98 / 102
第3部 - 第3章 勤労令嬢と……
第28話 水の守護者
しおりを挟む目覚めると、そこは見覚えのない場所だった。
(どこ?)
周囲を見回しても、何も見えない。全く灯りのない、暗闇にいるようだ。ただし、かつて『死者の国』で感じたような不思議な感覚はない。ただ、真っ暗なだけだ。
(濡れてる?)
ジリアンが両手両足を縛られて転がされているのは、どうやら石の床の上。その床が、じとりと湿っている。すぐ近くを水が流れる音も聞こえる。加えて、かなり気温が低い。太陽の光が全く当たらないからだろう。ならば、考えられる可能性は一つだ。
(……地下、ね)
誰かに連れ去られて、どこかの地下で拘束されている。今わかるのは、それだけだ。
(どうしようかしら)
とはいえ、ジリアンには魔法がある。拘束を解いて明りを灯すことも難しいことではない。しかし、それではジリアンを誘拐してきた誰かを刺激することになりかねない。
さらに言えば、ジリアンのすぐ近くにはブレンダがいた。隣室にはアレンもテオバルトも。少し距離をおいた場所には護衛騎士もいたのだ。その状況でジリアンを連れ去ってきたということは、簡単に制圧できるような相手ではないだろう。
(拘束して放置しているなら、殺すことが目的じゃない)
今は動くべきではない。そんなことを考えていると、ペタペタと湿った足音が聞こえてきた。
「……起きてるのは分かってる。顔を上げろ」
ジリアンは言われた通りに顔を上げた。ジリアンからは何も見えないが、何かにジロジロと見つめられている気配だけは感じられた。
「お前はヴィネの眼を持っている。間違いないな?」
「……そうよ」
ジリアンの返事を聞いた誰かが、彼女に触れた。ぬるりと湿った粘膜のような感触に、ジリアンの肌が総毛立つ。そんなジリアンに構うことなく、誰かは彼女を抱えあげて歩き出した。
「ちょっと、はなして!」
ジリアンが思わず抵抗すると、誰かはピタリと動きを止めてジリアンを再び地面におろした。粘膜のような皮膚がジリアンの近くでこわごわと戸惑っている気配が伝わってくる。
「い、痛かったのか?」
思わぬ問いかけに、ジリアンは拍子抜けする思いだった。この誰かは、彼女を害するつもりはないらしい。むしろ、彼女を傷つけることを恐れている。
(何か事情があるのね)
それを知るためには、やはり彼に従うのが最善だろう。
「自分で歩けるわ」
「お前には何も見えないだろう?」
「暗闇の中で知らない人に抱えられて移動する方が怖いわよ」
「そ、そうか?」
「あなたが手を引いてくれれば問題ないわ」
「……俺と手をつないで歩くっていうのか?」
「そうよ。こんな暗闇に置き去りにされたら、私は死ぬしかないんだもの」
嘘も方便だ。
姿の見えない誰かはしばらく考え込んだ後、ジリアンの足に触れた。
「抵抗するなよ」
「わかった」
カチャンと金属音がして、足の拘束が外れる。
「立て。……長のところに連れて行く」
今度はおずおずと遠慮がちに、拘束されたままのジリアンの手に何かが触れた。ぬるりと湿った肌の向こうに、確かな温もりがある。彼の手だ。
(悪いヒトではなさそう)
彼女を誘拐してきた犯人であることは間違いないが、ジリアンに危害を加えるつもりはない。だが、彼女を解放するつもりもない。
(いったい何の目的で……?)
