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第23話 俺たちの気持ち

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 剣闘場での求婚劇は、瞬く間に首都中に広がりました。
 リッシュ卿に言わせれば、『天才剣士ヒルベルト・ファン・ドルーネンと決闘して、シーリーン・アダラート公爵令嬢が勝利した』だけでも大ニュースだと。そこへ『負けたヒルベルト・ファン・ドルーネンが、シーリーン・アダラート公爵令嬢に求婚』が加わったものだから、どこもかしこもこの話で大騒ぎなのだそうです。

 『ヤル』の開設記念式典は、そんな折に開かれたものだから大勢の民衆が集まったというわけです。




「そういえば、あいつに返事はしないのか?」

 今夜の夜会は、イヴァンを連れて出かけます。
 騎士としてのお披露目も兼ねて、ジモーネ嬢のお父様──ノイベルト伯爵です──の主催する舞踏会にやって来ました。

「返事もなにも、あの日以降会えていないわ」

 大音声の求婚の後、彼は第一騎士団の騎士たちによって連行されていきました。

『結婚してくれー!』

 彼の叫び声がこだまする中、私は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
 決闘に勝利した喜びなど、どこかへ飛んで行ってしまったものです。

「手紙もないのか?」

「ええ。第一騎士団の団長様からは謝罪のお手紙がありましたけど」

「へえ」

「『特に処罰は望みません』とはお返事したけれど、どうなったかしらね」

「そんな気にするなよ。返事をするにしても、どうせ断るんだろう?」

 断るのが当たり前だと思っているようです。
 確かに断ろうとは思っていましたが、簡単に切って捨てては求婚したドルーネン卿も立つ瀬がありません。

「……そうかしら?」

「え?」

「もう少し、お話をしてみないと」

 どうして求婚してくださったのか、その事情をきちんと聞いてみないことには始まりません。

「あら、着いたわね」

 ちょうど話が途切れたところで、馬車が止まりました。

「さあ、行きますよ」

 何かに驚いて呆然としているイヴァンに声をかけます。
 どうしたのでしょうか。

「あ、はい」

 イヴァンが慌てて馬車から降りました。




 イヴァンのエスコートで会場に入ると、すぐに囲まれてしまいました。

「シーリーン様!」
「今夜のお召し物も、とっても素敵です!」
「今日こそは、私とも踊ってくださいね」

 次々に声をかけられて、隣のイヴァンが目を白黒させています。
 会場の中まで付き添ってくれたのは、今日が初めてですからね。

「こちらは?」

 イヴァンの様子に気づいた一人が、水を向けてくださいました。

「イヴァン・イエフ卿です。私の騎士ですわ」

 『イエフ』は騎士爵の叙任の際にデラトルレ卿が名付けてくださった姓です。

「まあ、噂の!」

「噂、ですか?」

「ええ。幼い頃に出会った高貴なお姫様の騎士になるために、辺境からたった一人で旅して来た若者!」

「しかも弟子入りしてから一ヶ月も経たずに試験を受けて、一発で合格されたとか!」

「誘拐されたシーリーン様を、一人でお助けになったのですよね」

「まあ、皆さんよくご存知で」

 多少誇張されてはいますが、概ね事実です。
 それが、こんなにも目をキラキラさせて語るような物語ストーリーになっているとは。

「シーリーン嬢の周囲は、話題には事欠きませんな!」

 大きなお腹を揺らして笑いながら話に入って来たのは、ノイベルト伯爵でした。

「彼の物語は、今度劇場公演されると聞きましたぞ」

「あら! 見に行かなくてはね」

「ははは! シーリーン嬢、ようこそおいでくださいました」

「お招きいただき光栄です」

「イエフ卿も、今夜は楽しんでください」

「ありがとうございます」

 イヴァンがかしこまって挨拶します。
 彼には、シュナーベル卿とお揃いの騎士服を誂えました。
 青の上衣に紺の外套マント、それぞれに施された銀糸の縁取りが凛々しさを引き立てます。
 ピンと背筋を伸ばして、なかなか様になっていますね。

「踊っていらっしゃいな」

 この数週間、リッシュ卿にダンスも習っていました。『まあ、恥をかくことはないでしょう』というお墨付きをもらっています。

「では、一曲お相手いただけますか?」

「私でいいのかしら?」

「最初は、ひ……お嬢様と踊りたいです」

 私の手をとってお辞儀をする姿は、どこからどう見ても立派な騎士です。
 呼び方も、よく堪えました。

「光栄ですわ」

 私もかしこまって返事をすると、イヴァンはとても嬉しそうに微笑みました。

 イヴァンの踊りはリズムの踏み方が大味なところはありますが、それはそれで楽しいものでした。

 一曲踊り終えると、イヴァンは壁の花になってしまいました。他の令嬢と踊るのは自信がないと言っていましたが、噂の若者はひっきりなしに話しかけられていましたね。
 困っている様子も可愛らしくて、ついつい他の方と踊り続けてしまいました。

 彼も騎士爵を得たので貴族の一員──厳密には違うそうですが──です。こうした催しで、良い結婚相手が見つかるといいのですが。
 シュナーベル卿にも同じ理由で舞踏会や夜会への随伴をしてもらっていますが、彼は他の令嬢と話したり踊ったりすることをしません。『自分は護衛騎士です』の一点張りなのです。
 騎士としては立派な心掛けですが、困ったものです。




 と、いう話をした帰りの馬車の中。

「俺たちの気持ちは、どうなるんだよ!」

 なぜか、イヴァンが声を荒げて怒ってしまいました。

「どうしたの?」

「怒ってる」

「それは分かるわ。でも、どうして?」

「……本当に、わからないのか?」

 今度は、悲しそうに眉を下げます。

「俺たちの気持ち、何も分からないのか?」

「分かっているわよ。私のこと、大切に思ってくれている。守りたいと思ってくれているのよね」

 その気持ちは、ちゃんと伝わっています。
 私は、とても大切にされています。
 しかし、イヴァンは黙って俯いたままです。

「ねえ、どうしたの?」

 思わず、その手を握ります。
 無言のまま握り返されて、そのまま持ち上げられました。
 手袋を、引き抜かれてしまいます。

「イヴァン?」

 真っ赤な瞳が、こちらを見つめています。
 握った手から彼の温度が伝わってきました。

「俺たちは、結婚なんてしない」

「どうしてなの? せっかく騎士になったんだもの。素敵なお嬢さんと結婚してほしいわ」

「……そういうところ」

「え?」

 『そういうところ』
 最近、よく聞く言葉です。
 マース伯爵にも、シュナーベル卿にも言われてしまいました。
 何が『そういうところ』なのでしょうか。

「そういうところ。……すごい残酷」

 言いながら、イヴァンの唇が私の指先に触れました。

「ひゃっ!」

「いい加減、慣れたら?」

「イヴァン!」

 握られた手を引きますが、離してくれません。

「アレクシスが言ってた。『誤魔化さずにちゃんと言わなきゃだめだ』って」

「何の話をしているの?」

「俺の、気持ちの話」

「気持ち?」

「俺は」

 ──ガタンッ!

 言いかけたイヴァンの言葉を遮ったのは、大きな揺れでした。
 同時に馬のいななき

「何者だ!」

「うるさい!」

「止まれ!」

 御者の声と何者かの怒声。

「事故か? 見て来ます。ここにいて下さい」

 イヴァンが扉に手をかけましたが、逆に外から開かれました。
 御者ではありません。全く知らない男性です。

「悪いな、お嬢さん。二度目の誘拐だ」

 その男は子供でも素人でもありません。
 これは、本物の誘拐です。


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