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第3部 - 第3章 勤労令嬢と……
第24話 指輪と鍵
しおりを挟むジリアンとアレンが海の中心に到着すると、そこには氷の足場が築かれていた。その中央で、皇帝と国王、そしてマントイフェル教授が待ち構えていた。
「急げ!」
マントイフェル教授に促されて、二人は魔法陣の中央に立った。間もなく、刻限だ。
ハワード・キーツを倒したことを知らせるための手紙を飛ばし、北の地点の魔法石を守る騎士の到着を待ってから来たので時間がかかってしまったのだ。彼を失った今も、『死者の国』の『欲望』は人々の心を蝕み続けている。人族の王国でも魔族の帝国でも。仲間たちは、今もそれを抑えるために必死に戦っている。
「ジリアン、瞳をよく見せろ」
皇帝がジリアンの顎を引くのを見て、アレンの気配が殺気立つ。だが、彼の目的がジリアンの瞳だと気づいて、すぐに押し黙った。
ハワード・キーツを倒す直前、急に消えた魔法の気配。あれは、ジリアンの力だ。
その正体を知っているとすれば、それは魔族の皇帝である彼だけなのだ。
「『昇華眼』か」
悪魔族ヴィネの血によって継承されてきた『古の魔法』だ。
「あらゆる魔法を、高次の存在に引き上げる。有り体に言えば、消してしまう魔法だ」
「燃やした『魔石炭』から発生した魔力が空気に溶けていくように?」
「その通りだ。ヴィネの一族の中でも選ばれたものにしか発現しないらしい。私も実物を見るのは初めてだ」
納得して、ジリアンは頷いた。だからあの時、全ての魔法が消えたのだ。
「一つだけ、腑に落ちない」
首を傾げたのはアレンだ。
「『魔法を消してしまう』なんていう最強の魔法の持ち主だったヴィネは、どうして先帝に勝てなかったんだ?」
ジリアンの先祖であるヴィネは先帝バエルに負けて、人族の大陸に逃げ延びた。確かにおかしいと、ジリアンも頷く。
「これのせいだな」
皇帝が左手の薬指にはめた指輪を見せた。
「『ソロモンの指輪』だ」
六芒星と不思議な文字が刻まれたその指輪は、魔族の皇帝の証だ。
「この世に生まれたヒトの中で初めの王となったソロモンが、その支配の証として神から贈られたものだと言い伝えられている」
「支配の証?」
「そうだ。全ての悪魔族を使役する者であることを証明する指輪だ。この指輪を持つ者に、悪魔族は逆らうことができない」
「では、あなたはどうやって先帝を倒したのですか?」
「私には、悪魔族以外にも大勢の仲間がいたからな」
「他の種族の方が?」
「そうだ。先帝の首を落としたのがオルギットの父、カシロだった」
言いながら、皇帝が指輪を外した。そして、ジリアンの右手をとる。
「君に預ける」
「え?」
「これは支配の証であると同時に、ヒトの王──代表者であることの証だ。今の君に必要だろう」
「はい」
「後で返してくれると助かる」
「もちろんです」
ジリアンが確と頷くと、皇帝がその薬指に指輪をはめた。
「……まるで結婚式だな。やはり私の妃になるか、ジリアン?」
このセリフには、再びアレンが眉を吊り上げた。
「全て終わればお返しする指輪です。大した意味はないでしょう」
と刺々しく言うアレンに苦笑いを浮かべたのは、国王だった。
「この馬鹿息子」
言いながら、国王がアレンの金の髪をぐりぐりとかき回した。
「……『鍵』は持ってきたか?」
国王の唐突な問いに、ハッとしたのは皇帝だった。
「まさか……」
アレンが懐から取り出したのは、蒼い宝石が嵌め込まれた銀製の鍵だった。
「『ソロモンの鍵』……! 人族の王家に伝わっていたのか!?」
国王が頷いた。
「神が最初のヒトの王であるソロモンに与えた二つの力。それが支配の証である『ソロモンの指輪』と、知恵への扉を開く『ソロモンの鍵』じゃ」
皇帝が眉をしかめた。