その真相を探るべく、ジリアンは彼の言う通りに黙々と歩いたのだった。
* * *
一方その頃、アレンたちはジリアンの行方を探し始めていた。
「犯人は完璧な準備をしていたらしい」
唸ったのはカシロだ。
「この匂いは、砂漠にだけ咲く花から抽出した強力な眠り薬だ。香として焚くことで、揺すられても起きないほどの深い眠りに入る。だからブレンダは誘拐に気づかなかったし、お嬢さんもあっさり誘拐されたんだろう」
部屋をよく調べると、その香は天井裏から仕掛けられたことが分かった。
「それに、誰にも目撃されていない。宿の周りには護衛騎士がいたんだ。そんなことはジリアンの隠蔽魔法でもなければ不可能だ」
アレンの言に、ジリアンの護衛騎士たちが頷いた。昨夜も、間違いなく宿の周囲を漏れがないように見張っていたのだ。
「唯一の手がかりが、これですね」
テオバルトの視線の先には、宿の廊下にポツポツと続いている痕跡。
「これは、泥が乾いた跡でしょうか?」
「そうみたいだな。宿の厨房まで続いていて、地下食料庫の入り口で途絶えていた」
テオバルトとアレンが痕跡をまじまじと見つめていると、カシロが腕を組んで唸った。
「……これが犯人の残した痕跡だとすれば、見つけ出すのは簡単かもしれん」
カシロの言葉に、護衛騎士たちが一気に色めき立った。
「では、すぐにでも追いましょう!」
ところが、カシロは何やら考え込んだままだ。
「犯人にも、その目的にも、そして行き先にも、心当たりがあるのですね?」
テオバルトの問いに、カシロが頷く。それを見たブレンダがほっと息を吐いた。
「犯人は誰なのですか?」
「……『水の守護者』だ」
* * *
ジリアンは手を引かれて、そのまま地下を進んだ。その先に、わずかな明りが灯る場所が見えた。その光に照らされて、ようやく周囲の状況がわずかに見える。
彼女が歩いていたのは、地下水道の脇だったらしい。すぐ隣を川が流れている。反対の隣に目をやれば、ようやく彼の姿を見ることができた。
不思議な生き物だ。
一見すると人間のようにも見えるが、その手には水かきがついている。頭はカエルによく似ているが、老人のような長い髭が生えていて、その髭からボタボタと何かが滴り落ちている。水ではない。汚れた泥のようだ。
「……醜いだろう」
彼の小さな声に、ジリアンは咄嗟に答えることができなかった。だが、ジリアンが迷ったのは一瞬のことだ。
「自分と違う姿だからって、醜いとは思わないわ」
言いながら、彼に握られた手に力をこめる。
「変わったやつだな、お前」
「そうかしら」
「人族はみんなそうなのか」
「そうとも言えるし、違うとも言える。少なくとも、私の友人はヒトを見た目で判断したりはしないわ。ただし、あなたは私を誘拐したヒトだから、好いてはもらえないかもね」
おどけて言ったジリアンに、彼は肩を揺らして笑った。
「その通りだ」
「ふふ。……そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね。私はジリアン。あなたは?」
「リューリクだ」
「素敵な名前ね。よろしく」
話している内に、明りの灯る小さな部屋に到着した。そこには、彼と同じ種族のヒトがずらりと並んでいてジリアンは思わずたじろいだが、それでもきちんと挨拶をした。
「ルズベリー王国からまいりました、ジリアン・マクリーンと申します。ご用件をお伺いします」
しんと静まり返る空間で、最初に動いたのは中央に座っていたヒトだった。彼が長だろう。
「我らはお前さんを無理やり連れてきた。だというのに、用件を聞くというのか?」
「無理やりというには、扱いが丁寧でした。眠らされて運ばれたのにどこにも怪我をしていませんし、彼はとても優しかった」
隣のヒトに視線を送れば、少し照れたように表情を緩めたのがわかった。
「私に危害を加えるつもりはないのでしょう? それでも問答無用で連れてきたということは、私に何かをさせたいのではありませんか?」
「肝の据わったお嬢さんだ。ああ、そうか、マクリーン……。お前さん、あの魔法騎士の娘か」
これには、ジリアンは笑顔で応えた。ここでも、偉大な父の名が通っているらしいと分かって嬉しいのだ。
「そうか。……わけを話そう」
そう言って、長が顎をしゃくった。それを合図に手の拘束が外され、草を敷き詰めた座布団が運ばれてきた。促されて、ジリアンはその座布団に腰をおろす。どうも、長い話になりそうだった。
「我らは『水の守護者』。太古の昔から砂漠の地下に棲み着き、この地下水を守ってきた」
長の視線の先に流れる水は、カシロが話していた砂漠の地下水。そして、ここは各地に水を供給するために建設された地下水路だ。
「ところが、日に日に湧き出す水の量が減り始めた。数年前のことだ」
「もしかして、砂漠の気温が上がり始めたことと関係がありますか?」
「おおいにある。原因は、『火の山』だ」
「やっぱり」
つぶやいたジリアンに、長が目を見開いた。
「お前さん、まさか砂漠の異常を調べに来たのか?」
「はい。皇帝陛下の依頼で」
「そうだったのか。こんな形で招くことになって、重ね重ね申し訳なかったの」
「いえ。それは、まあ。もういいです。気にしないで下さい」
と、ジリアンは苦笑いを浮かべた。とはいえ、早々にアレンたちに連絡をとらなければならない。ジリアンを誘拐されたと思って、今頃大騒ぎをしているだろうから。その前に事情を把握しようと、ジリアンは長の方に向き直った。
「原因は、『火の山』に棲む精霊ではありませんか?」
単なる推測ではあるが、それしか考えられなかった。
「その通りだ。『火の山』の主、『不死鳥』が……怒り狂っているのだ」
56
お気に入りに追加
4,490
あなたにおすすめの小説
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。
一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。
そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる