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第9話 生きる術
しおりを挟む「おひさしぶりですね、マース伯爵」
「おや、それは嫌味ですか?」
「まさか」
シュナーベル卿が私の騎士となった翌日の午後。
先触れの数刻後にマース伯爵がいらっしゃいました。
「ご不便をおかけして申し訳ありません」
この小さな屋敷を与えられてから約一週間、皇宮からは何の音沙汰もありませんでした。
ですから、どのように過ごせばよいのか分からず困ってはいました。
「好きにしていましたから、お気になさらないでください。屋敷を整理したり、町に出たり。なかなか有意義に過ごしていましたよ」
「そうですか」
門から玄関へ続く石畳の小道を歩いていると、マース伯爵が立ち止まりました。
「ずいぶん賑やかですね」
彼の目線の先、庭では数人の子供たちが賑やかに笑っている姿が見えます。
「ああ。庭の草むしりを頼んでいるのです」
「あんな小さな子供に?」
「小さくても、教えれば庭の手入れぐらいできますわ」
「しかし、どうして?」
「彼らは、道で暮らしている子供達です」
今日も、お腹を空かせてここに来ました。
「前にここに住んでいた方が親切な方だったのでしょうね。私が住み始めてすぐに、『パンをください』と訪ねてきました」
「それが、どうして草むしりを?」
「私がルキーノにお願いしたのです。パンではなく仕事と賃金を与えるように、と」
「仕事と賃金を?」
「ええ。フェルメズ王国では、男の子なら5歳から父親について狩りに出ます。女の子も針仕事を始めます」
「なかなか、厳しい教育方針なのですね」
「山々に囲まれた、厳しい風土の国ですから」
「それで、あの子供たちにも仕事を?」
「ええ」
「しかし、パンを与えれば済む話では?」
「生きるために必要なのはパンではありません。生きる術を学ぶ機会です」
マース伯爵が驚いて目を瞠っています。
この国では、子供を働かせることが一般的ではないことはわかっています。
しかし、ただパンを与えるだけで良いとは、どうしても思えなかったのです。
「少し、失礼しますね」
マース伯爵に声をかけ、子供達にそばへ行きます。
子供たちが、嬉しそうに私の周りに集まってきました。
「お客さまがいらしたら、ご挨拶をしなければいけませんよ」
「ごあいさつ?」
「そう。ようこそいらっしゃいました、という気持ちを伝えるの」
「はい!」
「さあ、男の子は背筋を伸ばして立って。手は太腿にピシッと添えて、軽く頭を下げて」
子供たちが、言われたように姿勢を正します。
「女の子も背筋を伸ばして。スカートの端を持ち上げて、左足を引くのよ」
よたよたとバランスを崩しながらも、なんとか挨拶の形をとることができました。
庭の向こう、石畳の小道でこちらを見つめるマース伯爵に礼をとります。
伯爵は、にこりと笑って礼を返してくださいました。
「わあ!」
子供達は、それが嬉しかったのでしょう。
歓声を上げて喜んでいます。
「さあ、もう少し頑張ってちょうだい。終わったら厨房にお菓子を準備してあるわ。ちゃんとお勉強もしてから帰るのよ」
「ありがとうございます!」
子供達の笑顔に、心が癒されます。
「お勉強とは?」
「仕事の後に、簡単な読み書きを教えています」
「他人の子供に、そこまで?」
「もう他人ではありませんわ。同じ町で暮らしているんですもの」
助け合って、生きていかなければ。
「これが、年間の予算です」
サロンに案内すると、マース伯爵は早速本題に入りました。
伯爵の従者が持ってきた書類をテーブルに広げます。
「使い方はお任せします」
「人を雇った場合の賃金は?」
「こちらの三人については賃金は不要ですが、追加で雇い入れた場合にはこの予算から賃金を支出していただくことになります」
「つまり」
「はい。シュナーベル卿の賃金はこの予算の中から、ということになります」
「いえ、自分に賃金は必要ありません」
シュナーベル卿の眉が八の字に下がります。
「何を言っているの。私の騎士として、身辺を守ってもらうのですもの。きちんと支払わせてちょうだい」
「しかし……」
「騎士団にいた頃と同額というわけには、いかないでしょうけど」
広げられた書類に書かれた金額を睨みつけます。
潤沢とは言い難い予算です。
なかなか、切り詰めなければなりません。
「シュナーベル卿は、本当に貴女に惚れ込んでいるのですね」
「嬉しいことに、そのようです」