「国王よ。その鍵があるなら、もっと早くに出せばよかったのだ。その力があれば、事はもっと簡単に片付いていたはずだ」
「これはただの保険じゃ」
「保険?」
「『ソロモンの鍵』が開いた先にある知恵とは、即ち破壊の力。ヒトには過ぎたる力じゃ」
国王と皇帝が睨み合ったのは、ほんの数秒のことだった。皇帝が苦笑いを浮かべて視線を逸らす。
「我々は与えられた支配の力でもって国を治めた。だが、人族の王は知恵の力を秘したまま国を治めた、か。……どれだけ戦っても、我らが勝てぬわけだ」
皇帝が声を上げて笑った。
「アレン、お前に鍵を持たせたのは予感があったからだ」
「予感、ですか?」
「お前がジリアンと出会ったときから。……二人が世界を変える。その予感がしていた」
国王がアレンの手を取り、鍵ごとぎゅっと握った。
「頼むぞ」
「はい」
ちょうど、マントイフェル教授が顔を上げて天空の星を見た。
「……時間だ」
言いながら、教授が魔法陣に手を添える。皇帝と国王もそれに倣った。彼らの魔力で、魔法陣を発動するのだ。
「何が起こっても惑わされるな。強い『意思』を持て。『欲望』を新たな円環へ送る、海の底に沈んでいた魂を救う。ただ、それだけを願え」
「はい」
ジリアンとアレンはぎゅっと手を握った。
二人の身体が光に包まれて、そして──消えた。
* * *
二人の意識が、海の底に放り出された。
「……っ!」
ぐるぐると渦巻く黒いモノに飲み込まれて、右へ左へ、上へ下へと振り回される。二人は互いの手を離さないよう必死になった。
(待ち構えていたんだわ!)
ヒトが仕掛けてくるのを、罠を張って待っていたのだ。
「ジリアン!」
とうとう、二人の手が離れた。
「アレン!」
叫びながら、ジリアンは黒いモノを見た。だが、その魔力が消えない。
「どうして!?」
目覚めたはずの『昇華眼』が、その効果を発揮しない。
【愚カ者メ】
ドロドロとした声が、ジリアンの鼓膜を揺らした。黒いモノがゾワゾワと不気味な気配を発しながら、ジリアンとアレンを覆い隠そうとしている。
【コレデ、終ワリダ】
──ブツンッ!
音を立てて、二人の意識が途切れた。
* * *
次に目を開いた時、アレンは王宮の庭園にいた。ジリアンがバラの花束を手に微笑んでいる。
『ジリアン!』
彼女に駆け寄れば、バラの香りに包まれた。そして、細い指先がアレンの唇に触れる。
『愛してるわ、アレン』
『俺も、愛してる……』
二人の唇が触れる。
甘い香りに包まれて、アレンは夢中になった。
(何かを忘れている……)
だが、それもどうでもいいと思った。今、この瞬間の快楽に身を任せたい。そうすべきだと、全身が叫んでいる。
(だけど……)
これは違うと、胸の底で何かが叫ぶ。
(俺たちが望んだのは、これじゃない!)
ヒトの、自分の、そして二人の未来のためにここに来たのだ。
『ジリアン……』
『なぁに、アレン?』
ジリアンの藍色の瞳が甘く惚けている。その瞳に見つめられると、決意が揺らぎそうになる。アレンはぎゅっと目を閉じて、首を横に振った。
『まだ、だ』
『まだ?』
『俺にはやるべきことがある』
ジリアン──彼女の幻影が、悲しそうに表情を歪めた。
『行ってしまうの? 私を置いていくの?』
これには、アレンは苦笑いを浮かべた。
『ジリアンは、そんなこと言わない。務めを果たそうとする俺の背を押してくれるはずだ』
藍色の目が見開かれて、そして黒に溶けた。
* * *
次に目を開いた時、ジリアンはマクリーン侯爵の領地の屋敷にいた。庭に咲き乱れるカスミソウを見ながら、ゆったりとティータイムを楽しんでいる。
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「目を閉じるな、ジリアン」
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