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第28話 かりそめの婚約者
しおりを挟む「事件です」
いつものように、いつもの騎士たちが私の屋敷に集まっていました。
最近では、ドルーネン卿もここに加わるようになっています。
そこへやってきたマース伯爵の第一声は、穏やかなものではありませんでした。
「どうしたのですか?」
「どうしたもこうしたもありません。何があったのですか?」
それは、私への問いかけです。
しかし、何を指しているのかさっぱりわかりません。
「何と言われましても」
「ミロシュ・バルターク卿のことです!」
大きな声で話す様子は、彼にしては珍しい姿です。
「先日、舞踏会でお会いしました。五件目の毒殺事件があったので、ゆっくりお話しはできませんでしたが」
「それから?」
「こちらにご招待する約束をしました」
「それで?」
「それだけです」
「それだけ? 本当に?」
「ええ。そうよね、シュナーベル卿」
「はい。それだけ、ですね」
それを聞いたマース伯爵が、苛立ちを隠しもせずにドカリとソファに腰掛けました。
「では、なぜ彼は貴女に求婚したいと言い出したのですか?」
「はい?」
予想の斜め上を行くセリフに、全員の声が重なりました。
「どういうことだ?」
ドルーネン卿が唇を尖らせています。
「昨日、バルターク卿がテオドル皇子殿下に謁見されました。その場で、『シーリーン・アダラート公爵令嬢に求婚したいと考えているが、よろしいか』と」
「テオドル皇子殿下は、実質的にはシーリーン嬢の後見人です。筋を通そうとしたのですね」
リッシュ卿がうんうんと頷いて言いましたが、その眉間には深い皺が刻まれています。
「それで、テオドル皇子殿下はなんと答えたのですか?」
デラトルレ卿の問いに、マース伯爵の表情がさらに渋くなってしまいました。
「政治的にも身分的にも、止める理由はありませんから。……好きにすればよい、と」
「なんだよ、それ! 役立たずだな!」
「ゴホッ!」
「ゴホン!」
イヴァンがぼやくと、他の騎士たちが一斉に咳き込んでしまいました。
「そうですね。本当に、役立たずですね」
リッシュ卿は、なぜか楽しそうに笑っています。
「そうだな。本当に、役立たずだった……」
マース伯爵が、がっくりと項垂れてしまいました。
「イヴァン。皇子殿下のことをそんな風に言うものではありませんよ。それに、皇子殿下のおっしゃる通り、誰にも止める権利はないでしょう?」
「……その通りです」
「それで、バルターク卿はいつご招待されるんですか?」
「今日の午後よ」
「はい?」
再び、騎士たちの声が重なります。
「今日の午後、二人でお茶をする約束になっているの。ですから、皆様は昼餐を召し上がったらお帰りくださいね」
確かに、『お帰りください』と言ったはずです。
ところが、庭でお茶を楽しむ私たちを建物の陰から覗き見る気配が六つ。
困ったものです。
「ごめんなさいね」
「いえ。彼らの心配も当然のことです」
「子供でもあるまいし、おもてなしくらいキチンとできますわ」
「……そういうところでしょうね」
「え?」
「なんでもありません」
バルターク卿はお茶の香りを楽しみながら、微笑んでいます。
「今日は、貴女にお願いがあるのです」
「はい」
きっと、求婚の件でしょう。
ずいぶんと性急な気はしますが、すでにテオドル皇子殿下にも話を通してあるのです。先延ばしにする理由はありませんね。
「その前に、一つお伺いしてもよろしいですか?」
「なんですか?」
「ドルーネン卿からの求婚には、どのようにお答えになったのですか?」
もしもドルーネン卿の求婚を受けた後であれば、ご自分は身を引くつもりなのでしょう。
「理由をお伺いしたら『直感で結婚したくなった』とおっしゃったので。『そういうことならば、お互いのことをもっとよく知ってから、改めて求婚なさってください』とお答えしましたわ」
「それで……」
バルターク卿が、ちらりと建物の陰の方を見ました。
もはや姿を隠す気もない騎士たちが、こちらの話に耳をそば立てています。
「ええ。連日、仕事の合間にこちらにいらしています」
「彼は気が気ではないでしょうね。他の男に取られはしないか、と」
「そうかしら。私などよりも、もっと素晴らしい令嬢はたくさんいらっしゃるわ」
「私など、とは。……貴女だって素晴らしい令嬢です」
「けれど、外国人だし、身分はあっても帝国内での実権はないし、政治的立場も厄介。実家からの支援はないし、持参金もそれほどない。結婚相手として、あまり『旨味』のある相手ではありませんわ」
指折り数えてみれば、この国の貴族の結婚相手として優良とは言えない条件が揃いすぎています。
私などを伴侶にすれば、面倒ごとが増えるだけです。
ただし……。
「人によって、何が『旨味』かは違いますけどね」
「そこまでご存じとは」
バルターク卿が苦笑いを浮かべました。
今日の用件もその裏にある事情も、すべて承知していると伝わったようですね。
「では、どうかこの哀れな騎士にお慈悲をいただけませんか?」
バルターク卿がスッと私の前に跪きます。
それに応えて、私も立ち上がりました。
騎士らしい無骨な手が、私の手をとります。
「シーリーン・アダラート公爵令嬢。どうか、私と結婚してください」
「承知いたしました」
お返事は、はじめから決めていました。
建物の陰からは、何やら騒ぎ声が聞こえてきます。
私たち二人の間に割り入ろうとしているドルーネン卿とイヴァンを、他の四人が押し留めているようです。もう少しで話がまとまりますから、もう少しだけ我慢してもらいたいものです。
「よろしいのですか?」
「はい」
バルターク卿が嬉しそうに微笑みます。
彼の役に立つことができて、私も嬉しいです。
「……そういう、お芝居ですわよね?」
「……はい?」
素っ頓狂な声は七人分でした。
みんな、何を驚いているのかしら。
「侯爵位を継ぐためには、身分の高い婚約者が必要なのでしょう? その婚約者役に私を、ということですよね?」
「……」
バルターク卿は、口を開けて黙ったままです。
何か、心配事でもあるのでしょうか。
「秘密は守ります。それに、貴方の結婚の邪魔はしませんから、ご安心ください」
「私はたった今、貴女に求婚したはずですが……」
「ええ。ですから、それも演技ですわよね? 本当の結婚は、愛する方となさるのでしょう? あ。もう既にお相手がいらっしゃるの?」
バルターク卿は、今度は頭を抱えてしまいました。
「貴女の騎士たちの苦労が伺えます」
「どういうことですか?」
「いいえ。……今は決まった相手はおりません」
「では、貴方が本当に結婚したいと思う方が現れるまでの、『かりそめの婚約者』ですわね」
「はい、そう、ですね」
今度は項垂れてしまいました。
建物の陰からは、騒ぎ声ではなく楽しそうな笑い声が響いてきました。
いったい、なにがそんなにおかしいのでしょうか。
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