「社交界では、その噂で持ちきりですよ」
「あら、あなた有名人だったの?」
「まさか」
「謙遜ですよ。第二騎士団のアレクシス・シュナーベルと言えば、剣術大会で何度も優勝している有名人です」
「まあ」
「過去の栄光です」
「それなら、なおさらきちんと払わせてちょうだい」
「……はい」
シュナーベル卿が、申し訳なさそうに項垂れます。
「良い主人に巡り会えたのですね」
マース伯爵は明らかに面白がっている様子ですが、シュナーベル卿は嬉しそうに微笑んで頷きます。
耳を垂らしているように見えたり、尻尾を振って喜んでいるように見えたり。
シュナーベル卿は、大きな犬のようですね。
「まあ、それとは違う理由もありそうですが」
マース伯爵がニヤリと笑いました。
私は何のことだかわからず首を傾げます。
「あぅ、その、それは……」
シュナーベル卿の顔が真っ赤です。
「大丈夫ですか?」
「だい、じょうぶ、です。あの、自分は……」
「マース伯爵、シュナーベル卿の『まごころ』を、そんな風に笑うのはお辞めください」
「『まごころ』ですか……」
マース伯爵は、まだニヤニヤしています。
「ええ。それ以外に、私に忠誠を誓う理由などありませんよ。ねえ、シュナーベル卿」
「う、あ、……。はい」
その返事は、なぜか蚊の鳴くような声です。
体調でも悪いのでしょうか?
とはいえ、彼の忠誠に『まごころ』以外の理由がないことは、間違いないのです。
「ほら」
「ははははは!」
マース伯爵は、ついに声を上げて笑い出しました。
「そうですね。『まごころ』……そういうことにしておきましょう」
「何だか、含みのある言い方ですわね」
「ははは! ……苦労しそうだな」
「はい?」
小さな呟きがきちんと聞き取れずに聞き返すと、今度はニコリと微笑まれてしまいました。
この件はこれでおしまい、ということです。
これ以上は何を聞いても教えてもらえないでしょうね。釈然としませんが。
「では、明日から授業を始めましょう」
「授業?」
「一応『留学生』という扱いですから」
「ああ、そうでしたね」
「政治学は私が、経済学はルキーノが担当します。他の科目はそれぞれ家庭教師を選抜してあります」
「ルキーノが?」
「ええ。彼は、元は財政部に勤める官僚でしたから」
それは、初耳です。
「そんな方が、私の執事を?」
「ちょうど定年後の仕事を探していたところに、テオドル皇子殿下にお声をかけていただきました。感謝しています」
ルキーノが慌てて言い募います。
確かに都合の良い人事だったのでしょう。ですが、私にとって都合が良すぎます。
「では、クロエとナタリーは?」
「彼女たちはテオドル皇子殿下の宮で勤めていたメイドです。とても信頼されていましたから、不足はないはずです」
「不足どころの話ではないわ」
まさか皇宮に勤めていたメイドを、そのまま派遣されていたとは思いませんでした。
つまり、二人とも良家のお嬢様であることを意味します。
「皇宮に勤めていたメイドが、こんな小さな屋敷で外国人の世話をするだなんて」
二人のメイドに、慌てて駆け寄ります。
「ご両親にも申し訳が立たないわ。すぐに他の人を雇って、皇宮に戻れるようにするわね」
「そんな!」
「このまま、ここで働かせてください!」
「でも……」
「私たちは、お嬢様にお仕えしたいです」
「どうして?」
「お嬢様は本当にお優しくて、とても気持ちよく仕事ができるんです」
「子供達のこともそうです。私はお嬢様にお仕えできて誇らしいです」
「お願いします!」
二人揃って頭を下げられれば、私も困ってしまいます。
「短期間で、すっかり惚れ込んだようですね。聞き入れてやってください。テオドル皇子も、信頼できる人材を貴女の側に置きたいのですよ」
「随分気にかけていただいているようですね。……まだ一度もお会いできていませんが」
私の嫌味のこもった台詞に、私以外の全員が不自然に目線を逸らします。
テオドル皇子に関することで、何か不都合でもあるのでしょうか。
「まあ、お忙しい方なので」
「……」
じっとマース伯爵の目を見つめますが、ニコリと笑顔を返されただけ。
この件も、これ以上は何も話すつもりがないということですね。
まったく、隠し事の多い方です。
「わかりました。……では、目下の問題を解決しなくては」
「目下の問題、ですか?」
「予算もはっきりしたことですし、人手不足を解消しましょう」
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