬢』だったけれど、今は違うわ」
手に持った扇子を、パチンと鳴らします。
そうするとスッと背筋が伸びるのです。
「今の私は誰かに手を引いてもらわなければ歩けないような、哀れな令嬢ではないわ」
何か言いたげな騎士たちを置き去りに、扉の向こうへ踏み出しました。
「フェルメズ王国、アダラート公爵家のシーリーン嬢!」
会場をゆったりと進みました。
一歩、また一歩と歩くたびに、ふわりふわりとドレスが揺れます。
爽やかなアイボリーの絹地に金の糸で刺した刺繍が、揺れるドレスに合わせて煌めきます。
袖の上には、さらに紗の飾り袖を重ねました。東の国に残る伝説の天女の羽衣のように、私の後ろをヒラリヒラリと追いかけてきます。こちらにも精緻な刺繍が施されています。
そして、私の胸元で輝く瑠璃 の首飾り。
どれもが完全に調和し、シャンデリアの光に照らされて輝いて見えていることでしょう。
会場は、静寂に包まれています。
誰もが私の装いの美しさに見惚れているのです。
──大成功だわ。
今夜のために、最高のドレスを仕立てました。
刺繍をより引き立たせるための新しいアイディアである飾り袖も、この日のために誂えたのです。
そして、より多くの紳士淑女の注目を集めるために遅い時間に入場しました。
エスコートを断ったのも、半分はそのためです。私が一人で歩いた方が、ドレスがよく見えるでしょう?
ほら。
私のドレスを見つめる令嬢たちの瞳が輝いています。
──来シーズンに向けて、たくさん売れるわね。
惜しむらくは、豪奢な首飾りでドレスの美しさがやや霞んでしまったことです。
──もっと、地味な飾りにすればよかったわね。
エスコートを受けず、たった一人で入場したことに顔をしかめるような人は一人もいませんでした。
「ごきげんよう」
顔見知りの令嬢たちに声をかけます。
「ごきげんよう」
「こんばんは」
少し遅れて、ご挨拶いただきました。
みなさん、なんだか瞳がトロンとしています。
「ああ、なんて美しい」
「本当に」
「まるで地上に舞い降りた天使」
「いいえ、女神様よ」
令嬢たちが、口々に誉めてくださいます。
「素敵なドレスでしょう?」
裾を摘んで、広げて見せます。
「ええ、ええ。素敵なドレスですわ」
「見事な刺繍です」
「その飾り袖も、とってもとっても素敵です!」
「ですけど、シーリーン様……」
「お美しいのは、貴女様ですわ!」
令嬢たちの顔が、今度は上気しています。
何をそんなに興奮しているのでしょうか。
「みなさん、どうされたの?」
「……分かっています。シーリーン様が、そういう方だということは」
ジモーネ嬢がしみじみと言います。
「ですから、殿方たちも頭を抱えているのですわ」
エミリアナが言いました。
「お可哀想」
ナターリエも、遠くから私を見守る騎士たちを哀れむように見ています。
「本当に、そういうところですわよ」
彼女たちのため息の理由はよく分かりませんが、私の何かが良くないということはわかりました。
「皇帝陛下ならびに皇后陛下の、おなーりー!」
三人の勢いにたじたじになっていると、侍従が高らかに告げました。
その声に導かれるように、皇帝陛下と皇后陛下が壇上に入場されます。
「続いて、第一皇子……」
さらに皇族たちの入場が告げられます。
「第四皇子、テオドル・エドムント・フォン・クルジーク殿下!」
ようやく、お顔を拝見することができます。
少し背伸びをして、人垣の向こうの皇族席を見ました。
「え?」
そこに入場してきたのは、私のよく知る人物でした。
黄金の髪、高く筋の通った鼻梁、少し吊り上がった眦、引き締まった薄い唇。
そして、キラキラと光を放つ瑠璃の瞳──。
「マース伯爵?」
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